第2話 修道女視点 邂逅

文字数 2,901文字

「何でこんなことに……」

 そう言いながらエレイナは愚痴っていた。
 当然である。難破船の生き残りを装ってかのブリタニアの誇る魔女イレイナの許に忍び入る。あわよくば彼女を殺害せよ。教皇庁というより聖騎士団の独断である。
 教皇庁は確かに自分を選んだ。しかし、それはより外交的に解決することを望んだのであって暗殺までは検討していなかった。

「まあ、カテドラルの思惑なんて判らないけれど」

 そんなことを言うが、実際この作戦は如何かと誰もが思う。血気盛んな海賊が若い年頃の娘を観たらどうするなど判り切っていそうなものだが。

「判っております。聖アウグスティヌスよ。たとえ、この身が汚れようとも心さえ純潔なれば女性は永遠に聖なる処女である、と。アーメン」

 愚痴る間にも目的の船はやって来た。
 海賊達は大騒ぎである。
 彼らは急いで縄を出し、掴まる様に声掛けしている。それより勇敢な者は我先に海に飛び込み、自分を助けようと泳いでくる。
 自分は当初異教徒同然の存在とみなしていた存在達が親切であることに内心驚きながらその施しを甘んじて受けることを善しとした。
 いかにもか弱そうな雰囲気を醸し出して弱々しく語った。

「大丈夫かい? 嬢ちゃん、しっかりしな!」

 そう言って男達は自分を船に手繰り寄せていく。
 船にあがると男達は安堵の微笑みを浮かべていた。

「いやあ、良かった!」
「調子はどうだ? あれなら樽にしまったものを飲むか?」
「い、いえ。大丈夫です」

 そう言い距離を取った。ここは異教徒共の船。何があってもおかしくはない。

「ふわあ、何かえ? おんしら、わっちの昼寝時間を邪魔するなあ」

 一際、可愛らしげな少女が出てきた。なるほど、この女性こそブリタニアが世界に誇る大魔女か。

「うん? うーん?」

 少女は何かに気付いた様にこちらを凝視する。

「な、何か?」
「おんし、生まれは何処じゃ?」
「教皇庁です」

 とっさに言ってしまい、後から内心で「しまった」と思ってももう遅い。
 男達が途端に恐怖の視線をこちらに向けてくる。
 しかし、少女は動じることなく、「ほーか、ほーか、正直なことはええことじゃ。わっちらをブリテンの者と知っておって言っておるか?」と尋ねてきた。

「いいえ」
「善い! 度胸もあるかえ! 見事じゃな! おんしら、船長命令じゃ。今宵は宴じゃー」

 皆がどよめきながらも歓喜の声にわく。

「但し、夜伽はなしじゃ」

 周囲の海賊達は途端に気落ちする。何だ? 宴は判るが夜伽とは何だ?

「あのう……夜伽とは?」
「おんし、生娘じゃな。夜伽とは普段わっちがこやつらにやっているご褒美みたいなものさね。まあ、おんしは知らん方がええ」

 何かはぐらかされている。だが、良い。今は潜入にのみ特化する。

 その夜、盛大な宴が催された。海から釣った新鮮な魚介類に保存用の干し肉。野菜はないが、代わりに栄養あるラム酒などを船内で調理され差し出された。
 ここに来て自分は少し思い違いをしていた。
 この人達は案外善い人かも知れない。
 そういう胸中が過った。酷いことはされないし,皆が陽気でこちらも幾分励まされる。
 皆が酔いどれになってきた頃、目標の魔女が声掛けてきた。

