約1ヶ月半前 盗聴と『ミプロトルス恋』と謎のご主人さま
文字数 3,017文字
「モーリー、この部屋から出るなよ。」
「ニャオ。」
ご主人さまがわたしに言った。スコティッシュフォールドのわたしはうなずく代わりに小さな声で鳴いた。
「まただ。」
ご主人様はブツブツつぶやいた。
「『ミプロトルス恋』。この名前にぶつかるのは、この一週間で四度目だ。」
ヒバリ蓮の図書館の奥深くのNASA研究資料室の一室で、ご主人さまはハシゴを使って一番高い棚にあった分厚い書物を広げていた。
だだっ広い図書館の机には、今までご主人さまが棚から取ってきた書物が所狭しと広げられていた。
一般的な図書館の例に漏れず、このヒバリ蓮の図書館も静かだ。学習室エリアの付近にも学生がわんさかいて、ヒソヒソ声がなきにしもあらずだったが、ご主人さまのこもるこの研究資料室がある一角は、人気がなく、ひっそりとしていた。
この閑散としたエリアの雰囲気を利用して、ご主人さまは猫の私をカバンに入れて連れ込んでいた。カバンには空気穴がある。今は、カバンの口はあいていて、私は研究資料室の中を自由に動き回っていた。
窓の外からは、さるすべりのピンクの花と緑の青々とした葉が見えていた。
私とご主人さまは、井戸の水を汲むことから始まる毎日に飽き飽きして、僻地からこの地方都市までやってきたところだった。
「退屈したな。そろそろ街に戻るかあ。」
ご主人さまが猫の私の目をのぞき込んでそうつぶやいたときは、パソコンやら必要機材と着替えを最小限パッケージしたボストンバック一つを持って、翌日には街に向かって出発している。そういうときは、いざという時にわたしを入れて運ぶ空気穴の空いたカバンは、折り畳んでボストンバックの中にしまい込んである。
ご主人さまは、ポケットからイヤホンを取り出して、そっと耳にはめた。椅子にすわり、椅子の背もたれに背中をどさっともたせかけて、目をつぶっている。
わたしはご主人さまが何をしているか知っている。
盗聴だ。
ご主人さまは、ある女子高生とその仲間の会話を盗み聞きしているのだ。わたしはご主人さまがいけないことをしているのを知っている。
「にゃお」
「シーっ!」
ご主人さまは目を開けて、わたしをみて人差し指を唇に当てて、わたしに静かにするように合図をした。
わたしは仕方なく黙った。
「お?お前も聞きたいということか?」
ご主人さまは急に思いついたようにわたしを見つめてニヤッとした。
違う。聞きたいというわけでは決してない。
「そうか、そうか。聞きたいか。」
ご主人さまは勝手にそういうと、手元のスマホの音声をスピーカーにした。
「だからさあ、あそこの出だしはさあ・・・」
「違うよねえ。しし丸、明日の出発時間は何時?」
「朝早いよ。おしのびだからねえ。ついてくるならみんな身バレしないようにしてよ。」
途端に、静かな部屋に女性たちと男性の声があふれた。わたしはビクッとして怖い顔をしてご主人さまを見た。
「あ、モーリーすまん。音が大きすぎたな。」
ご主人さまはスピーカーの音量をすばやく下げた。
ご主人さまはその世界では有名な武器商人だ。アンジェロという名だ。ご主人さまは世界中のいろんなところを旅して回るが、基本的にベースにしているのは、とんでもない僻地 にある大きな屋敷だった。数世紀前に建てられたらしいその屋敷は、飲み水が井戸からくみ上げた水という場所にあった。電気も通っていない。雨の日は基本的にランプだ。とはいっても太陽光発電はあるので、まあ、不便はなかった。
ただ、そんなところに引っ込んでばかりで、武器の売買ができるわけではない。というわけで、気を張り詰める商売から逃れて一息つきたくなると、僻地 の屋敷に戻り、休息が終わると、また近代化された都会に戻る(少なくとも蛇口をひねると水が出る場所だ)という暮らしを続けていた。
ご主人さまは、最近、あることに夢中になっていた。
『ミプロトルス恋』だ。
それが一体なんなのか、猫のわたしにはわからない。誰かに恋をしたのかと思いきや、そんな相手はご主人さまの周りにはいない。その言葉の意味はさっぱりわからない。
そもそも、ご主人さまは私の秘密にちっとも気づいていないのだから、私がご主人様の夢中になっているものが具体的に何なのか、ご主人さまの秘密の一つが分からなくても、落ち込む必要はなかった。
そう、ご主人様は、私の秘密を知らない。私はスコティッシュフォールドという猫のモーリーと、ご主人さまの部下の赤毛のソフィだ。猫のモーリーと部下のソフィ(人間のフリをしている)が同一生物だとはご主人さまは知らない。
というわけで、ご主人さまの考えていることを私が全て把握していないからと言って落ち込む必要はないのだ。お互いにお互いの秘密に気づいてないのだから、おあいこだ。
