第七話:第二の王子

文字数 2,936文字

 自分に愛を注いでくれる、フランシス・エルゴールが妹であったこと。


 そしておそらく今生三度目はない、もう一つの奇跡とたった今邂逅したことを、リプカはぼんやりと思っていた。


 クララ。

 クララ・ルミナレイ・セラフィア。


 私を愛してくれると言った人。

 私が幸せになれる……?


 クララの言葉を疑うことなく心から信じられる自分がいて、リプカは初めて、自身の幸せを明確に想い描くことができた。



 いつも怯えていた、フランシスとの別れの先の、仄暗い未来を。



 その先を照らす未来を確かに想像できる、そのことが信じられなかった。


 女性であることなど関係がなかった。妹以外で初めて、自分が必要であると言ってくれた人に出会えた。


 もう、決定を下していいのではないか?

 ふとそんな思いが、にわか雨のように(よぎ)った。

(………そうだ、そうだわ!)

(もう悩むことなんてない……! 私の人生にこんなことが訪れるなんて信じられなかったっ!)

(お父様に報告しましょう。駄目だと言われたら、いいと言うまで願い続けよう! それでも駄目だと言われたら、いいと言うまで殴りましょう――!)

(もしクララ様との婚約が難しいというのなら、フランシスに頼みましょう。無理を言うのは心苦しいけれど……それでも言いましょう)

 いつの間にか溢れんばかりに浮いていた目尻の涙にようやっと気付きながら、リプカは屋敷の廊下を駆けた。



 ――そして、にわか雨は止んだ。


 


「あんたが、リプカ・エルゴールかい」


 中庭の通路を駆けていたそのとき。

 庭のほうから、高圧的な声がかけられた。

 立ち止まり、声のした方を向いてみると――。


 威圧を纏った人だった。


 眉、口元、顔立ちの全てから《《覚えのある》》自信が漲った、眼圧の強い人。

 後ろで縛り上げた赤い髪は、この世の全てに挑戦を挑む証であるように強い、原色だった。(ジャケット)の上からでもわかる筋肉質から、生気が立ち上っているように見える。また赤褐色の肌は、日に焼けた強靭なものだ。


 その人はクララとはまた違う、ゆったりとした歩調でリプカに歩み寄ると、上背高い目線からリプカを見下ろした。

「……ふーん?」

 顔、腕、足、胴体。

 リプカの様々な個所をじろじろと見やるとにやりと笑み、首を傾げた。

「こいつが、ねえ……」
「あ、あのう……」
 リプカは駆け回り乱れた己の髪にも気付かずに、おずおずとその人を見上げた。
「失礼ですが、いったいどなた様でしょうか……?」
「戦鬼の国イグニュス連合から遣わされた婿候補、ティアドラ・フォン・レイデアル」

 リプカの問いに、ティアドラはもったいぶらず、手短にそう告げた。

 リプカは目をパチクリさせた。

(婿候補……婿候補……って)


(ま、また女性!?)

 

 そう。ティアドラは女性だった。

 筋肉質な男勝りである風貌だったが、それは見違えようもなかった。

「――で?」

 リプカの混乱にはまるで取り合わず、ティアドラは自身のペースを貫き続けた。

「あんたがリプカ・エルゴールで間違いないのか?」
「そ、そうです。(わたくし)がリプカ・エルゴールですわ」
「間違いじゃないのか……」

 胸に手を当て挨拶をすると、ティアドラは何やら不満そうな表情で、再びリプカの体をじろじろと眺め回した。


 居心地悪く身を捩ると、リプカは自身の体を抱いた。

「な、なんですか……?」
「はっ。生娘みてぇな反応だな。まあいい。いや、ちょっとな」

 リプカの疑問には付き合わず自己完結で済ませると、ティアドラは薄ら笑った。


 リプカはティアドラをじっと見つめると、婿候補だという彼女に問い掛けた。

「あ、貴方様も、私を愛してくれるのですか……?」

 ……クララのことがあったばかりだから、そんな問い掛けを口にしてしまったのだろう。


 ティアドラはきょとんとした表情を浮かべると――噴き出し、辺りに響き渡る大哄笑を上げ始めたのだ。

「アッハッハッハッハ! 俺が? なんだって? オジョウチャン!」
 ――今更に自分の発言の痴態に気付いたリプカは、その大哄笑を受けながら、見る間に真っ赤に染まってしまった。
「ハッハッハッハッハッハ! 『私を愛してくれるのですか……?』、だってよぅ!」