「良い飲みっぷりじゃー。教皇庁においとくのも勿体ないの」
「あ、あの船長……」
「イレイナ。わっちの名はイレイナという」
「私はエレイナと申します」
「ほう! 名前も近しいの。何やら他人にも思えん。で、エレイナ嬢。実を言うと済まんがわっち魔法使いでのう……そのう、おんしには不快かも知れん」
「魔法と魔術は何か違うのですか?」
「そこから説明か。うーん、魔術とはな、生活の中でも使えるものを指す。対して魔法とは神秘みたいなもんじゃー。要するに人には出来んことをやるのが魔法じゃ。だから、わっちは魔術師でもあり、魔女でもあり、魔法使いでもある」
「なるほど、凄まじく等級が高いお方だと」
「ああー、ええ、ええ。ここではそんな堅苦しいことは抜きじゃ。わっちは王立魔術協会のそういう研究室みたいな場所が嫌いでこんな稼業をやっとるのよ」
「はあ……お仕事は海賊ですか?」
「まあ、そうさね。今のところは」

 今のところ? 報告では海賊生活に浸かってばかりだった様な。

「わっちの究極の目的は根源なんじゃ」
「根源?」
「うむ、根源には二種類あってのう。一つの根源はわっちが所有する魔術師や魔法使いが目指す森羅万象の源なのじゃ。しかし、わっちが目指す根源は全く別の存在なのじゃ」
「よく判らないのですが……」
「おんしは教皇庁の何処に所属しておる?」
「聖アウグスティヌス修道会です」
「なるほど、神聖ローマ帝国で勃興したプロテスタント教会のマルティン・ルターの出もそこじゃったな」
「あの様な反キリストなど……」
「まあまあ、苛立つなかれじゃよ。聞くに早く、怒るに遅くとは言わんかえ?」
「私共聖アウグスティヌス修道会は決して神の道を外したり致しません」
「強情じゃー。そうしたらわっちらはどうなるのかね?」
「それは……」

 不覚にも一瞬善い人達だと思ってしまった。

「わっちはルターの生き様の全ては知らん。けれど彼の生涯を誇りにも思う」
「誇り?」
「ルターは聖アウグスティヌス修道会の一人としてスコラ哲学の研究も熱心じゃったし、彼は聖アウグスティヌスの思想を読み返して神学論をメランヒトンらと共に立ち上げた。彼の人生の全てが正しいとは思わない。ただ……」
「ただ?」
「彼が神と共に生きたのかと思う時、わたしは無性に彼を羨ましく想う」

 わっちを使わず、わたしと言った。この魔女には何か二面性があるのだろうか?

「ですが、彼は教皇聖下に背きました。これは聖ペトロの座を汚すことに他なりません。ひいては私達の主イエス・キリストをも裏切ることにも等しいです」
「それは聖書に聖ペトロが主なるイエスから天国の鍵を渡されたからかにゃ?」
「全くその通りです。ですが……」
「ですが?」
「あ、あなた達は善い人かも知れません。聖アウグスティヌスは書物にて仰っておりました。異教徒も神の御業を働く、いえ、むしろ異教徒の方が時として神の御業をする時があるとも」
「おお、おんしはかなり見込みがある。そうじゃとも聖アウグスティヌスの教えを軽んじる輩が多い多い。教会に土台をもたらした聖者を研究せんとは何たる無礼かと王立協会の魔術師共にも言ってやりたいわ」

 ちょっと良い気分だ。普段は慎ましやかな生活を心がけているが、こうも聖アウグスティヌスの研究を出来る者と出会えるとは。
 魔術の世界でも神の権威が存在している様で少し安堵した。
「おんし、それで話を戻すのじゃが、教会の中で根源のことを聴いたことはないかえ」
「根源という言葉自体が聞きおぼえがありません」
「ふーむ、さすがの教皇庁も知らんのかにゃ? それとも」

「とぼけているだけか」と彼女はこちらにしか伝わらない様に小声で独白した。

 そんな根源なんて大層な代物は聴いたことがない。もし、ありえるとすれば司教級でなければ判らないことではないだろうか。

 いずれにせよ、自分には程遠い話だと感じる。

 魔法使いというのは教授に近い職なのかも知れない。
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