第2話

文字数 4,119文字

女の子が目を覚ますまでクリスティーンとステラさんは病院の待合室で待機していた。
その間にクリスティーンのお母さんがやってくる。
クリスティーンを見るなり、お母さんは
「あなたも、本当に物好きね。まあ、私も記事を書くための良いネタにはなりそうだけど…」
と娘の性分から将来を心配していた挙句、呆れ得た様子であった。
とはいえ、人気ブロガーとして片時も仕事のことを忘れないでいる母に少しクリスティーンは感心した。
母からクリスティーンは注意を受けていると、
看護婦からアナウンスで呼び出された。
病室に向かうと倒れてしまった女の子は、下を向いたまま神妙な面持ちで座っていた。
医師と看護婦は優しい表情で
「心配ありません、おそらく緊張がほぐれたこと、そして気温が低かったかことから一時的なてんかんを起こしたようです。もう大丈夫ですよ」
だが、少女は深刻な顔をしている。
「よかったね・・・」
とクリスティーンが声をかけたその時、
「申し訳ございません!!!」
と大きな声が背後から聞こえた。
振り返ると眼鏡をかけた如何にもイギリス人らしい真面目そうで体格の良い女性が息を切らしながら立っていた。
クリスティーンとその母とステラさんは、首をかしげるやいなや、
彼女は
「私はこの子の学校の教師です!」
眼鏡を整えながらそう言った。
そう、ステラさんは女の子がしがみついていた塀が寄宿制の女学校であることを確認し、すでに電話で手配していたのであった。
「通報いただいて助かりました。シャーロットはクラスでは浮いていて、よく私に叱られていますが、基本的には寡黙な子で・・・いつも大人しく静かな子なんですが・・・」
この言葉を聞いて、クリスティーンは「背後に何かある!」と直感的にそう思った。
一方、クリスティーンの母も何かに感づいた。
「ええ、私たちは大丈夫ですよ。これくらいお安い御用です。ただ、先生(マダム)のおっしゃることが正しいなら、この子にも何か訳があるんじゃないですか?」
「そうですね。私も今からそれを問いただそうと思っておりまして・・・」
その瞬間、母の目がキラリと鈍く光るのをクリスティーンは逃さなかった。
クリスティーンの母は、元々はとある雑誌の編集長であった。
最初はファッション誌であったが、怖いもの知らずの言動やいつも自然そのもので取材している様子が話題になり、女性キャリア指南のブロガーとして一躍有名になっていった。
クリスティーンの母は現在では教育、社会、女性のキャリアなどあらゆる分野で影響りょ奥を持っていて、その視点で「イギリスでの生活から次のイタリア社会での女性像を考える」というテーマでブログを書いている。
クリスティーンは、自分の母親が基本いたずらや冗談が好きなことから、この先生の粗を探そうとし始めたことを瞬時に察知したのだ。
そんな母に呆れながら、クリスティーンは彼女に視線を戻すと、やっぱり下を向いたままであった。
「これは答える気は無さそうだな・・・」
彼女はそう思った。
そんな矢先、先生が空気を読まず、彼女に質問を始めた。
「ミス・シャーロット。あなたはよく問題を起こしはするけど、掃除をしないとか、ドジをしたとかそんなものでしたが、今回はなぜこのような脱走を図ったのですか?」
先生の質問も虚しく、シャーロットは口を強く結んで一向に喋ろうとはしない。
それを見かねて先生の怒りゲージがだんだん上がっていく。
「なんで、こんなことをしたのですか?毎度もうしていることですが、あなた、それでも子爵(ヴィスカウント)家の娘ですか?」
これを聞いて、クリスティーン一家の3人はびっくりした。
「え、この子、子爵家のご令嬢なんですか?」
「そうです!クリスティーンは由緒正しい東部ウェールズゆかりの子爵家の末裔で一人娘なのです!なのに、彼女ときたら・・・」
先生のヒステリー度合いはさらに増していく。
一方で、シャーロットは服を強く握りしめたまま、さらに小さくなっていく。
「とにかく、事情は学校に帰って詳しく聞きます!」
と先生が言うと、
「ちょっと待ってあげてください。まだこの子は何も話していませんよ」
クリスティーンの母はそれを阻止した。
その言葉を聞いて、ようやくシャーロットは顔を上げた。
それも目を丸くして、とても驚いたような表情をしている。
しかし、シャーロットは鼻を赤くしながら、涙を拭いた。
「マダム・・・助けていただいたことは大変感謝しております。しかし、この子は寄宿学校に通う女学生で、法律でその教育は私に預けられているのです。見ず知らずの助けた子の事情を知りたい気持ちもわかりますが、ここは私に任せていただけませんか?」
だが、クリスティーンの母は譲る様子を見せない。
