文字数 1,635文字

 お昼前に百合香と四郎が戻って来た。
 スーパーで買ってきた冷製パスタとサラダで昼食を済ませる。
「晩御飯用にお肉買ってきたけど」
「じゃあ、私がつくりますね」
 史奈が申し出た。指を傷つけないよう、瑞希は刃物を使わないので、料理は基本的にしない。百合香は昔は少ししていたが、やはり最近は練習で忙しくて家事はほとんどやらなくなったようだ。とりあえずここでは洗濯のみ受け持っている。
「私もやるよ。いつも自分でつくってるんだから」
 四郎が言った。
「ただし、味付けは保証できないが」
「おにいちゃんがいたらなあ。こういうときは彼がいてくれると便利なんだけど。料理も掃除も洗濯もよろこんでするから。こっちが何も言わないのに」
「ごめんなさい。わたしがもう少し、しなくちゃね」
「あ、そういう意味じゃないです。ゆりかさん」
 慌てて瑞希が言った。やはりここでの食事の用意は自分が担当するしかないようだ。
 百合香も瑞希も練習で再びいなくなったあと、史奈はテーブルに残って新聞を眺めている四郎に声をかけた。
「絵を見せていただいて、ありがとうございました。とてもよかったです」
 四郎は微笑んで、
「それはよかった。結構枚数があるでしょう。よくもあれだけ描いたと自分でも思うときがある。見ていると疲れてきたんじゃないの?」
「はい、まだ十分の一もみてないです。またお時間があるとき見てもいいですか」
「もちろんだとも。見てもらえて私もうれしいよ」
「ところで、さっき見た絵でちょっと教えていただきたいことがあるんですけど」
「ほう、何かね」
「水色のお家の絵があったんです」
「どの絵だろう。……じゃあ、実物を見るか」
 四郎は立ち上がった。

「この絵です」
 一緒にアトリエに行き、さっきの絵を再び取り出して見せる。
「ああ、これね。おととし描いたんだったかな。……でもこの絵が気になるのかい」
「はい。どこでお描きになったのか、もし分かれば知りたいんです。見覚えがある建物のような気がして」
「もちろん、わかるとも。この近所だよ。ええと、その前の道を奥に入ったところさ。散歩していて偶然見つけた。きれいでしゃれた感じの玄関のデザインに惹かれて、家のひとに許可をもらって描いたんだ」
「かすみケ丘じゃないんですね」
「都会じゃ背景にこれほど深い森はないだろう。わが家の周りの木立だって、大したことはない」
 よく似たデザインの建物だったか。まあ、類似のデザインの家はあちこちにあるし、自分の記憶だって、写真のように正確というわけではない。
「じゃあ、史奈ちゃんの知ってる家とは違ったのかな」
「はい。私の見たのは家の近所でした。といっても私が小学校低学年の頃で、今はないんです」
「そうか。じゃあ、違うね。場所も時期も違う……でも、史奈ちゃんはよく昔のことを憶えてるねえ。出来事だとかは私も記憶にあるが、細かい風景なんかはもう、すっかり曖昧だ」
 感心する四郎に、史奈は一応、訊いてみた。
「この絵のお家の方はお名前はわかりますか」
「わかるよ……ええと、門倉さんだね。ご夫婦と、高校生の娘さんがいたな。地元の高校に通ってると言ってた。……そうだ、旦那さんは東京のコンピュータ関連の会社の役員で、コロナをきっかけに、遠隔勤務になって引っ越してこられたそうだ。奥さんは英語の翻訳をなさっていると言ってたな」
「……」
 まさに、その家族だ。
 なぜ同じような家が軽井沢にあるのだろうか。
 もしかしたら同じ工務店に依頼したのかもしれないし、デザインが気に入ってこちらでも同じ意匠にしたのかもしれない。可能性はいくつか考えられる。
「どうしたんだい?」
「いえ、何でもありません。ありがとうございます」
 史奈が席を離れようとすると、四郎が、
「ここからすぐ近くなんだよ。行ってみるかい?」
「え、いいんですか?」
「今日は午後旧軽井沢へ行くって約束したから、明日の午前中かな。よかったら案内してあげよう。明日は金曜だから多分奥さんはいるだろう」
「ありがとうございます」
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