 ピキリと。


 リプカの額に、一筋の(きん)が走った。


 その途端、ティアドラはピタリと笑いを止めた。

「――へえ。噂通りじゃん」

(…………また噂……)

 なぜティアドラが笑うのを辞めたのか分からないままに、リプカはその噂とやらを少し不穏に思った。クララは、悪い噂ではないと言っていたが……。


 ティアドラは先程より真っ直ぐな視線でリプカを見つめると、勝気というにもあまりに荒々しく口角を上げた。

「俺は確かに婿候補に立候補したよ。上の爺様方を無理矢理収めてな。――だが俺に同性愛の趣味はない。縁談なんて興味ねぇよ」
「え……? で、では、どうして……?」
「だがなあ」
 話を聞かず、どこまでも自分本位なままに、ティアドラはリプカの耳に顔を近付け、言い放った。
「私に勝てたら、結婚でもなんでもしてやるよ」

 硬直するリプカ。

 ついと視線だけを動かし、横にあるティアドラの瞳を見やる。――灼熱の獰猛が奥底で躍るも、表面は氷のように冷たい灰色。狂気と、恐ろしいほどの静寂。およそ、人間の瞳ではなかった。


 フッと一つ、小さな笑いを残し。

 ティアドラはゆったり身を起こすと、別れの言葉もなしに、用は済んだとばかりに背を向けた。

「――――なッ」
 ぞんざいに扱われることに慣れていたはずのリプカだったが、そのときばかりは気を立て、絶叫した。
「あ、貴方なんかにそんなこと、頼むわけないでしょうっ! 誰に頼まれての無理矢理だってお断りよ、この、変人な人!」

 ――小声で。

 周囲二メートル以内に人がいれば、その絶叫を聞き届けることができたかもしれない。


 リプカはティアドラの背を見送ると、気分を害しながらも、それでも尚薄れぬ衝動に従って、再び走り出そうとした。


 そのとき。

「あーそうそう。一応の婿候補として、一つ助言だぁー」

 遠くから、ティアドラの大声が轟いてきた。

 ビクリと身を撥ねさせながら、リプカは声のした方向へ向いた。

「な、なぁに……?」
 蚊の鳴くような声で返答したそのとき、再び声が轟いてきた。
「婿は安易に決めるなよー。個人的な都合って意味じゃなく後悔するぞー」
「な、なんでよー……?」
 とても届かない音量の声に応えたわけでもあるまいが、ティアドラは続けて、リプカにとって衝撃的な答えを轟かせてきた。
「戦争が起こるからなー」
「はぁ!?」
「あのフランシス・エルゴールと関係を結ぶ争奪戦だからなー。そうなってもおかしくないって話だー。実際、それで儲かるかもしれんと爺様方が話をしてたからなー。まあ俺はそっちのほうがいいけどなー」
「そんな――そんな馬鹿な!?」
「安易に決めるなよー。戦争が起こるぞー……」

 遠ざかってゆく声を聞きながら、リプカはへにゃりとその場にへたり込んでしまった。


 どうやら、この度複数寄せられた縁談の事は、想像以上に複雑で危険を孕んだ、政治事らしい。


 クララと幸せな家庭を築く妄想は、ここで一度、まるでパズルのように形を保ったままバラバラになってしまった。

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登場人物紹介

リプカ・エルゴール

フランシス・エルゴール

クララ・ルミナレイ・セラフィア

ティアドラ・フォン・レイデアル

クイン・オルエヴィア・ディストウォール

ビビ・アルメアルゥ

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