翠は、古都華が開いた「最後の晩餐」の絵を見ながら言った。
この絵で食卓に並んでるの、平たいパンじゃなくてコッペパンに見えるんですが…
たしかにそう見えるわね!巨匠と言われるダ・ヴィンチでも間違えることがあるのねえ。
ユダヤの人々は昔も今も変わらず過越祭を守っていたのに、ダ・ヴィンチが過越の食事について知らないなんてことあるんでしょうか?
当時は今よりもずっとユダヤの人々に対するヘイトが強かったから、博識なダ・ヴィンチでも知らなかったんじゃないかしら?
今はネットがあるから、日本にいるわたしたちでも、こうしてユダヤの家庭の食事を知ることができるんですね。
古都華はタブレットに "The Last Supper" という文字を入力し、画像検索する。
今どきの画家さんの「最後の晩餐」の絵だとね、ちゃんと平たいパンが描かれているわよ!
Sliman Mansour(スリマン・マンスール)は、1947年生まれのパレスチナの画家。マンスールは、占領下の抑圧と抵抗を通して生まれたパレスチナの文化的価値である「サムード」(アラビア語で「不動の忍耐」の意味)を視覚的に表現したインティファーダ(パレスチナ解放運動)の芸術家と位置づけられている。
わわ、ダ・ヴィンチの絵とぜんぜん違う!「THE・中東」って感じですね!!
え、これって、本物の「最後の晩餐」の舞台であるパレスチナ出身の画家が描いたんですね!?
時代考証もしっかり描き込まれてるし、実際の聖書時代の光景はこうだったかもって想像がふくらむわね。
画面中央のターバンの人がイエス? なのかな……その人が持っているパン、いま作ったのと似てますね!
ドミトリー・ジリンスキー「最後の晩餐」(2000年)
Дмитрий Дмитриевич Жилинский(ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ジリンスキー、1927年-2015年)は、北コーカサス地方の生まれのソビエトおよびロシアの画家。古代ロシアのイコン画や初期ルネサンスの絵画の伝統を革新的に見直した。1968年からモスクワ芸術学院で教授を務めた。
こっちの絵のパンも、わたしたちが試作したパンとよく似てますね!
これは分かるよ! 画面中央、お誕生日席にいる人がイエスだよね!
食事の席でイエスが「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と言って、弟子たちが仰天する場面が描かれているわね。
描かれている人物が臨場感たっぷりで、「そんなバカな!?」とか「ホントですか!?」なんて声が聞こえてきそうです。
あ、食事の席の中心にユダヤ教のシンボルである燭台が置いてある!イエスさまと弟子たちがユダヤの生まれだってちゃんと分かるように描いているんですね。
タブレットを持った古都華は、「最後の晩餐」の絵を閉じ、再び聖書アプリを開いて、読み始めた。
イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。」(ルカによる福音書22章15節)
イエスはこのように言って、弟子たちと一緒に過越の食事をしたの。でもね、過越祭の食事というのは、ふつうは家族と食べるものなのだそうよ。
じゃあ、友人たちと一緒に過越祭をお祝いするのって、当時としては珍しいことだったんですね!?
イエスさまは、福音宣教の旅を共にしてきた弟子たちを家族同然に思っていたのかな……?
ネットがない時代だったら、ユダヤ人のご近所さんがいて、過越の食事に招待されでもしないかぎりは、わたしたちが過越のパンを味わうことは難しかったでしょうね。
正直、ユダヤ教やユダヤ人って、ぜんぜんピンと来てなかったかったんですけど、さっきのSix13の過越祭の歌を聴いて、親しみがわいてきました!
最近はオンライン礼拝も当たり前になったから、わたしたちが見たいと思えば、ユダヤ教会の礼拝だって見ることができちゃいますね!
先々代のローマ教皇だったヨハネ・パウロ2世は、東方正教会やユダヤ教、イスラム教との対話と和解を呼びかけたそうよ。前教皇のベネディクト16世も現在のフランシスコ教皇も、他の宗教との融和のため積極的に行動しているわ。
ひとって、未知のものに対して不安や恐怖を感じるものだから……相手に対して興味を持って、知ろうと努力することが、差別をなくす第一歩かもしれないですね。