第3話 ドラマーのミカナ16歳(天井裏からのぞく『忍び』)

文字数 3,470文字

「どうせまた創業者一族からの刺客よ。ドイツからよ。」
 ミカナが英語でメンバーのトオルに話している。

「あー、さっき山の(ふもと)のバス停にいた『くノ一』ね。後継者争(こうけいしゃあらそ)いってやっかいなんだね。」
 腰までの長い髪をかきあげて、チェロの準備をしているトオルがミカナに相槌を打って話していた。

 忍びのわたしは、天井裏の隙間から、バンドの練習風景を息をひそめてのぞいていた。盗聴とのぞき。立派な犯罪だ。

 この山小屋は、ぎしぎし音が鳴るので気をつけなければならないが、天井裏は忍び放題だ。多分、息をひそめる必要もない。楽器の音でわたしの気配など気づかれるはずがないのだから。でも、わたしは息をひそめて、気配を消してじっと天井下の状況に集中していた。

「私は後継者になる気なんてないのに、時々ああやって脅しを込めて襲いにやってくるんだから、手に追えないわ。」
「ミケがいなかったら、大変だったろうね。」
「本当よ。ミケがいなかったら、腕の一つや二つ、折れていたかもしれない。そう思うとゾッとするわよ。」

 別に、腕は折らないわよ。
 
 わたしは屋根裏からのぞきながら、心の中でつぶやいた。
 ミカナは、自分がロシア皇帝の隠し財産まで引き継ぐとは、つゆとも知らない。正式に弁護士からミカナに通知がある前に、散々ビビらせてやれというのが、ボスのわたしへの指令だ。

 それにしても、こんな所に、今ももっとも勢いがあるガールズバンドのメンバーが集まっているとは世間の誰も思わないだろう。

「ブー子ってさあ、人間の先生に習っていたんだよね?」
「うん、そう聞いた。人間の先生ってさ、すんごい厳しかったんだって。手を叩かれながら泣きながらレッスン受けてたって聞いたよ。4歳から。」
「あー。あるあるだね。うちの先生も厳しかった。」
「うん。厳しかったねえ。」

 トオルとミカナは、呑気にそんなことをダラダラ話しながら練習に合流する準備をしていた。
 あー、「ブー子は、人間の先生に習っていた」んだ!ブー子は人間じゃない前提でのこの会話!
 わたしの想像は、確信に変わる。
 背中がゾクゾクしてきて、急にトイレに行きたくなる。
 今は我慢だ。まずは、屋根裏からのぞいて偵察だ。
 わたしは盗聴器がオフになっていることを、確かめた。よし、オフになっている。
 ボスに聞かせるべきなのは、こういう会話ではない。
 今は、個人的にはボスに聞かれたくない会話をメンバーがしている。わたしが個人的に聞きたかった話は、ボスに聞かせてはならない。

 きつねのブー子は、4歳の頃から人間の先生について、手を叩かれながら、泣きながらレッスンを受けていたらしい。わたしは、もとより、ブー子がキツネだと仮説を立てていた。その仮説は半分当たった。だって、人じゃないと言う前提の会話をメンバーがしているから。

 ブー子は、今、古いピアノを使って、すごいパワーで嵐のように鍵盤(けんばん)を叩きまくって、即興(そっきょう)でピアノを奏でていた。いつものブー子のならしのようだ。

「ねえ。ブー子ってやっぱ人科じゃないじゃない?不思議なタッチと感性を持っているよね。」
「そう思う。ミケもだけどね。」
「うん。だね。」

 おおっ!やっぱりミケもか!わたしのミケに対する仮説も半分当たった!

 ミカナは日本語はまだカタコトでしか話せないから、トオルと英語で話している。このバンド関係者では、わたしの見立てでは、ミカナとトオルだけが人間のはずだ。

「育ての親とはさあ、ミュンヘン工科大学か、マサチューセッツ工科大学か、ハーバードか、スタンフォードか、バークレーかのいずれかの大学に入ると約束して日本にやってきたんだよね。前に話したよね。わたしを産んだ母はわたしが幼い頃に亡くなっていて、そのあとに父と再婚した新しい母がわたしの世話をしてくれていたのよ。」

 ミカナはトオルに話し続けている。

「条件から外れると速攻でバンド脱退(だったい)なんだよね。創業者一族というのは、そこの一員でいる者には多大な努力を求めるものなのよ。」
 ミカナはそう言ってため息をついた。

