第4話 大学祭

文字数 4,984文字

 俺と明日人(あすと)は電車に乗っていた。

 朝、本間(ほんま)さんのマンションを訪ね、明日人(あすと)を引き取った。その時に、本間さんから注意事項として「ゲームは()らせるな」との申し付けを受けた。いったんは俺のアパートに連れて行ったものの、ゲームが出来ないとなると、時間を潰すのは難しかった。

 早めに昼飯のレトルトカレーを食べさせてる間に、たこ焼きとか焼きそばとかの屋台がある所に行きたいか()くと、「いく!」と(こころよ)い返事があった。それで、俺の平日の職場の大学祭へ向かうことにした。午後は野外で、チアリーダー部の公演や軽音楽フェスがある。もしかしたら栗谷(くりたに)さんのバンドも観れるかもしれない。

「ヨシダ。まだ?」
「あと2駅だから、もうちょっと辛抱してなー」

 電車はほどよく混んでいて、明日人だけ座らせて、俺はその前に立っていた。明日人は何か考えているような、何も考えていないような、子供特有の真剣な表情をして窓の外の景色を眺めていた。しばらくして、電車は大学の最寄駅に停車する。俺は明日人の手を取り、改札を抜けた。

 駅から徒歩5分、大学の正門に辿(たど)り着くと、正門は色彩豊かに装飾されていた。明日人が感嘆の声を上げて、目をキラキラ輝かせている。もうここで、連れて来て良かったと思った。ありがとう大学祭実行委員会。門をくぐり、大学構内に入ると、少し間隔を空けながら屋台が並んでいる。

 日曜日なだけあって、構内には結構な数のお客さんがいる。普通に歩けるが、下を向いていると人にぶつかりそうになるくらいだ。屋台も人気のあるトコは、何人か並んでいたりして、当たり前だけど(まつり)っぽい雰囲気。

 カレーを食べて出たから腹は減っていないはずだが、明日人はあれもこれも欲しがる。トルネードポテトやお好み焼き、オムそば、フランクフルト。重いのは避けようと、チョコバナナなら後で本間さんに報告しても怒られないような気がして、1本買って渡した。俺は焼きそばを買って、広場へ向かう。

 広場では、ちょうどチアリーダー部が公演を始めるところだった。俺と明日人はステージから少し離れた、木の影が当たる芝生の上に座る。

 大型のスピーカーからテンポの速い音楽が再生され、それに合わせてチアリーダー部の皆がダンスをする。そして組み体操が始まり、人間の3倍くらいの高さまで飛び上がったり、回転しながら飛び降りたり、下から支え上げられながら宙返りをしたりと、激しく動き回る。明日人はチョコバナナを口に(くわ)えたまま、信じられないものを見るような顔で完全に静止している。

 明日人の口から溶けたチョコが垂れたのを見て、ハンカチで受け止めてやる。明日人は我に帰り、またチョコバナナを食べ始めた。いきなり刺激が強すぎたかな。俺も、焼きそばの入った容器を芝生の上から膝の上に移し、輪ゴムを取って開け、付いていた割り箸を割って食べ始める。

「ヨシダ! あれ、すごいね!」
「あの人たちな、たくさん、たくさん練習してたんだぜ。よーく見てあげような」
「うん!」

 明日人はいつの間にかチョコバナナを平らげて、真剣な面持ちでチアリーダー部の繰り出す演技を眺めている。主務の西山さんも溌剌(はつらつ)とした表情で演技に華を咲かせている。道場に寝泊まりしてまで練習した甲斐があったんだなぁ。そしてフィナーレに、3組の土台からひとりずつ回転しながら高く飛び、しっかりと受け止められて、無事に公演が終了した。明日人は前の方で見ている観客の拍手に同調して、両手をパチパチと叩いている。

「ママにおしえてあげる。すごいの見たって」
「おう。そうしろ、そうしろ」

 チアリーダー部がはけると、軽音楽フェスの舞台準備が始まった。申請書では、フェスの舞台や照明、音響の機材は、設営から演奏中の調整まで、全部一括で業者に委託しているはずだ。さすがプロって感じのテキパキとした動きで、設営が進んでいく。俺はようやく焼きそばを食べ終えて、近くの自販機で明日人の分も合わせてジュースを買う。俺はめちゃくちゃ甘ったるいカフェオレ、明日人はりんごジュースを選んだ。

