第5話:忘年会での話、コソボ紛争とビッグバン

文字数 1,766文字

 酒匂川、川音川、中津川はアユ、ヤマメ、ニジマスが、釣れると言った。 夏は、西丹沢の山々がそびえ、麓「ふもと」の寄「やどりき」地区は、自然休養村に指定され、涼しくて、気温地良いと語った。御殿場線の松田駅から御殿場や沼津へ行け、不便ではないと話した。

 若い女性も多いのと聞かれ、年齢は、わからないが、女性も多いと語った、住むには、良い所だと言い寮も完備されて、飲んであるか中れば金はたまりそうだと笑った。櫛田が、柿生に狭山はどうなのと聞くと、都心まで、電車で約50分と交通の便は、まずまずで、夏には、関東三大七夕祭りの一つに数えられる「狭山市入間川七夕まつり」が開催される。

 祭の当日は。多くで賑わうと話した。「色は静岡 香りは宇治よ 味は狭山でとどめさす」と言われるように、狭山茶で有名で、緑豊かだと言い住環境は良いと話した。また、冬から春はいちご狩り、他にもブルーベリー、ぶどうの狩りが、有名だと話した。

 里村が、櫛田の所は、夏の避暑地、御殿場、箱根、富士山が近くで、羨ましいというと、確かに、釣りもゴルフもできるし、食べ物もおいしいし、高原も近くて、この地に仕事を持っている者にとっては良い所だと語った。毎月、三島、沼津、箱根、御殿場には、出かけるというと、川崎よりもずっと自然に恵まれて羨ましいと告げた。

 櫛田だって実家から都心に出るにも近くて便利じゃないかと言い返した。その後、女性の好きなタイプについて、話になったが、好みが重なることもなく、それぞれ勝手な事を言っていると22時過ぎになり解散し高尾へ帰っていった。そして1999年が明けた。

 昨年1998年2月から1999年2月にかけて行われたユーゴスラビア軍およびセルビア人勢力と、コソボの独立を求めるアルバニア人の武装組織コソボ解放軍との戦闘が続いた。1999年3月24日から6月20日にかけて行われた北大西洋条約機構「NATO」による、アライド・フォース作戦。

 この間、NATOはユーゴスラビア軍や民間の標的に対して攻撃を加え、アルバニア人勢力はユーゴスラビア軍との戦闘を続けた。攻撃の主力となったのはアメリカ空軍であったが、イギリス空軍も多数の支援航空機を派遣した。また、第二次世界大戦後初めての実戦参加となる空軍もNATOの一員として戦闘に参加した。

 その後、4月の時点で、国際連合は、アルバニア人を中心に85万人が故郷を離れたと報告している。空爆の開始から一週間経過した後もセルビア系による民族浄化が進められた。日本では、1999年は過去に例を見ない厳しい雇用情勢が続いた。総務庁の労働力調査では、6、7月の完全失業率が史上最悪の4.9%を記録し、300万人を超える人が失業の憂き目にあった。

 90年代を通じ不良債権に苦しみ続けた日本の銀行が、金融ビッグバン時代での生き残りをかけ共同持ち株会社設立や合併、再編戦略を相次いで打ち出した。1999年8月、第一勧銀、富士銀行、日本興業銀行の3行が持ち株会社設立による経営統合を発表。10月には住友銀行とさくら銀行の旧財閥系2行も合併で合意。これで潰れない巨大銀行を作ろうと考えた。

 12月29日、早朝、証券会社の担当者の電話で村田株の気配値、3310円で買いと言われ同意し成り行き買い注文を出した。直ぐに331万円で買え、残金が69万円となった。この年も12月30日、八王子で、忘年会をしませんかと里村から電話が、入った。櫛田が、参加すると答えた。

 忘年会当日も櫛田は、集合時間18時に行くと既に、里村、柿生も来ていた。ビールで乾杯して、何か、良い事なかったかと、里村が聞いた。櫛田も柿生も、特になしと、答えると、里村が、俺、彼女ができたと、誇らしげに言うではないか、同じ会社の娘さんと聞くと、その通りとおどけて言った。富士通の総務課の灰田節子さんと言い、1つ年下だと言った。

 短大で出身で、声がきれいなんだと、自慢した。なれそめはと、聞かれて、音楽と映画の趣味があって、一緒に映画を見に行くようになったと語った。彼女の趣味は、音楽鑑賞だと聞かされた。そこで、秋葉原に行き豪華なステレオで、ヨーロッパの映画音楽、ヘンリーマンシーニ、ポールモーリア、フランシスレイなど、音楽の趣味もぴったり合って話が弾んだと、語った
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