「でもさ、ミカナは勉強は得意でしょ?」
「うん。得意。でも、16歳の私はドラムを叩いているときの方が幸せなのよ。」
「好きなことを続けるために勉強するっていうことだね。好きなことを続けるために仕事する大人と変わらないかもよ。」
「そうだよねえ。育ての親はさあ、いきなり韓国にダンス留学するとでも宣言されるのかと思ったらしく、最初は猛反対してんだ。」
「へー、韓国に?」
「うん。でも、ドラムを叩くガールズバンドだと聞いて、じゃあそんなに過酷(かこく)な練習量は必要ないでしょうと思ったらしく、約束の大学のいずれかに入るならと、日本に行くことを許してくれたんだ。」
「そっか。」


「わたしさ、ここにくるまでエンガワを見たことなかったんだ。」
「うん。同じ、同じ。」
「最初ね、ブー子のおじいちゃんの、この山の中の古ぼけた屋敷に案内された時は驚愕(きょうがく)したのよ。『えんがわ』なんて、知らなかったし。」
「うん。」
「そこで酔っ払ったブー子とたぬきになったさとこ社長と、イノシシに戻ったしし丸と、ジュースを飲んでいる猫になったミケと、トオルと一緒に『えんがわ』から山々の夕焼けを見たとき、なんだかとても和んだのだのよ。今まで知らなかった心の安らぎが胸に広がるのを感じたんだ。」

 わたしは、屋根裏からミカナとトオルの会話をじっと聞いていた。知っていることもあったが、知らなかったこともあった。
 さと子社長はやっぱりたぬきで、マネージャーはイノシシなの?マネージャーのことはまるで知らなかった!

「ミカナさ、『ジュラさま』とは最近話をした?」
「してない、してない。」

 わたしの調査では、ミカナの憧れの先輩が「ジュラさま」だ。
 ミカナが通っているインターナショナルスクールのサッカークラブにいる先輩、ジュラのことがミカナは大好きだ。

「ほら、わたしには秘密があるでしょう。たぬきが社長で、マネージャーがイノシシで、ボーカルがキツネで、ギター担当が猫のバンドをやっているって、すごい秘密じゃない。それがあるから、迂闊に何か話しかけづらいのよ。ジュラさまの前で舞い上がって、うっかりしゃべってしまったら、どうしようと思ってしまって。」
 ミカナはそう言った。

 ボーカルのブー子はキツネで、ギターのミケは猫!
 わたしの仮説が当たって、わたしは屋根裏で喜びのあまりに悶絶した。

 わたしは、このバンドの秘密から生まれる音源に、不思議な魔力があると思っている。世界唯一のものだ。

 人科(ひとか)でないものが混ざるとこんなにも魅惑(みわく)の音源が生まれるのだ。ファンとしては、最高だ。
 ボスには、わたしがミッチェリアルのファンであることは秘密だ。ボスの指令よりわたしのミッチェリアル愛の方が勝るとは、何があってもボスには知られてはならない秘密だ。

「ねえ、ブー子ってさあ、やっぱり単独で歌うとひどい音痴だよね。」
「だねえ。」
「やっぱり、キツネとたぬきのハーモニーが唯一無二だからかなあ。」
「そうだよね。あれでボーカルができるのは、バックで歌っているさとこ社長のハーモニーのせいだよね。」
「ねえ。なぜか不思議な素晴らしいメロディーになるよね。」
「その仕組みは謎だよねえ。」

 ミカナとトオルは無邪気に、屋根裏からのぞくわたしの真下でしゃべっている。

 バンドのサブボーカルは、ミケ、トオル、ミカナ全員だ。つまり、ガールズバンド「ミッチェリアル」の声は、3匹の動物と、二人の十代女の子の声が混ざったハーモニーから生まれるのだ。

 最高じゃないか。
 
「最高だよね。」
 わたしと同じことを、真下にいるミカナは言った。
「ハーバードでも、スタンフォードでも、マサチューセッツ工科大学でもどこだって受かってやるわ。三年のうちに世界的バンドとして成功して、バンドの拠点をアメリカに移してやる。そしたら大学生活を送りながら、ガールズバンド『ミッチェリアル』の一員でいられるから。」
 ミカナは決意をトオルに話した。

「ミカナ、それって不純な動機もあるんじゃない?『ジュラさま』はスタンフォードに行くと決まっているでしょう?」
 トオルがイタズラっぽい表情でミカナに言った。

 十六歳のミカナと、十八歳のトオルは笑い転げた。
 
「まあ、そうね。十六歳の私は硬い決意で溢れているわ。絶対にこの初のワールドツアーは成功させてやるわ。」
 ミカナはそう言った。そして、両手で自分のほっぺをピシッと叩いた。気合を入れる儀式のようだ。

「さあ、練習しよっ!」
「トオル、うちらも合流しよっ!」
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