文字数 875文字

「マサちゃんと僕は、バンドのライブ活動で知り合った。マサちゃんは、最初友達たちと別のバンドを組んでいて、ボーカルとして上手かったし、目立っていたから注目していたんだ。その後、僕の方からマサちゃんに声をかけてバンドに誘い、一緒にやるようになった。
 やがて僕たちは付き合い始めた。あの頃の僕は、とにかく滅茶苦茶だった……。ビートルズやストーンズやクラプトンにかぶれて、彼らもやっているからって、バンド仲間から誘われて大麻を吸って……。そうすることが当然のように……。本当に、狂っていたよね。悪いことをしている感覚すらもなかったから。挙句に、マサちゃんが妊娠してしまって……」
 タクミ君の頬を伝う涙は、途切れることなく流れている。
「それに僕には他にも付き合っている子がいたんだ。それが今の女房なんだけど……、本当に最低だよね。大学もそんな調子だから、結局卒業できずに留年した。
 僕は、こんな自分が教師になるなんて、柄でもなかったし、何になるか目標を見失っていたころ、彼女に子供が出来たから、生活のために取りあえず実家の地元の市役所を受けて、受かったから、今勤めている、というただそれだけのことなんだ……」
 涙を拭かずに、流れるままにしたタクミ君の泣き顔が、哀しい程蒼白く見える。
「僕が、マサちゃんのことを、弄んでしまったんだよ。マサちゃんの心も未来もズタズタに壊してしまったんだ……」
 ビートルズナンバーからは、「レット・イット・ビー」が流れている。
「レット・イット・ビー」のサビの部分は、相変わらずレルピィにしか聴こえない。
 タクミ君は「レット・イット・ビー」が終わるまで、ずっと眼を閉じたまま静かに涙を流していた。 
 正子が突然イギリスに行ったのは、タクミ君を忘れるため?
 堕胎した子どものことを忘れるため?
 正子にとって、人生初の挫折。
 すべてをリセットする場所としてイギリスを選んだ、と僕には思えてならない。
 タクミ君は、別れる前に、
「マサちゃんに会うことがあったら、よろしく伝えてね」
 と、少し照れたように言った。
 その顔は、どこか淋しげだった。
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