 広場に戻ると、すでにステージが出来上がっていて、照明のテストを始めていた。俺たちはまた、ステージから少し離れた場所に座り、ペットボトルの蓋を開けてジュースを飲む。後ろから声をかけられた。

「吉田さん。観てくれたんですね」

 振り向くと、チアリーダー部主務の西山さんが笑顔で立っていた。すでに私服に着替えていて、明日人は突然現れた彼女が何者か分からずに戸惑っているようだ。

「この子、めちゃくちゃ楽しんでた。すごく良かったと思うよ」
「ありがとうございます。……お子さん、ですか?」

 西山さんに明日人のことを紹介する。深夜バイトの上司の息子だと伝えると、情報量の多さに西山さんが複雑な表情を見せた。

「吉田さんて、なんだか変な人ですね。でも、やっぱり悪い人じゃなさそう」
「俺は自分で言うのもなんだけど、いい人だよ」
「ヨシダはいい子って、ママいってたよ」

 俺と西山さんは、明日人の言葉に笑う。西山さんも座り、設営を眺める。

「スカート汚れない?」
「別にいいですよ。ちょっと疲れたから、座って観たいんです」
「そっか。そういえば、お疲れ様でした」
「いえいえ、明日人くんに喜んでもらえて良かったです」

 西山さんは、明日人と楽しそうに話している。どこに住んでいるとか、普段何して遊んでいるのとか、そんなたわいもない話。俺はそれを聞き流しながら、ステージの準備が完了して、楽器が置かれていくのを見ていた。もうすぐ最初のバンドが登場するようだ。確か、栗谷さんのバンドは3組目だったっけ。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 この大学の軽音楽部から、1組目と2組目がそれぞれ2曲ずつ、昨年大ヒットした曲やボカロの曲のカバーを演奏する。広場から大きな音が響き、次第に観客が増えていく。俺は平日の仕事の時、クラブハウスや軽音楽部が練習で使うプレハブ小屋を巡回しているが、いつも真剣に練習している学生たちを見ていたから、失敗するなよとドキドキしながら聴いていた。完全に情が移ってるな。

 2組目の演奏が終わり、楽器が撤収されて、少し本格的な機材が運ばれてくる。明日人が俺の袖を引っ張る。

「おしっこ、いきたい」
「マジ?」

 トイレは一番近くてもJ棟か。そこそこ距離があるから、今からだと1曲目は聴けないなぁ。観念して立ち上がると、助け船がやって来た。

「僕が一緒に行きますよ。吉田さん、栗谷さんのバンド聴きたいでしょ」

 大学祭実行委員会の委員長、大西くんが腕組みして爽やかな笑顔で言う。

「え、でも大西くん忙しいでしょ。大丈夫、俺が行くよ」

 大西くんが俺の動きを制して続ける。

「いいんです。吉田さんが、聴いてあげて下さい。そうして欲しいんです」

 大西くんは腰を(かが)めて、明日人の手を取る。

「お兄さんとトイレ行こうか。抱っこする?」
「手、つなぐだけでいい。はやくいきたい」

 大西くんは俺にウインクして、明日人を連れて行った。なんというイケメン。惚れちまいそうだ。西山さんがぽんぽんと芝生を軽く叩く。とりあえず座れということらしい。俺が横に座ると、西山さんがステージを見ながら声を上げる。

「あれ、私のお兄ちゃんです。ドラムの赤い髪」

 ステージに上がった3人は、エレキギターを携えた栗谷さんと、スティックを持った赤い髪の童顔の男の子と、ベースをぶら下げた、ポニーテールでがっしりとした体格の男の人。俺は栗谷さんの服装を見て驚いた。日雇いの会社のロゴが入った黒いスウェットに、ジーンズ地のスキニーは、完全にワークスタイルだった。今から軽作業でもしそうな雰囲気だ。

「ドラムの人、お兄さんなの?」
「しっ。始まりますよ」

 軽く弦を揺らして音を確かめ、栗谷さんは2人とそれぞれアイコンタクトを取り、(うなず)く。一瞬の静寂の後、栗谷さんのギターの音から演奏が始まった。キャッチーなイントロ。『シュガーソングとビターステップ』だ。観客が沸き、それぞれ腕を上げて手を振り始める。さっきまでのステージとは全然違う、プロの演奏だ。3人ともめちゃくちゃ上手いぞ。

