第4話 修道女視点 戦禍の兆し

文字数 4,685文字

 翌朝、魔女イレイナが見当たらない。早く起きるのは修道会の務め。怠惰であってはいけない。
 しかし、目標がいないとなると二つの意味で問題がある。
 一つは目標を見失う怖れ。もう一つは同姓がいないことだ。
 何と言えば良いか。修道会では女性と男性は別々に暮らすのが習わしであった。それ故に女性特有の問題もあり、着替えなどは何処でしているかなどもある。
 本来、女性と男性が同居していることが問題である。婚姻の儀を果たしているのであればともかく全く結婚の約束もしていない両性が同居するなど不埒も甚だしいとしか言えない。
 酔いつぶれいる海賊達を後目に魔女を探し始める。思ったより速く見つけられた。なるほど、船内には女性専用の個室を造っている構造なのか。それともこの船だけ特例なのか? 
 扉を叩いて中に入りたいことを伝える。
 すぐさま快諾してくれた。

「失礼致します」
「おお、入りゃんせ」

 魔女は正装らしき衣装に身を包もうとしていた。

「それは正装ですか?」
「魔法使いとしてね。ついでに船長としての」
「学者気質なのか海賊気質なのかよく判らない正装ですね」
「全くだにゃー。わっちも好きでこんな格好している訳ではないの」
「今日は特別な日なのですか?」
「そうそう、特別な日じゃ」

 何か外交的なことでもするのだろうか?

 着替え終わると早々に船の荒くれ達を叱咤する。

「よく聴け! 今日は客人の招待を改めてする! エレイナ嬢、前へ」

 突然のことに戸惑うが、致し方ない。改めて前に進み出る。

「昨日の宴で知ってはいるが、改めて紹介する。エレイナ。彼女は偶然教皇庁から来た客人である。しかるにわっちはこの客人に無礼を働くことを禁ずる。おんしらも判っているがわっちらには教皇庁と争いをするつもりはまだない。彼女を大切にするのは外交的な問題だと知れい」

 海賊達は神妙な面持ちで聴いていた。

「エレイナです。改めて宜しくお願い致します」

 口笛が鳴り響く。少し不快ではあるが意図的なものではないのであえて黙る。

 拍手があちらこちらで鳴り響く。

 してやられたかも知れない。
 
 あらかじめ客人として指定するとは。これではこちらも迂闊に動けない。 
 いや、逆に考えれば良いのか。客人として迎え入れられたのだから魔女の動向を探れる時間も出来たと考える方が得策だ。

「これから宜しくお願い致します。イレイナ船長」
「あー、やっぱりその敬語は治らんかえ?」
「これが私達教皇庁の振る舞いですので」
「ま、良いさね。と言うことでおんしら、エレイナ嬢に下手したら判るのう?」

 海賊達の間で途端に戦慄が走る。

「はい、船長!」
「仰せのままで!」

 少し行儀を習う者もいたらしい。なるほど、海賊とは野蛮のみではない。しっかりと統率が取れている。教育というもの一定数届いているらしい。

「さて、今日は情報通りならスペインの商船が通る日じゃ。当然、軍艦も付いてくる。各員、戦闘準備」

 しかし、不思議だ。この一船のみで海軍に対抗しようというのだから。
 どうあがいても勝算はなさそうだが。

「商船発見!軍艦二隻発見!」
「打ち方よーい」

 この距離から砲撃は届かないのでは?
 そう思った矢先、魔女は悪い表情になっていた。それはまるであたかもいたずらを行う子供の如き表情。

「斉射!」

 船の側面から砲弾が発射される。されるが、届きそうもない。すると魔女は杖を鳴らし「風よ、吹けい!」と語りかけるやいなや砲弾の距離が伸び、相手方の軍艦に衝突する。

 あれが魔法なのか? 風を操作出来るとは驚きだ。

 魔女はケタケタ嗤って沈みゆく軍艦を眺めていた。

「大漁大漁!」

 船は商船に近付くと海賊達は途端に臨戦態勢に入った。

「イレイナ船長、なぜ皆さん武装するのですか?」
「質が良い商船には護衛が付き物じゃ。しかるに今回は以前より強いもんらを揃えておる。まあ、エレイナ嬢はここから見学じゃな」
「エレイナさん、俺頑張るぜ!」
「金の指輪があったら持って帰るぜ!」

 いや、それ以前に略奪を止めて欲しい。この人達はどういう訳か自分に何かを見せつけたいらしい。何を考えているのか?
 金は高貴の象徴と共に堕落の象徴でもある。
 この様なもので乙女達は心揺らぐのであろうか?

