第一の王子・2
文字数 4,232文字
振り向くと、少しだけ眉を下げたクララの微笑みの顔があった。
一瞬クララの事が頭から吹き飛んでいたリプカは赤面し、おどおどと頭を下げた。
クララはにこりと微笑み、そんなことを口にした。
噂通り。
いったい国を跨いだ規模でどのような噂が流れているというのか。リプカは青ざめた。
注がれた、一口で空になる量のお茶をどきまぎしながら口に含むと、リプカは思わず「ほう」と息をついた。
甘くも苦くもないが香り高い、不思議な味のお茶だった。
にっぱり笑ったクララの明るい顔を、リプカは不思議な面持ちで見つめた。
いったい彼女は、どういった心境でここを訪れたのだろう? これからどうするつもりなのか。どういった経緯でこのような事になったのかは計り知れないが、このあり得ぬ縁談をどう収めるつもりなのだろうか? ――疑問は尽きない。
空になったリプカのグラスにお茶を注ぎながら、クララはまさにリプカが疑問に思っていたことについて言及する姿勢を見せた。
水筒容器を丁寧な手つきで脇に置くと、吸い込まれるように美しく輝く金色の瞳で、目の前のリプカを真っ直ぐに見つめて、クララは話し始めた。――覚えのない情動に頬を染めて、リプカは僅かに身を捩り、どぎまぎを浮かべている。
リプカの知らなかった、他国の習わしであった。
しかし、だとするなら――。
先程、同性であることで動揺しリプカが取った態度は、大変な失礼に当たる失態である……。
奇しくも父が言った通りの、態度の間違いに、リプカは青褪め頭を下げようとしたが――。
ふわりと、リプカの髪を優しく包むようにして、クララはそれを止めた。
フランシス・エルゴールとの繋がりを築くため。
クララは顔色一つ変えず、躊躇もなくそれを口にした。
リプカの瞳が白黒に明滅した。
クララはそんなリプカを真っ直ぐに見つめたまま、僅か、間を置いた。
――リプカは混乱しながら問うた。
そう。
それこそが、先の戦争でリプカが残した、栄光ある活躍の内実であった。
フランシスこそが戦争を指揮する要、心の臓だと見抜いたオルエヴィア連合は、フランシスに精鋭たる刺客を放った。
フランシスが一時、ここエルゴールの屋敷に帰還し、一息をついたタイミングであった。
帝国国家の精鋭は、恐るべき手腕をもって、瞬く間に屋敷を制圧した。最終的にその凶刃は、今まさにフランシスの喉元を切り裂かんところまで差し迫ったのだ。
――そこに、獰猛な獣を越える覇気を纏った英傑が現れた。
いつもそうだった。幼い頃から、感情がある一線を越えると獣性が如き衝動が溢れ出し、痛烈無比たる無双の力に支配される
神が遣わした獣神の力を見た。
瞬く間にリプカの手により昏倒させられた刺客の一人が、茫然と口にした言葉である。
無くていい才能。
令嬢にはおよそ必要のないその力が、勝負の分かれ目を栄光に導いたのだ。
目を開き、再び真っ直ぐにリプカを見つめたクララの瞳には、誠実の焔が宿っていた。
――そうだ。
リプカはようやっと、それに思い至った。
あのとき、あの場所にいたのはフランシスと守衛だけではなかった。エレアニカ連合から遣わされた要人もが揃うタイミングで、刺客は躍動したのだ。
言われておぼろげに思い出せる程度ではあったが――確かにあのとき、自分と同じ歳の頃の少女を一人見たことは思い出せた。
「私は今、貴方様のことを心から愛しています。あの鬼神の如き神性を発揮したお人と、遠くから見つめた、気弱な貴方様が同一人物であるなんて信じられなかった。私はその二面性に慈愛の尊さを見つけて、いつしか、触れてもいない貴方様に、愛するほどの想いを寄せるようになりました。――私は貴方様と、悠久、一緒の道を歩みたい。どうか私との婚約を真剣に考えては頂けないでしょうか……?」
瞳と同じ、真っ直ぐな言葉。
リプカは現実が信じられなかった。
私はいま、好意を向けられている。
自分に好意を向ける人がいる。ただ一人であったフランシス以外で、今、ここに。
――鏡を確認するのが嫌いだった。
だが今なら……以前ほどの暗い気持ちは抱かないような気がした。
リプカが何も答えられないでいると、クララはそっと包んだその手を放し、感情に満ちた心深い微笑みを浮かべた。
「元々、我が国エレアニカ連合からは、オーレリア領域からレクトル・オーレリア様が貴方様の婿候補として遣わされる予定でした。それで問題のなかったところを、私が上方に掛け合い、無理を通したのです。それによってセラフィア領域が見込める利益は何一つありません。調べればすぐに分かることです」
最後にそれだけ言って、深く礼をすると。
今度こそクララ・ルミナレイ・セラフィアは、柔らかな雰囲気損なわぬ後ろ姿を見せ、去って行った。
浮世離れした表情で茫然と立ち尽くす、リプカを残して。