第1話 ネズミ篇  ふとどき女房

文字数 1,171文字

 私の父は親バカです。娘の私を世界でいちばん強い男のもとに嫁入りさせると息巻いて、大騒ぎで婿さがしをした挙げ句、結論は「世界でいちばん強いのはネズミ」ですって。で、私は父が選んだ雄ネズミのもとに嫁入りさせられました。
 あの頃は若く無知だった私も、ネズミ算式に子どもを産み、歳を重ねて暮らしに疲れたおかみさんになりました。世界でいちばん強かったはずの亭主は、ネコが来たと言っては泡を食って逃げ、人間に見つかると言ってはこそこそ隠れ、日々の食い扶持の算段でいっぱいいっぱいの、くたびれたおやじになりました。
 今は亡きおとうさん、かわいい娘に最高の嫁入り先を見つけてやりたかったのよね、自分の娘は特別だ、それだけの価値があるって、無邪気に信じていたのよね。愛してくれてありがとう。でも、あなたの娘は、特別なんかじゃない、どこにでもいるただの雌ネズミだったのです。そして、あなたが世界一と見込んだ花婿も、ただの雄ネズミだった。私たちネズミの一生なんてそんなものです。
 でもね、おとうさん。あなたが欲を持ったおかげで、私、見なくてもいいものを見てしまったの。気づかなくてもいいことに気づいてしまったの。「世界一の婿どのはどこに?」、そう、世界にはネズミ以外のものたちがいっぱいいる、私の知らないことだらけ、世界ははてしなく広いんだって。そんな世界を見てみたい!その思いは日に日に私の小さな頭の中で膨らんでいって、私、いい歳したおかみさんなのに、もう破裂しそうです。
この前、こんな話を聞きました。私みたいなありふれたネズミの女房の話です。彼女は、チーズのことしか頭にない亭主と暮らしていて、ある日、鳥かごに囚われたハトと知り合った。ハトは、外の世界の素晴らしさをネズミ女房に語って、「ここから出して欲しい」と懇願する。ネズミ女房はハトとハトの語る外の世界に憧れながらも、ハトが自分のことしか考えていないことを知っていた。そして、意を決してハトを逃がしてやる。ハトは、自分を助けたネズミのことなど見向きもしないで、大空に飛び立っていってしまうの。ネズミ女房は、チーズのことしか頭にない亭主のもとに戻って、黙って年老いていったのですって。  
私、この話を聞いた日、夜中にこっそりひとりで泣きました。ネズミ女房は、ハトと出会わなきゃ良かったの?ハトを逃がしてやらなきゃ良かったの?ハトが飛び去ってしまった後のほうが、ハトに出会う前よりもっとずっと寂しくなったんじゃないの?見ない方が、知らない方がやすらかに暮らしていけることもあるんじゃないの?
でもね、おとうさん、私やっぱり思うのです。私は、私のハトが欲しい、いつかきっと逢いたいって。私って、ふとどきなネズミ女房なのでしょうか?
       ※参考図書:R・ゴッテン作 石井桃子訳 「ねずみ女房」 福音館書店
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