「わっちにも寄越せよお」
「はい、船長!」
「がってんだあ!」

 魔女はこちらに歩み寄る。

「エレイナ嬢、おんし不思議そうな表情をしているのう。略奪を見るのは初めてかえ?」
「これは神の道から外れています」
「皆おんしを喜ばせる為に張り切っておるだけじゃよー」
「この様な神の道に反し行為で得た金銀は全て贖罪の為に用いれらるべきです」
「尤もじゃな。しかし、かつてローマ帝国もエルサレム神殿から略奪し、金銀を得た」
「彼らが敗北したのは主の御心だったのです」
「わっちらもただブリテン本国の政府の依頼でやっておるにしか過ぎんよう」
「それがブリタニア王国の意志ですか? ルターと同じく彼らも神の道に背くのですね?」
「昨日の話の蒸し返しさね。でも、ルターはもっと純粋。これはただの略奪行為さね。もっと政治的な話の問題。ブリテン本国がスペインと並ぶ為の手段じゃよ」
「世界帝国スペインと並ぶ……ですか?」
「富というものは厄介さね。仕えることが出来ないし、仕えたら仕えたで神の道に背く。そうでも世界の頂点に立つ為には誰かの財布から富を絞らんと成り立たないのじゃ。おんしらスペインの栄光ばかり語るが新大陸の住民がどうなったのか知らんかえ? それも又神のご意志だとでも」
「………………」
「ええ子じゃな。おんしは。決して真実から目を背けないのがとても純粋さね」

 勿論、こちらだって判っている。スペインやポルトガルの行った業は神の御業とは程遠い。司教方は富にばかり眼を向けて無辜の民の犠牲をないがしろにしている。
 スペインのやっていることは決して神の御前で赦されるものではない。
 だが、スペインのもたらした富は教会を豊かにした。
 それもまたどうしようもない事実で一介の信者である自分が何も出来ないことは重々承知していた。
「イレイナ船長、これはただの懇願ですが……」
「わーちょっる。むやみな犠牲はださんよ」
「ありがとうございます。あなたに神のご加護があります様に」
「祈るなら部下達の為にも祈ってやっておくれ。こやつらは皆訳ありでね」
「何か事情があって海賊をなされているということですか?」
「そう、借金がある者もいれば、家族の為に海賊をする輩もいる。やっていることこそ褒められんが、こやつらはこやつらで生きるのに必死なんよ」

 魔女が珍しくため息をついた。
 そちらはそちらで深い事情があるのは判った。
 どちらにも事情があり、致し方なく争いをしている。
 彼らに悪意はない。生きるのに精一杯なのだ。
 彼らはもしかして生き方さえ違えれば普通の人生を送って幸せに暮らせたのかも知れない。

 だとすれば、イレイナは何を考えているのだろうか?

 魔女が人助けをしている? それは教皇庁との見解が異なる。

 だが、実際彼女と会って判ったこともある。

 彼女にも一種の信仰がある。彼女は彼女なりに歴史上の神学を研究している。

 その点を視ても立派であると感じる。おそらく、彼女は自分より神学的知識を持っており、自分に合わせてくれているのではないか?
 