三週間前のことだった。
このヒバリ連という地方都市にきて図書館に入り浸っている時、宿泊しているホテルに一通の知らせが入った。
それからご主人さまは豹変した。
「なんだと?」
「十六歳の小娘のミカナが相続者だと?」
「あんな莫大な遺産を小娘にくれてやるとは、あの耄碌爺(もうろくじじ)いめ。」
ご主人さまが何を夢中で調べているのかさっぱり分からなかった私でも、ご主人様が豹変した理由には気づいた。ご主人様は自分のいとこの十代の小娘が、莫大な遺産を相続することに気づいた時は、非常にわかりやすく反応した。
盗聴の相手は、この十六歳のミカナだ。
「ソフィ!」
「なんでしょう?」
「ミカナを脅せ。遺産相続を放棄させろ。誰かこの役目にぴったりのやつを雇え。金はいくら払っても構わん!」
「承知いたしました。」
ご主人さまは、あの手この手で、この十代の小娘を脅そうとした。でも、小娘はよく分からない思考回路の持ち主で、ご主人様の脅しの効果は今のところまるでかんばしくなかった。小娘のミカナは、一年前に日本でバンド活動をする目的で、スイスの学校を辞めて日本の学校に転校していた。
ミカナの生みの親は莫大な遺産を受け継ぐ相続者だったらしいが、とっくに亡くなってしまっていた。というわけで、このたび正式に、ミカナに相続者としてのバトンが回ってきたらしい。そして、女子高生ミカナさえいなければ、この莫大な遺産はご主人さまのものになるはずだったらしい。
ここまでは、ご主人さまがブツブツ一人言をいうだけで、また、部下のソフィーに命じる内容だけで、私にも把握できた。
『ミプロトルス恋』とやらを夢中で調べまくっていたご主人さまも、一旦、調べ物を中断せざるを得なくなりそうだった。ミカナに次々と刺客を送り込んでは失敗し、十六歳の小娘から遺産争奪する計画には、どうやら本腰を入れる必要があるとご主人さまは判断したようだ。盗聴までしかけてしまった。ここまでくると、一種の狂気だ。
「ソフィ、ついに本気を出すときが来たようだ。」
「ええ。」
「どういうわけか、この小娘はなかなか手強い。」
「はい。彼女は、謎に勝負強いですね。」
ご主人さまは、売ってはならない相手に武器を売りつけるおかげで、しょっちゅう命が狙われていた。世界中を転々と移動するのはそういうわけだ。でも、ご主人さまが今まで仕留められなかったターゲットは存在しなかった。ミカナという十六歳の小娘は、どうやら、ご主人様にとっては仕留めるのに手こずる初の相手になりそうだった。
盗聴までして、ご主人さまはことを成そうとしていた。
「ニャオ。」
ご主人さまがわたしに言った。スコティッシュフォールドのわたしはうなずく代わりに小さな声で鳴いた。
「まただ。」
ご主人様はブツブツつぶやいた。
「『ミプロトルス恋』。この名前にぶつかるのは、この一週間で四度目だ。」
ヒバリ蓮の図書館の奥深くのNASA研究資料室の一室で、ご主人さまはハシゴを使って一番高い棚にあった分厚い書物を広げていた。
だだっ広い図書館の机には、今までご主人さまが棚から取ってきた書物が所狭しと広げられていた。
一般的な図書館の例に漏れず、このヒバリ蓮の図書館も静かだ。学習室エリアの付近にも学生がわんさかいて、ヒソヒソ声がなきにしもあらずだったが、ご主人さまのこもるこの研究資料室がある一角は、人気がなく、ひっそりとしていた。
この閑散としたエリアの雰囲気を利用して、ご主人さまは猫の私をカバンに入れて連れ込んでいた。カバンには空気穴がある。今は、カバンの口はあいていて、私は研究資料室の中を自由に動き回っていた。
窓の外からは、さるすべりのピンクの花と緑の青々とした葉が見えていた。
私とご主人さまは、井戸の水を汲むことから始まる毎日に飽き飽きして、僻地からこの地方都市までやってきたところだった。
「退屈したな。そろそろ街に戻るかあ。」
ご主人さまが猫の私の目をのぞき込んでそうつぶやいたときは、パソコンやら必要機材と着替えを最小限パッケージしたボストンバック一つを持って、翌日には街に向かって出発している。そういうときは、いざという時にわたしを入れて運ぶ空気穴の空いたカバンは、折り畳んでボストンバックの中にしまい込んである。
ご主人さまは、ポケットからイヤホンを取り出して、そっと耳にはめた。椅子にすわり、椅子の背もたれに背中をどさっともたせかけて、目をつぶっている。
わたしはご主人さまが何をしているか知っている。
盗聴だ。
ご主人さまは、ある女子高生とその仲間の会話を盗み聞きしているのだ。わたしはご主人さまがいけないことをしているのを知っている。
「にゃお」
「シーっ!」