「ええ、わかります。でも私が見ていたところ、あなたはまだこの女の子の言い分を聴かないで怒っているように見えます。確かに私も娘が連絡して今きたところなので、何の権利も義務もありませんが、それでもフェアじゃない状況を見続けるのは耐え難いものです。私はイタリア人ですが、よくイギリス出身の私の旦那は私に言います。『フェア(公平さ)こそイギリス紳士の誇り』だと。ですから、彼女の言うことも聞いてあげてみてはいかがでしょうか?そんなに時間もかからないと思うので」
シャーロットの先生は少しムッとした表情を浮かべたが、
「いいでしょう・・・そうですね。あなたにも事情だけは聞く権利はあるでしょう」
と少し自分を落ち着かせるようにそう言い聞かせ、改めてシャーロットに問いかけた。
「ミス・シャーロット、なぜあなたは学校の塀なんて登っていたのですか?」
シャーロットは不安そうな顔を浮かべて、言おうか言うまいか迷っている様子であった。
「大丈夫、本当のことを言っても怖くないよ」
小声でクリスティーンはシャーロットに伝えた。
すると、
シャロットはようやく固く閉じていた口を開いた。
「逃げ出したかったの・・・」
これを聞いたクリスティーンの母は電話を取り出して見せた。
「ステラさん」
「はい、マダム、私のスマートフォンですでに今の声は録音済みです」
「あなたたち・・・」
先生は顔を真っ赤にしたが、そのあとの言葉を見つからず、すぐに困った表情に切り替わった。
「安心してください。先生、私はあなたの悪行を新聞やメディアにリークしたりすることが知りたいのではないですから。私も娘を持つ親として、よく怒りをぶちまけてしまうことがあります。職業ともなればもっとイライラすることでしょう。ただ先生の問題というよりも、学校の中で、いじめか何かがあるのではないかと私は思うのです。それを私は知りたいのです」
「マダム、それはどちらにせよ、私の責任になります。いじめも私が正さないといけない立場にあるので・・・」
「でも、先生もその状況を無過ごさなければならない状況にあるとしたら・・・」
「それがあれば、確かに難しいかもしれません。ただ・・・」
「では、一晩だけ私のところにこの子を預けてください。私が事情を聞き出してみます」
先生は慌てた表情になった。
「そんなことはできませんよ、マダム!行政手続きを経て、この子の表見代理権は我が校にあるのですから!」
「そこにもし問題があるとすれば・・・」
クリスティーンの母は鋭く目を光らせた。
「マダム、余計なことはしないでください。あなたが興味本位で法手続きや契約を変えることなんてできないんですから。むしろ、あなたは何が目的なんです?」
クリスティーンの母は胸を張って言った。
「理由なんかありません。ただ、正しいことが何かを知りたいだけです。少々ブログにはその記録は残しますが・・・」
「それをすると我が校が社会的制裁を・・・」
「構いません。それが真実なら、それを暴くまでです」
「そんな・・・あなた正気ですか?」
「はい、もちろん」
母は強かった。
それから、クリスティーンの母はボソッと妙なことを言った。
「ただ、さっきからあなたの言動には何かを隠すような節がある。あなたは頭が良い。あなたはこんな小さな子一人をロジックでねじ伏せることなど容易いはずです。なんせ、もしこの子が反抗的で屁理屈に長けた子であるなら、すでにこの場で自分の正しさを証明しようとすでに試みているはずですから」
母は続けた。
「しかも、子爵家の令嬢が脱走を試みた事実は隠せば隠すほど、むしろあなたと学校のバツがますます悪くなることも知っている。また、あなたは法律や行政手続きという言葉を使っていることから、ものすごく真面目で決まりを破るタイプではない。加えて、この小さい子に対して『普段は大人しい』と表現したことからも、何かの後ろめたさを私は感じます。あなたは真面目にいつも正しいことをしているという自負がある性格と見受けられるので、自分の責任や問題を探られることに対して、あなたは普段否定をしないはず。となると、あなた以外の誰かのせいで何か厄介なことに巻き込まれているんじゃないですか?」
先生は言い返そうとしたが、言葉に詰まった。
その間ステラさんは電話をかけ、そして人知れず電話を切った。
医師も口を開いた。
「先生(マアム)、私はこのお母さんの言うことに同意します。確かに法的には問題かも知れませんが、私もせっかく診た小さな女の子が病気のせいではなく、精神的に病んでしまうのはあまり良い印象を受けません。ほら、この家族といるほうがシャーロットちゃんも落ち着くようですし、1日くらいイレギュラーで何とかなりませんか?令嬢とはいえ、身寄りのない子のようなので・・・」
クリスティーンとその母はこれを聞いて、びっくりした表情を浮かべた。
すると、
「先生、うちのマダムの旦那様はあなたの上司とは仲が良いそうで、一日だけ我が家で面倒みることはすでに了承頂きました。ですから、こちらはよろしいですね?」
ステラさんは冷静にそう告げると、
「ええ、わかりました。一日だけですよ・・・」
と先生も渋々認めた。
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