 自分もルターの熱烈な信仰を否定したくはない。本音を言えば、あの時代に大司教が行った贖宥状の件はあまりにも神に対して無礼過ぎる。

 形の上ではルターを批判せざるを得ない。だが、イレイナがルターを評価することは内心理解出来る。

 これは教皇庁の面子の問題でもあるのだ。

 生まれて間もないプロテスタント教会に対して退かないという形なのだ。

 それが却って民を苦しめている。

 確かに信仰の自由は領主においてのみ神聖ローマ帝国においても認められている。けれども問題は民の方なのだ。ルターが行ったのは善のみではない。彼は農民の反乱を鎮圧する為に諸侯の力を利用した。一見、正しい行いかも知れないが下々の民をないがしろにした行為は神の御前で釈明しなくはならない。
 皮肉にもルターの奴隷意志説はある程度有効だったと言わざる得ない。奴隷意志とは端的に述べれば人は自由な意志において悪しか行い得ないものである。その他方で神がその悪を善に転用するという説である。彼は聖アウグスティヌスの研究をしていたのも関わらず、アウグスティヌスの自由意志論の解釈をそのまま受け止めるのでなく彼なりに解釈したのだ。
 
 これらの原理を統一することなど現時点では不可能であった。

 だからこそ教皇庁とプロテスタント教会は袂を分かったのだ。

 そう考えている内に決着したらしい。どうやらイレイナの言った通り荒事は最小限に抑えてくれたらしい。

 その点は神と魔女、そして海賊達に感謝である。

「いやー、きな臭い感じやえ」
「何がですか?」
「何というかな、嵐が近づいてきている雰囲気さね」
「嵐ですか?」

 そうは言っても晴天である。これから天気が崩れるのだろうか?
 魔女は察して答えを垂れた。

「おそらく、ブリテンとスペインは戦争になるかにゃ。以前とは比較にならない位、金銀を本国に運んでいる有様を視るとおそらく戦争の準備をしているのさね。わっちらも海賊稼業はそろそろ潮時なのかも知れんの」
「戦争ですか……」

 正直、あまり聴きたくない話でもある。
 しかし、スペインとブリテンが戦争とは。いよいよもって対立が極みに到達するのか。

「あー、やっぱりのう……」

 魔女が手にしているのは略奪した船から押収した紙。文字の読み書きは出来るので一緒になって読む。
 やはり近々スペインはブリテンに宣戦布告するつもりだ。

「イレイナ船長は本国に戻るのですか?」
「訊いてみるかにゃー」

 そういってどこからともなく水晶玉を取り出した。

「こちらはイレイナじゃ」

 イレイナは水晶玉に対して話しかけていた。水晶玉から英語が流れてくる。

 やはりブリテンの女王はスペインと一戦交えるつもりらしい。

 両方とも戦争する気なのだ。

「承知した。わっちらはそのまま略奪を続ければええのか」

 それにしても凄まじい技術だ。遠方から離れた本国に連絡してしまうなど。明らかにこの技術は異質である。魔女とは底知れないものを持ちあわせている人達なのか?

 会話が終わった様子でこちらが水晶玉を見つめているとイレイナは勘付いた様子で説明し始めた。

「おんし、この水晶玉がブリテンの魔術師らが皆使えると思うとるね? けれど外れじゃ。こんな高度な技術はな学部長級にならんと使えんよ。つまり最も高い位階の魔術師か魔法使いにしか使えん技かの」
「ですが、その様な技術があればさしものスペインとて警戒します」
「とは言ってものう。戦争は数こそが力なんじゃね。どんな精鋭でも勝てることはない。まあ、古代ギリシャのスパルタの様な例外はあるがのう」
「そうですか……」

 けれども、この技術は使わないのはなぜだろう? 使えば戦争の在り方を変えてしまうから?

「まあ、苦境に立たされた時に牙をむくに近いしのう。ブリテン本国が苦戦し始めた女王陛下も使い始めるだろうかにゃ」
「納得は出来ませんが……」
「まあまあ、わっちらはゆっくり船旅じゃー」

 そう言ってイレイナは船室に戻って行った。略奪した宝物には目も向けずに。

 ただ、可哀そうだったのが、王達の為に散った命だった。

 その者達の魂の安息を祈った。

 後、海賊達がうるさい。金の指輪だの首飾りなどを贈ってくるからそれとなく「本国にいるご家族の為に……」と濁して伝えた。
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