ご主人さまは目を開けて、わたしをみて人差し指を唇に当てて、わたしに静かにするように合図をした。
わたしは仕方なく黙った。
「お?お前も聞きたいということか?」
ご主人さまは急に思いついたようにわたしを見つめてニヤッとした。
違う。聞きたいというわけでは決してない。
「そうか、そうか。聞きたいか。」
ご主人さまは勝手にそういうと、手元のスマホの音声をスピーカーにした。
「だからさあ、あそこの出だしはさあ・・・」
「違うよねえ。しし丸、明日の出発時間は何時?」
「朝早いよ。おしのびだからねえ。ついてくるならみんな身バレしないようにしてよ。」
途端に、静かな部屋に女性たちと男性の声があふれた。わたしはビクッとして怖い顔をしてご主人さまを見た。
「あ、モーリーすまん。音が大きすぎたな。」
ご主人さまはスピーカーの音量をすばやく下げた。
ご主人さまはその世界では有名な武器商人だ。アンジェロという名だ。ご主人さまは世界中のいろんなところを旅して回るが、基本的にベースにしているのは、とんでもない
ただ、そんなところに引っ込んでばかりで、武器の売買ができるわけではない。というわけで、気を張り詰める商売から逃れて一息つきたくなると、
ご主人さまは、最近、あることに夢中になっていた。
『ミプロトルス恋』だ。
それが一体なんなのか、猫のわたしにはわからない。誰かに恋をしたのかと思いきや、そんな相手はご主人さまの周りにはいない。その言葉の意味はさっぱりわからない。
そもそも、ご主人さまは私の秘密にちっとも気づいていないのだから、私がご主人様の夢中になっているものが具体的に何なのか、ご主人さまの秘密の一つが分からなくても、落ち込む必要はなかった。
そう、ご主人様は、私の秘密を知らない。私はスコティッシュフォールドという猫のモーリーと、ご主人さまの部下の赤毛のソフィだ。猫のモーリーと部下のソフィ(人間のフリをしている)が同一生物だとはご主人さまは知らない。
というわけで、ご主人さまの考えていることを私が全て把握していないからと言って落ち込む必要はないのだ。お互いにお互いの秘密に気づいてないのだから、おあいこだ。
三週間前のことだった。
このヒバリ連という地方都市にきて図書館に入り浸っている時、宿泊しているホテルに一通の知らせが入った。
それからご主人さまは豹変した。
「なんだと?」
「十六歳の小娘のミカナが相続者だと?」
「あんな莫大な遺産を小娘にくれてやるとは、あの耄碌爺(もうろくじじ)いめ。」
ご主人さまが何を夢中で調べているのかさっぱり分からなかった私でも、ご主人様が豹変した理由には気づいた。ご主人様は自分のいとこの十代の小娘が、莫大な遺産を相続することに気づいた時は、非常にわかりやすく反応した。
盗聴の相手は、この十六歳のミカナだ。
「ソフィ!」
「なんでしょう?」
「ミカナを脅せ。遺産相続を放棄させろ。誰かこの役目にぴったりのやつを雇え。金はいくら払っても構わん!」
「承知いたしました。」
ご主人さまは、あの手この手で、この十代の小娘を脅そうとした。でも、小娘はよく分からない思考回路の持ち主で、ご主人様の脅しの効果は今のところまるでかんばしくなかった。小娘のミカナは、一年前に日本でバンド活動をする目的で、スイスの学校を辞めて日本の学校に転校していた。
ミカナの生みの親は莫大な遺産を受け継ぐ相続者だったらしいが、とっくに亡くなってしまっていた。というわけで、このたび正式に、ミカナに相続者としてのバトンが回ってきたらしい。そして、女子高生ミカナさえいなければ、この莫大な遺産はご主人さまのものになるはずだったらしい。
ここまでは、ご主人さまがブツブツ一人言をいうだけで、また、部下のソフィーに命じる内容だけで、私にも把握できた。
『ミプロトルス恋』とやらを夢中で調べまくっていたご主人さまも、一旦、調べ物を中断せざるを得なくなりそうだった。ミカナに次々と刺客を送り込んでは失敗し、十六歳の小娘から遺産争奪する計画には、どうやら本腰を入れる必要があるとご主人さまは判断したようだ。盗聴までしかけてしまった。ここまでくると、一種の狂気だ。
「ソフィ、ついに本気を出すときが来たようだ。」
「ええ。」
「どういうわけか、この小娘はなかなか手強い。」
「はい。彼女は、謎に勝負強いですね。」
ご主人さまは、売ってはならない相手に武器を売りつけるおかげで、しょっちゅう命が狙われていた。世界中を転々と移動するのはそういうわけだ。でも、ご主人さまが今まで仕留められなかったターゲットは存在しなかった。ミカナという十六歳の小娘は、どうやら、ご主人様にとっては仕留めるのに手こずる初の相手になりそうだった。
盗聴までして、ご主人さまはことを成そうとしていた。