第5話 心の行方
文字数 2,596文字
「あ。こいつだな」
岸辺がモニターを指差した。確かに賽河の横で黄門〇ゃまのドリンクホルダーに紙コップを置く人物が在った。身長は賽河くらいかスラリと華奢な体躯だ。8月の真夏日だというのにクーラーに弱いからなのか分からないが、少し上着を着込んでいるのに対して、下は踝 まであるオレンジ色のスカートを履いている。そして、ナイキのスポーツシューズを履いている。キャップを被り、そこから溢れふんわりとウエーブを巻いた赤い髪は肩まであり揺らいでいる。首にはスカーフが巻かれていた。
ぱちん! と岸辺が指を鳴らした。弾けた音が響く。
「女か。ははん、さては別れ話の縺 れか。はたまたと二股交際でもバレてしまったのかw 若者の股間はだらしないからこうなんの。もう少し、上手く立ち回らないと殺されかないんだからねぇ」
岸辺のだらしない下半身事情と交友関係を知る旧友でもある賽河の表情は見る見ると険しくなっていき、呆れたかのように眉間にしわを寄せて聞いた。
「オレは『お前が言うな』とツッコめばいいのか? ダリぃなぁ」
賽河の言葉にちっちっ! と指を左右に岸辺も反論を言い返した。下半身がだらしいないのは事実で、交友関係も男だろうと女だろうと襟好みせずに節操もなく、みだらに偏食もなくぺろりと食べてしまう。次から次に告白され頼まれ懇願され熱烈に口説かれれば、返事は息を吐くかのように寝室で腰を振る。本腰ではなく入れ込む熱もなければ、一晩の火遊びとそれっきりを繰り返すこと30年以上の言葉巧みな熟練術。一度も、怒鳴り込んできた相手も、また相手をして欲しいと望まれることもない。あと腐れなく終了をする。それが岸辺には自慢だ。恥ずべきこととは思わない。しかし、唯一と口説き落とせない人間もいる。
旧友の賽河だ。
どんな言葉も態度も、彼には届かない。熱を持って接しても、どんな反応もなく《友人》としての賽河の態度にもなんら変わりはない。避ける行為も近寄らないなんてことも、連絡をしないとも飲みに行かないことなどもない。普通にいつも通り。知り合って30年と、岸辺の性癖や下半身事情を熟知しても《友人》だ。
だからこそ隠し立てもなく赤裸々に告白を自慢のように言い放つことが出来る。
「僕は怨みを買わないのが得意なんだよ。どんな形にしろ円満に別れているし、こうして生きて国家権力の犬として――この話しは今は止そう。それで、この女はどこに行った? 外に逃走でもしたとか監視カメラなんかで分かるか?」
岸辺の問いかけに五十嵐もしどろもどろにテンパってしまい無言になる様子に「普通の犯人なら、とっととパチ屋なんかから出て、どっかで証拠なんか消すっすよ」根岸が腕を組みうんうんと顔を縦に動かす。
「泥船が沈む様を確認したくて現場に犯人は残る。その心も置いてだ」
賽河が強い口調で言い放つ。
彼の言葉に反応し噛みつくのは岸辺だ。
「しかしなぁ。防犯カメラなんざ沢山と設置されていて、それを全て確認なんざ、到底無理な話しだ。分析なんざは警察の鑑識連中に任せる他ねぇ……誰かさんの力で即、分かるってんなら。有難てぇけどよぉう」
演技じみた態度と言葉。明らかに賽河を煽り、動かすことが目的だ。事前に現生 を渡したのも、彼が引き下がらないようにする為の策略 だった。パトロンは飼う犬の働かせ方はお手の物。賽河も諦めた表情を浮かべた。
ポケットに突っ込まれた札束は惜しい。否応がなしに依頼と腹を括ることにした。
「現場はまだ、あのままだ。ホールに戻るぞ」
腹を括った賽河の表情は凛々しい。岸辺もほぅ、と見惚けるほどに恰好がいいのは、この場にいる全員が思ったことだ。
「ああ。鑑識 らも来るから怒られる前に好きにしてやっちゃってw」
岸辺は賽河の肩に肘を置いた。重い腕を振り落として賽河も岸辺を睨みつけると歩行補助である本来必要のない杖をついてホールへと戻った。
