文字数 2,574文字

 夕方、夕食の片付けが終わったあと、史奈は百合香に相談があると言って、彼女の寝室に二人で行った。
 まず前日からのいきさつを百合香に説明した。百合香もびっくりした様子だった。
「もちろん、おぼえているわよ。わたしがまだ小学生の時よね。奇遇ね。……真菜ちゃんはこちらの高校に通っているんだ。ぜひお会いしたいわ。お呼びする準備しなくちゃ。おじいちゃんがアフタヌーンティーって言ったのなら、お菓子を用意しないと」
 百合香は浮き浮きした表情だった。どこにも感情の曇りは感じられなかった。ならば。
「ところで百合香さん……」
「なあに?あ、相談て言ってたわよね」
「相談になるのかどうかもわからないんですけど、真菜ちゃんて、最後、突然いなくなりましたよね」
「ええ。ご両親がイギリスへ行ってしまうって。それがなにか……」
「私の記憶が少し飛んでるので、正確じゃないかもしれないんですけど、私、真菜ちゃんに最後、ひどいことを言ったんです。彼女を傷つけるような」
「そうなの?」
「百合香さんは本当は真菜ちゃんに会いたくないんだとか何とか。……もちろん、嘘なんですけど」
 百合香はほんの少し首をひねった。しばらくして、
「もしそうだとすると、真菜ちゃんがそれを憶えていた場合、明日会ったときに気まずくなるかもしれないっていうことを心配しているの?」
「というか、真菜ちゃんは私と会うと、嫌な記憶が甦って楽しくないんじゃないかって」
 百合香は史奈をじっと見た。
「何でしょう」
「ううん、……わたしもそんなにはっきり記憶しているわけではないけれど、わたしの知っている限りでは、確かに彼女にあまり事実と違うことを言ったみたいだけど、そんなに大したことではない、というか、真菜ちゃんも傷ついたり根に持ったり、ということはないと思うのよ」
「百合香さんも知ってたんですか」
 百合香は思い出すように遠い目をした。こういう何かを考えているときの百合香は本当に美しいと、ちょっと現在の状況にふさわしくない感想を史奈は抱いた。
「わたしが最後に彼女に会ったのかな。あなたは少し熱があるのか、忘れたけれど、多分そのあと、わたし一人であのお家へ行ったの。夏休みで、次の週には軽井沢へ行ってしまうから、しばらく会えないって言いに行ったのかしらね。わたしを見て真菜ちゃんはとても喜んでくれたの。でも、変なことを言うのよ。もう来てくれないと思ってたって。どうして?と訊いたら、史奈おねえちゃんが、私が真菜ちゃんのことを嫌ってるみたいなことを言ってたっていうのよ。嫌々会ってくれてるんだとか」
「……」
 史奈は身体が硬直した。
「そんなことない、わたしは真菜ちゃんのこと大好きだし、これからも一緒に遊びましょうねって言ったの。史奈おねえちゃんは何か勘違いしてるんでしょ。だから、こちらへ戻ってきたら、また来るからそれまで待っててね、って言ったら、彼女はニコニコして、じゃあ、約束ねって指切りしたのよ。でも、結局、急にお父さまの海外赴任が決まって会えなかったんだけどね。……わたしの思い出せることはこれくらいかしら」
 百合香は史奈を見た。少し気づかわし気な表情だった。腫れ物に触るというほどではないが、こちらが何を考えているのかを気にしている目。
 史奈は考えを巡らせた。
 真菜といろいろ遊んだり話をしたりしてわかったのは、彼女が自分に負けないくらい賢いということだった。一つ歳下にもかかわらず、いつもニコニコおっとりしているにもかかわらず、いろんなことを知っているし、記憶力もいい。何より話し方が論理的だった。普通、子ども同士でそんな特性に気づくことはないが、史奈には理解できた。彼女は自分と同類なのだということに。
 しかも、素直さでは、自分よりもずっと無邪気で子供らしいし、性格も優しい。
 百合香も、真菜のことをとても可愛がっているし、真菜もなついている。
 自分は真菜に嫉妬したのだ。このままだと、百合香を取られるとおそれたのだった。
 百合香は自分だけのものだ。美しく優雅で脆く儚い。自分が大切に守ってあげなければ。もっといえば、百合香を自分のものにしたいとさえ思う……。

「大丈夫?史奈」
 史奈は我にかえった。
「ごめんなさい。私、あした真菜ちゃんが来たら謝ります」
 百合香が史奈の手を取った。
「そうね。でも、真菜ちゃんはそんなこと忘れちゃってるかもしれないわよ。最後に会った時も、わたしが説明したらすっきりしたみたいで、あったときに、また史奈おねえちゃんとも遊びたいって言ってたし。相手が気にしていない限り、敢えてそんなことを言う必要はないんじゃないかしら」
「……」
「謝るのは、相手のために謝るのよ。自分のためじゃなくて。あなた自身が自分の気持ちの整理をつけたいという気持ちはわかるけど……ごめんなさい。えらそうなことを言って。そんなの全部わかってるわよね」
 感情の波が急にこみあげて来た。
「百合香さん、私が間違ってると思ったら遠慮なく言ってください。自分では言いたくないけど、私、時々自分勝手になるから。自分がいつも正しいって思ってしまうところがあるんです」
 百合香は微笑んだ。
「そうかもね。でも、史奈はえらいわ。そうやっていつも自分のことを顧みることができて。……だからあまり考えすぎない方がいいと思う。明日会ってみて、史奈に対してわだかまりを持っているようだったら、謝ればいい」
「百合香さん……」
「なあに」
「私のこと、面倒な子だって思ってませんか。自分でもそう思います。でも私、百合香さんとこれからも……」
 百合香は優しく微笑んだ。
「面倒なのはお互いさまでしょ。わたしだっていつも史奈にたくさん心配させて助けてもらってるし。……史奈のことが好きなのよ。言っていることにときたま不安になることもあったけど、でもそういうことを超えて、なんだかんだいって、離れられない、妹みたいなものかしら。わたしたちって」
 彼女が悠太というパートナーを得て、彼を頼りにするようになったことだし、百合香はもう自分からは離れていくべき存在のように思っていた。でも、それは間違いだ。やっぱり自分は彼女が好きだし、彼女が必要だ。
 今でもこんな自分勝手な私を見守ってくれている。大切なおねえさん。実の姉以上の存在を持てたことに史奈は感謝したかった。
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