文字数 3,711文字

 午後は、約束どおり四郎が車で史奈と瑞希を旧軽井沢に連れて行ってくれた。
 裏通りの駐車場に車を停めて、軽井沢銀座と呼ばれる表通りへ。五月の平日なのでそれほど混雑はしていなかったとはいえ、それなりに観光客が多いことに二人はびっくりした。
「観光バスでも人がやってくるからね。今日は天気もいいし」
 ジャム屋やパン屋、軽井沢彫の工芸品など、メイン通りに連なる店をぶらぶら見て歩いた後、ひと区画引っ込んだところにある小さなカトリックの教会へ行った。
 チェコ出身の建築家アントニン・レイモンドが隣国スロバキアの建築様式を取り入れて設計したといわれる教会の建物は、木造の三角形の屋根と、その背後の小さな塔がメルヘンチックで可愛い。
「ここって、おじいさまが結婚式を挙げた教会だってお聞きしましたけど」
「百合香にきいたのか。そうさ。もう半世紀前だ。親族だけを呼んでささやかな式だった。……一応私と姉はクリスチャンなんでね」
 西山家は百合香の曾祖母が熱心なクリスチャンで、四郎と美佐がカトリックの洗礼を受けていることは知っている。とはいえ、四郎が教会に通ったり家でお祈りをしているところは、見たことがない。
 四郎の息子の裕章も幼時に洗礼を受けており、妻の莉々も結婚時に入信した。このままいけば百合香も同様になるところだったが、娘には自分で判断できるようになってから決めさせた方がいい、との両親の考えで見送られた。結果、百合香は洗礼を受けないままでいる。
 瑞希の方は単純に目を輝かせて、
「わあ、いいなあ。こんな可愛い教会で。すてき」
「瑞希ちゃんも教会で式を挙げたいのかい。ウエディングドレス着て」
「そうですね……あ」
 瑞希は史奈をちらっと見て、言葉を濁した。
「ここの教会は信者でなくても式を挙げられるからね。昔は芸能人なんかも挙式してたな」
 瑞希のウエディングドレスを史奈は想像した。可愛いだろうな、と思う。……それにはカミングアウトして周囲に認めてもらうのが先なのだが、どうするか、気が重い。

 そのあと現在の上皇陛下が若い頃に美智子妃と出会ったというテニスコートを見たり、その奥の別荘地を見て回ったりした。最後はホテルのカフェで、一服した。
 そんなに距離を歩いたわけではないが、いろいろ見て回って瑞希は疲れたのだろう。口数が少なくなった。
 そう言えば、小学生の頃、中学生の百合香と一緒にこのあたりに来たことがあって、百合香も別荘に帰って来てから具合が悪くなっていたことを思いだした。神経過敏な百合香は、知らない場所や人ごみが苦手で、よく熱を出した。瑞希は、百合香に比べれば神経が太く見えても、やっぱり繊細なところがあるのかもしれない。
「じゃあ、そろそろ帰るか。瑞希ちゃんは疲れたみたいだな」
 四郎も同じように感じたらしい。瑞希は首を振って、
「そんなでもないです。いろいろ見れて楽しかったです。またいつか来たいですね」
「秋の黄葉もきれいだよ。カラマツが夕陽を浴びて、空気が黄金色に染まる感じだな。よかったらまたね」
「はい」
 瑞希は元気に返事をしたが、ほんの僅かな声のトーンの違いに、やっぱり少し疲れてるな、と史奈は思った。