辺りは騒然としていた。殺人現場である為、当然のことだ。
早く終わって欲しい五十嵐も賽河に確認をする。
「何か。店 でしなきゃいけないことなどは」
「ないよ」
「はぁ」五十嵐も困惑するしかない。一体、探偵は何をし始める気なのかと。いつまでもこのままではもっと野次馬が集まり売り上げどころではなくなると。もう閉店にするしかないのかと、本社に伝えるべきかと本気に頭痛が起こり始める。
「今回は何をする気っすか?」
「死んだ魂は脆い。だから今は話しは出来ない。だから床に落ちている紙コップに残る犯人の心を使う」
ズボンの横ポケットから鐘 を取り出す。
「生霊をか?」
岸辺が聞いた言葉に「正解」と短く賽河も応えた。
「魂が本体へと導くだろうよ」
「どうして、ですか?」確信に強い言葉を吐く賽河に、五十嵐も不可解と疑問が抑えきれずに聞いてしまう。
「殺意や依存にしろ。人間には執着がある。本来の身体 に戻りたいってのは当然だろう?」
右手の人差し指と中指の間で上を挟み、ちりん、ちりりん……と数回鳴らした。何かを唱え始めた賽河を全員が固唾を飲んで魅入っている。そして、片膝を床につつけ紙コップに息を吹きかけるとカタカタ! と紙コップが大きく動き始めた。飛び散った中身が立体的に天井へと伸びたかと思えば人間の容姿に変わった。つまりは犯人だ。監視カメラに映し出されたままの容姿で、それは動き出した。
「行くぞ」
追う賽河に五十嵐も言葉を失くす。まさに絶句だ。
今、目の前で起こったことは現実的ではなく異世界ファンタジー。信じがたい状況に二の足も踏む。一緒に行った方がいいのだろうが身体が恐怖から硬直をしている。足が動かない。いうことを聞かない。
記者D)《生霊》と言われる存在は我々が考えるような半透明で透けていて、浮いていたんでしょうか? SNSなどで上がっている映像には何も映っておらず、若干と映っていたものは半透明に見えたのですが。顔なんかも至って普通の顔だったとか、何か変わったようには見受けられたりしたんですか? そもそも《生霊》とは生きている人間の情から産まれてしまう産物という認識なのですが。どうだったんでしょうか?
椅子に腰かけ腿 に置かれた手が遊び出したかと思えば、強く血管が浮くほどに握られた。記者もぎょっと口を閉ざした。
「だから。私も、……知りたくて追い駆けました。後悔はあります。あんなもの見ないに越したことはないですよ」
岸辺がモニターを指差した。確かに賽河の横で黄門〇ゃまのドリンクホルダーに紙コップを置く人物が在った。身長は賽河くらいかスラリと華奢な体躯だ。8月の真夏日だというのにクーラーに弱いからなのか分からないが、少し上着を着込んでいるのに対して、下は
ぱちん! と岸辺が指を鳴らした。弾けた音が響く。
「女か。ははん、さては別れ話の
岸辺のだらしない下半身事情と交友関係を知る旧友でもある賽河の表情は見る見ると険しくなっていき、呆れたかのように眉間にしわを寄せて聞いた。
「オレは『お前が言うな』とツッコめばいいのか? ダリぃなぁ」
賽河の言葉にちっちっ! と指を左右に岸辺も反論を言い返した。下半身がだらしいないのは事実で、交友関係も男だろうと女だろうと襟好みせずに節操もなく、みだらに偏食もなくぺろりと食べてしまう。次から次に告白され頼まれ懇願され熱烈に口説かれれば、返事は息を吐くかのように寝室で腰を振る。本腰ではなく入れ込む熱もなければ、一晩の火遊びとそれっきりを繰り返すこと30年以上の言葉巧みな熟練術。一度も、怒鳴り込んできた相手も、また相手をして欲しいと望まれることもない。あと腐れなく終了をする。それが岸辺には自慢だ。恥ずべきこととは思わない。しかし、唯一と口説き落とせない人間もいる。
旧友の賽河だ。