 栗谷さんの歌声が広場の空気を震わせる。俺が聞いていた地声とは違う、歌うための声。ドラムとベースがリズムを支え、歌とギターを冴え渡らせる。気付くと、西山さんは立ち上がり音楽に合わせて体を揺らしている。俺はただ、ただ演奏に魅入られ、圧倒されていた。

「カッコイイ! ね、お兄ちゃん」
「やっぱ、あの人たち上手いですね。お客さんも盛り上がってる」

 明日人と大西くんが戻って来た。明日人は西山さんと一緒に飛び跳ねている。1曲目がビシッと終わり、観客が盛大な拍手を送る。カバー曲でこんなに盛り上がったら、次のオリジナル曲が()り辛くないだろうか。2曲目の前に、栗谷さんがメンバー紹介をする。

「ドラムの西山、ベース服部、ギター栗谷です」

 観客からそれぞれに拍手が送られる。

「次は私たちUnsigned Brightの曲です。聴いてください。『Days』」

 栗谷さんのギターの音から始まった演奏は、激しいイントロの後に、ロックバラードへと展開していく。その声は伸び上がり、広場の空気を完全に支配する。歌詞は、日々愛情を確かめながら歩んでいく男女2人の物語だ。ベースのソロが凄くカッコいい。そこからまたギターが入って、最後のサビに向かっていく。明日人も西山さんも、さっきの大騒ぎとは打って変わり、真面目顔でしんみり聴いている。

 最後の歌詞は、ふたりが手を繋いで走って行くところで終わる。長めのアウトロは、ふたりの愛が長く続いていくことを表現している気がした。ギターの弦の揺れが止まると、観客の大歓声が広場を包んだ。栗谷さんたち3人は手を振りながらステージを降りて行った。

「うちのお兄ちゃん、演奏してる時はカッコいいんですよ。演奏してる時は」
「普段のことは分からんけど、ドラム、良かったな」
「あっ。私、部の打ち上げがあるので、これで失礼します。明日人くん、じゃあね」

 明日人は笑顔で手を振る。西山さんは手を振りながら、走って行った。

「大西くん、本当にありがとう。おかげでちゃんと全部聴けたよ」
「どういたしまして。僕もそろそろ行かなきゃ。明日人くん、気を付けて帰ってね」

 大西くんも、わりと急いで走り去った。皆、忙しそうだ。ステージ上では4組目の演奏が始まっていた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 もう一度、屋台を見て回り、明日人が疲れてきたようなので、帰ることにした。竹内さんにも声をかけようかと思っていたが、ここからG棟は遠いので、やめた。

「明日人、おんぶするか?」
「うん」

 明日人を背負い、正門へ向かう。歩いていると、後ろから声がかかった。今日はよく後ろから声をかけられると思いながら振り返る。栗谷さんが、少し息を切らせて立っている。走って追いかけてきたのだろうか。

「吉田くん。なんでここにいるの?」
「ここ、俺の平日の職場ですよ。あれ? 言ってなかったっけ」
「この大学だなんて、聞いてないよ。でも、私たちの曲、聴きにきてくれたんだよね」
「まあ、俺の目的はそうでしたね。すっごい良かったです。ライブ自体が久しぶりですけど、本当、感動しました」
「こっちから見ると、吉田くんだけノリが悪くて目立ってたけどね」

 マジかー。見えてたのか……。

「言い訳じゃないけど……」

 栗谷さんは俺の唇に人差し指を当てる。

「いいよ、言い訳しなくても。吉田くんは嘘つかないって信じてるから。良かったって言ってくれて嬉しい」
「バンドやってること、教えてくれりゃよかったのに」
「ごめん。なんか自慢するみたいで恥ずかしくて。でも、もう隠し事はしないようにするよ」
「前のボーカルの人のことは?」

 栗谷さんの顔色が変わる。俺、地雷踏んだか?

「……今度、話す。絶対、話すよ」
「ごめん。変な質問して。無理に聞くつもりは……」
「大丈夫。また電話するね」

 栗谷さんは広場の方に戻って行く。いつもの言葉が無い。俺は彼女に聞こえるように大声を上げる。

「またね!」

 栗谷さんは立ち止まる。振り返った彼女は笑顔だが、なんとなく悲しそうな表情にも見えた。少し震える声を絞り出すように放つ。

「また、ね!」

 手を振り、去って行く姿を、しばらく眺める。背中からは明日人の寝息が響いてきていた。
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