第4話

文字数 2,969文字

〜概して、人は見えるものに対して悩むよりも、見えないものについて多く悩むものだ〜
                     ユリウス・シーザー

クリスティーンは、再び薄気味悪いその絵本を手にした。
「悪魔はここに描かれているわよ、シャーロット!」
クリスティーンは、弁護士の描かれているページを見せた。
シャーロットはじっとそのページを見つめると、首を傾げた。
「見つからないわ・・・」
クリスティーンはニコッと微笑んだ。
「ここにいるわ」
クリスティーンが指さしたのは、弁護士である。
「ん?この人が?」
シャーロットは眉を潜めた。
「そうよ!」
クリスティーンは一方、自信たっぷりである。
「人だよ、悪魔じゃない。どういうこと?」
シャーロットのその質問に『待ってました』と言わんばかりに、クリスティーンは口を開いた。
「ゲーテの『ファウスト』って知ってる?」
シャーロットは首を横に振り、スマートフォンで検索し始めた。
「あ、人に化けられる悪魔?」
「そう!そもそも化けているのか、それとも一個人の悪魔的性格を悪魔と呼ぶのか。これが問題なのよ!」
「・・・」
シャーロットは理解できず、首を傾げる。
よくクリスティーンはこのように抽象概念を説明して、人に伝わらないということを経験しているので焦って言葉の抽象度を下げて、下位概念を探し始める。
「そ、そうね・・・つまり、悪魔より酷い人は悪魔そのものって言っても差し支えないってこと。例えばクロムウェルみたいな人ね」
「ああ、性格の悪い人は『悪魔!』とか『邪悪!(Evil)』って罵られるってこと?」
「そう!」
「じゃあ、この人が悪魔なのね!・・・でも、なんで?」
クリスティーンはポケットから虫眼鏡を取り出して、弁護士にそれを当てた。
「良い?この中で家族や学校以外でこの女の子と利害関係が生じる可能性があるのは誰?」
「うーんと・・・この弁護士と人攫(さら)いと飲んだくれ・・・」
「そう、でもあとの二人は多分中産階級未満、つまりこの時代ではいわゆる学識がない人。であれば、彼らは利害関係が生じない」
「ああ、そうか!」
「そうであれば、利害関係があるのはこの弁護士」
「なるほど・・・でも、これは『不幸な子』というタイトルよ。それにシュルレアリズムを代表する作品だとしたら不条理になるはず」
「そう、これが問題なの。ゴーリーは頭の良い人だから、それが故、論理がないものは描けないの。これは特に学歴の高い人には多い特徴よ。理由がないものは彼らには描けない」
「じゃあ、この弁護士の動機は?」
「ないわ。でもこの中で犯人がいるとすれば、この弁護士」
「じゃあ、この弁護士が意図的にこの女の子に意地悪したの?」
「それはわからないわ!」
「わからない?じゃあ、なんでこの弁護士が悪魔なの?」
「簡単よ」
クリスティーンは誇らしげに腕を組んだ。
「責任を取らなかった。正しい選択をしなかった。つまり、ミスディレクションをしたからこの人が悪魔なの?」
「どういうこと?」
「つまり、この作品は主体が決まっていない。であれば、主体はこの主人公の女の子シャーロット・ソフィアか、読者になるはず。または後日談であれば、シャーロット・ソフィアの父である大佐ね!この人たちがこの物語で非難を受ける人物がいるとしたら、誰を非難する?」
「・・・あ、確かに、弁護士か、飲んだくれと人攫い」
「そう。でもそもそも最後の二人はそもそも犯罪者だから、無条件で嫌われるし、罰を受ける。ここがこの作品の面白いところであり、稚拙なところなの。そもそも、パブリックスクール付近、つまり有識階級の近くにそんなゴロツキが近寄れるかしら?」
「ああ、確かに・・・」
「ゴーリーはアメリカ人だから、いくらイギリス人を気取っても結局、全然ヨーロッパ社会のことは知識が薄かったの」
「なるほど」
「だから、こじつけで、つまり不幸な内容にするために無理やり出してきたキャラクターがこの二人。となると、作者はこの二人については役割しか与えていない。なんとかシュルレアリズムに持っていくためにね」
「でも、どうしてそんな不幸な作品にあえてしたの?」
「簡単よ、これはサブリミナル効果で作品を魅力的に見せるためのドーピングをしたのよ。多分、ゴーリー自体も自分にあまり才能がないことはだから、自覚していたはず・・・」
「へー、面白いね」
「結局、だからこの作品の黒幕は弁護士になる」
「でも、この弁護士が悪者とも言い切れない。ただ仕事をしただけかもしれないから」
「アイヒマン裁判に対するハンナ・アーレントみたな考え方をするのね、あなた・・・」
言った矢先、またシャーロットが首を傾げる様をみてクリスティーンは焦り始める。
ハンナ・アーレントについてはクリスティーンの父親がよく酔っ払うと彼女の思想について大演説するのでクリスティーンには馴染み深いが、どこに行ってもこの話はあまり一般的ではないことを彼女は知っている。
「あ、まあそうね・・・誰が悪いかをあえて考えるならば、この弁護士なの・・・でも・・・」
今度はクリスティーンが首を傾げた。
『待てよ、もう一つ可能性がある・・・』
クリスティーンが急に止まったのをみて、シャーロットは壊れたロボットを見るような眼差しを向けた。
「でも・・・?」
クリスティーンは何かを閃いたのか、ページをめくり、主人公のシャーロット・ソフィアが倒れてそこを悪魔が見つめている箇所を虫眼鏡で大きくした。
「もう一つ可能性がある。それは『そもそも悪魔なんていない』ということよ」
「悪魔がいない?」
「うん!だって、シャーロットは悪魔を見たことある?」
シャーロットは首を横にぶんぶん振った。
「でしょ!だから、悪魔なんていないとしたら誰が思い込んでいるだけに過ぎないってことにならない?」
「ということは、この主人公の女の子の妄想に過ぎないってこと?」
「そうよ。だから、『悪魔なんていない!』って思えば、その存在自体を否定して彼女は自由になれたはず」
シャーロットは「ハッ」とした表情を浮かべた。
クリスティーンは優しく彼女を見つめて、ゆっくり語り始めた。
「この女の子、シャーロット・ソフィアは想像力豊かで感受性の強い、優しい子だったんでしょうね。でも、実はこのいじめられているところも、さらわれているところも、実は自分でなんとか乗り越えようと思えば、なんとかなったはずよ」
シャーロットは目を潤ませ始めた。
クリスティーンは続けてこう言った。
「もしシャーロット・ソフィアが自分でこの不幸な状況を抜け出す術があったとすれば、自分を、それから未来は明るいと信じて、自分の目の前の状況から逃げ出さず立ち向かうという勇気よ。勇気さえあれば不幸にはならなかったはず。勇気があれば、乗り越えられるというのは、ウィンストン・チャーチルが証明しているわ」
その言葉の後、少しの間二人は無言になり、そして無言のままお互いを抱き合った。
『もう大丈夫・・・』
そう思いながら。
一方で、その間クリスティーンの母は何かをインターネットで調べていた。
二人はそのまま夕飯をクリスティーン宅で取り、そして朝を迎えた。
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