どんな言葉も態度も、彼には届かない。熱を持って接しても、どんな反応もなく《友人》としての賽河の態度にもなんら変わりはない。避ける行為も近寄らないなんてことも、連絡をしないとも飲みに行かないことなどもない。普通にいつも通り。知り合って30年と、岸辺の性癖や下半身事情を熟知しても《友人》だ。
だからこそ隠し立てもなく赤裸々に告白を自慢のように言い放つことが出来る。
「僕は怨みを買わないのが得意なんだよ。どんな形にしろ円満に別れているし、こうして生きて国家権力の犬として――この話しは今は止そう。それで、この女はどこに行った? 外に逃走でもしたとか監視カメラなんかで分かるか?」
岸辺の問いかけに五十嵐もしどろもどろにテンパってしまい無言になる様子に「普通の犯人なら、とっととパチ屋なんかから出て、どっかで証拠なんか消すっすよ」根岸が腕を組みうんうんと顔を縦に動かす。
「泥船が沈む様を確認したくて現場に犯人は残る。その心も置いてだ」
賽河が強い口調で言い放つ。
彼の言葉に反応し噛みつくのは岸辺だ。
「しかしなぁ。防犯カメラなんざ沢山と設置されていて、それを全て確認なんざ、到底無理な話しだ。分析なんざは警察の鑑識連中に任せる他ねぇ……誰かさんの力で即、分かるってんなら。有難てぇけどよぉう」
演技じみた態度と言葉。明らかに賽河を煽り、動かすことが目的だ。事前に
ポケットに突っ込まれた札束は惜しい。否応がなしに依頼と腹を括ることにした。
「現場はまだ、あのままだ。ホールに戻るぞ」
腹を括った賽河の表情は凛々しい。岸辺もほぅ、と見惚けるほどに恰好がいいのは、この場にいる全員が思ったことだ。
「ああ。
岸辺は賽河の肩に肘を置いた。重い腕を振り落として賽河も岸辺を睨みつけると歩行補助である本来必要のない杖をついてホールへと戻った。
辺りは騒然としていた。殺人現場である為、当然のことだ。
早く終わって欲しい五十嵐も賽河に確認をする。
「何か。
「ないよ」
「はぁ」五十嵐も困惑するしかない。一体、探偵は何をし始める気なのかと。いつまでもこのままではもっと野次馬が集まり売り上げどころではなくなると。もう閉店にするしかないのかと、本社に伝えるべきかと本気に頭痛が起こり始める。
「今回は何をする気っすか?」
「死んだ魂は脆い。だから今は話しは出来ない。だから床に落ちている紙コップに残る犯人の心を使う」
ズボンの横ポケットから
「生霊をか?」
岸辺が聞いた言葉に「正解」と短く賽河も応えた。
「魂が本体へと導くだろうよ」
「どうして、ですか?」確信に強い言葉を吐く賽河に、五十嵐も不可解と疑問が抑えきれずに聞いてしまう。
「殺意や依存にしろ。人間には執着がある。本来の
右手の人差し指と中指の間で上を挟み、ちりん、ちりりん……と数回鳴らした。何かを唱え始めた賽河を全員が固唾を飲んで魅入っている。そして、片膝を床につつけ紙コップに息を吹きかけるとカタカタ! と紙コップが大きく動き始めた。飛び散った中身が立体的に天井へと伸びたかと思えば人間の容姿に変わった。つまりは犯人だ。監視カメラに映し出されたままの容姿で、それは動き出した。
「行くぞ」
追う賽河に五十嵐も言葉を失くす。まさに絶句だ。
今、目の前で起こったことは現実的ではなく異世界ファンタジー。信じがたい状況に二の足も踏む。一緒に行った方がいいのだろうが身体が恐怖から硬直をしている。足が動かない。いうことを聞かない。
記者D)《生霊》と言われる存在は我々が考えるような半透明で透けていて、浮いていたんでしょうか? SNSなどで上がっている映像には何も映っておらず、若干と映っていたものは半透明に見えたのですが。顔なんかも至って普通の顔だったとか、何か変わったようには見受けられたりしたんですか? そもそも《生霊》とは生きている人間の情から産まれてしまう産物という認識なのですが。どうだったんでしょうか?
椅子に腰かけ
「だから。私も、……知りたくて追い駆けました。後悔はあります。あんなもの見ないに越したことはないですよ」