第2話:高尾山麓氷川神社近くの3人が、子供の誕生

文字数 1,738文字

 櫛田重吉は、高尾山麓氷川神社近くで、昔から土産物屋を営んでいる櫛田家の親戚で、先祖が、広い土地を持っていた。そのため、参拝客のための駐車場や貸家、貸土地など不動産業も兄弟で、経営していた。そのお陰で、長男の櫛田和重と長女の櫛田富江も経済的には不自由ない生活をしていた。

 父は、長男の櫛田和重に期待して、大学に入って経営学を学んで、店を継いで、もらおうと考えていた。しかし櫛田和重は、人見知りが激しく、商売人には向かないと感じていた。それよりも中学の化学の実験で、透明な液体が色を変えたり気体が、液体なったりするのに興味を持ち化学の勉強をしたいと考えた。

 その後、浅川小学校を卒業し浅川中学に入った。地元で小学校時代からの友人、柿生保和は、高尾で高尾モータースで、自転車、バイク、車の中古を販売店を営んでいた。そのため、柿生保和は、父の後を継ぐため機械の勉強しようと考えていた。

 里村重富の母は、神社で、巫女さんをしていて、父は、中央大学、経済学部を卒業し、氷川神社の事務、経理を任されていた。里村重富は、父が、元祖マイコン・オタクで、PC9800を皮切りに購入してプログラムを作って楽しんでいた。そのためか、里村重富も電気製品に興味を持ち、父のお下がりのパソコンをいじっていた。

 そして将来は、電気の専門家になりたいと、考えるようになった。家に帰るとパソコンをいじっていた。しかし櫛田、柿生、里村の共通の趣味は、ハイキングで、小学校4年の時、高尾モータースで、中古自転車を買った。夏に東京サマーランドに3人で出かけ夕方まで泳いで帰って来て夕飯を食べ疲れてすぐ寝た。

 その後、津久井湖、相模湖に出かけ自然の環境が好きになった。小学校6年の夏休みには、家を朝7時出発し津久井湖の南を走り青根キャンプ場に9時過ぎ、道志川の冷たい川で、泳いで、16時に出発し18時過ぎ自宅に帰った。もちろん疲れて風呂に入り夕食を食べると、直ぐに爆睡した。

 その他、宮ケ瀬湖、宮ケ瀬ダムに出かけて、放水の様子を見ていると、水しぶきが上がり、それが、冷たい風になりとても心地よかった。その日は、宮ケ瀬湖の湖畔を周遊して、多くの写真を撮って自宅に帰ったが、この日も風呂に入り、夕食後、直ぐに眠りに落ちた。その他には、秋川渓谷での釣りが、面白かった。そんな楽しい経験して中学に入学した。

 突然、日曜日、パソコン好きな里村が、秋葉原へ行こう誘われ中央線快速で新宿経由で秋葉原へ出た。すると大勢の人に圧倒された。里村が案内してくれたので秋葉原に着いたが、一人では、乗り換えが面倒で、行く気になれない。秋葉原に着くと電気街を回りパソコンのデモ機をいじってゲームをして楽しんだ。

 その後、大きな電気店に入り立派なステレオのセットの前の椅子に座って、気に入った洋楽を聞いて音の素晴らしさを体感した。しかし、東京のような大都会に出たいという気持ちは、あまりなかった。中学に入ると、櫛田が、東京高専の物質工学科、柿生は、東京高専の機械科、里村は、東京高専の電気科を受験したいと話し合っていた。

 そのため、中学1年の時から、近所の大学生に東京高専に合格するため家庭教師をお願いし、受験勉強を開始した。3人は、櫛田の家に集まり、8畳の部屋で、毎週2回、受験勉強を始めた。3人の中では、里村が、英語、国語の文系が得意で、櫛田は、数学、理科など理系が、得意だった。柿生の成績が、里村、櫛田に遅れを取っていた。

 しかし、持ち前の負けず嫌いで、頑張って猛勉強し追いついてきた。やがて1992年、1月下旬、櫛田が、東京高専の物質工学科、柿生は、東京高専の機械科、里村は、東京高専の電気科を受験し、合格を勝ち取った。一番喜んだのが、柿生で合格を知った時、目が潤んでいた。そして1992年4月から自転車で15分で、東京高専に通い始めた。

 自分が、好きで選んだ道なので、黙々と勉強を続け、高専3年、1994年には、専門を決めて、専門課程に入った。柿生は、機械の中でも自動車工学を選択、里村は、電気の中でもコンピューターを選択、櫛田が、東京高専の物質工学科の中でも環境・エネルギー問題を選択した。櫛田は、特に地球温暖化問題に興味を持っていた。
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