 カフェでのシフォンケーキがたたって、夕食は食欲があまりなく、ごくあっさり済ませた。早めに風呂に入り、ベッドで本を読んでいると、瑞希がやってきた。
「瑞希ちゃん、お風呂入ったの?」
「うん」
 すでに史奈と同じくパジャマを着ている。ベッドの反対側のソファに腰を下ろした。
「歩いて疲れたでしょう。瑞希ちゃん、あんまり元気なくなったから」
 瑞希は首を振った。
「ううん。そんなに疲れてないよ。お風呂入ったからもう平気。ふみちゃんこそ大丈夫?あんまりご飯食べてなかったけど」
「大丈夫よ。ホテルで食べたケーキが大きくてお腹いっぱいだったの」
「そうだったんだ。よかった」
 そう言えば瑞希が頼んだパンケーキも生クリームがかなり多めに載って、相当なカロリーのようだったが、彼女の方は夕飯も普通に食べていた。食欲旺盛なのに全然太らないのがうらやましい。
 瑞希はちょっと間をおいて、
「……それより、ふみちゃんに謝らなくちゃって」
「なにを?」
「さっき教会にいたときに、おじいさんが教会で結婚式挙げたって言ったときに、私も結婚式いいなあって言ったでしょ。ふみちゃんが嫌な思いしたかもって、気になって」
「そんなこと……」
 あんな可愛い教会で純白のウエディングドレスで式を挙げられたら、と女の子なら思うのは不思議ではない。
 同性婚が法律で認められなくても、式は挙げることができる。でも、今のところカトリックは同性婚を認めていないから、あそこの教会では無理だろうな、とは思う。そもそも純白のウエディングドレスというのは、女性が無垢の状態で男性のものになるという、家父長制的価値観に基づいているのではないだろうか。そんな難しいことを考えなくてもいいのかもしれないが、自分は着るのには違和感がある。
「私も一瞬だけど、瑞希ちゃんがウエディングドレス着てるところを想像しちゃったから。黙ってたけど。だから気にすることはないわ」
 瑞希がちょっと驚いたような視線を向けた。そして、安心したように微笑んだ。
「じゃあ、ふみちゃんも。なんだ。……でもさ、もし将来、私たちが一緒に暮らすとして、あと、同性婚とかが認められたとして、結婚式ってやるのかなあ」
「みんなが祝福してくれるならね」
 百合香と悠太は多分、祝福してくれるだろう。お互いの両親はどうだろうか。積極的にではないかもしれないが、半分あきらめて受け入れてくれると思う。祖父母になると、どうかわからない。
「二人ともウエディングドレス着てる外国人の写真見たけど、ああいう感じかしら」
「どうかなあ。瑞希ちゃんのドレス姿は見てみたいけど」
 不確定な将来のことはさておき、瑞希も自分とずっと暮らすことを考えているとわかって、史奈をちょっぴり幸福な気持ちにさせた。瑞希も自分との関係を大切に思っているのだ。
 史奈はベッドから立ち上がって、ソファの瑞希の隣に座った。
 手を握る。自分よりも若干大きい。柔らかいが、肉厚。やはりピアニストの手だ。この手の感触がほっとする。
 瑞希が顔を近づけて来た。
「ふみちゃん、今何を考えてるの」
「何って……そんなに何かを考えているわけじゃ」
「私、ふみちゃんみたいに頭良くないから、言われてもわからないかもしれないけど、でもふみちゃんが何を考えたり感じたりしているのか、もっと知りたい……そんな大したことじゃなくていいから」
 史奈は瑞希を見つめた。
「私、みんなに言われるんだ。『何を考えているかよくわからない』って。不安になるみたい。瑞希ちゃんも?」
「不安じゃないけど、でも、もっとふみちゃんのことを知りたいって思うよ」
「どうして?」
「どうしてって、好きだからだよ。私じゃ理解できない難しいことを考えてるかもしれないけど、でも少しはわかりたい」
「そんな難しいことは考えてないわ。でも……そうよね、瑞希ちゃんの言うとおりだわ。……私って苦手なの。自分の本心を打ち明けたら、嫌われるんじゃないかとか、あきれられるんじゃないかとか。でも、別にそんなに誰のことも悪く思っているわけじゃないし、瑞希ちゃんのことも大好きだと思ってる。本当よ。……だから、そうね、もっと自分の思ってることとか、もっと口に出すべきよね」
「別にふみちゃんのことを嫌ったりしないと思うよ。安心して。だって、ふみちゃんてとってもいい子じゃない。やさしくて思いやりがあって」
 瑞希が史奈の顔を覗き込むように、
「私ね、ずっとふみちゃんと一緒にいたいって思ってるよ。ずっと」
「私もよ」
「だから、今はまだ決心がつかないけど、二人でこれからも付き合うってなったら、お父さんとお母さんには言うつもり。おにいちゃんにもね」
「……カミングアウトってこと?」
「そう。みんなに認めてもらう。ううん、ぜったい認めさせる」
 瑞希との関係は自分が主導権を持っていたつもりだった。カミングアウトをどうするか、いろいろ考えていた。でも、自分が決めかねていたことを、瑞希はあっさりと言ってのけた。
 史奈は感情がこみあげてくるのを感じた。
 黙った史奈を見て瑞希が言う。
「でも、ふみちゃんが言わないでほしいなら、ふみちゃんのことは誰にも言わないよ。その場合は、私は男のひとには興味がないことだけ言うつもり」
「……」
 瑞希があわててティッシュをとって史奈の目に当てがう。
「ごめんね。泣いたりして。……ううん、私もそのときは瑞希ちゃんと一緒に言うわ。お母さんとお父さんに」
 自分よりもずっと彼女の方が二人のことを真剣に考えていたのではなかったか。自分みたいに余計な言い訳を考えることなく。
 彼女となら、取り繕って生きて行かなくてもいい。暖かく切ない感情が史奈を満たした。瑞希は何も言わず微笑みながら、句碑を軽く横に振った。
 気がつくと、瑞希の顔がすぐ近くにあった。こちらを見つめる可愛い瞳。暖かな息遣い。史奈は瑞希の首に腕をまわした。
 はじめての口づけはあっけないほど簡単だった。
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