文字数 1,165文字

「タクミ君、元気?」
 と、しばらくぶりに帰ってきた正子に僕は聞いてみた。
「元気よ、どうして?」
 正子は、夏休みに「愛しのレイラ」を聴きながら、涙したことなどすっかり忘れてしまったかのように、訝しげに聞き返した。
「彼さぁ、一人っ子なのに実家の歯医者つがないのよ、正確に言えばつげないのかも知れないけど。高校時代、バンド活動に夢中になってたから、歯学部落っこちて、今の大学の、教育学部なんて柄にもないとこ入っちゃったのよ。けど、両親が年なんだって、だから歯医者はつがなくてもいいから帰ってきてほしいって、泣きつかれてるみたい」
 僕は、タクミ君が一人っ子であることを知った。
 偶然だろうが、僕達は皆一人っ子だ。
「タクミ君のこと、好きなんでしょう?」
 僕はドラマで俳優が使うような言い方をした自分がおかしくて、言った後照れて赤くなった。
 正子が笑ってくれたら良かったのにと思ったが、笑わなかった。
「ところで『ホワイト・アルバム』どうだった? とってもいかすやろう」
 きまずくなった空気を嫌うように、正子が明るくふるまって言う。
「どの曲が一番よかった?」
 正子が聞く。
 借りたLPを返す時、正子は必ず、
「この中でどれが一番よかった?」
 と聞き、僕の音楽センスを確かめる。
「ヘルプ」では「イエスタデイ」、「ラバー・ソウル」では「ノルウェージアン・ウッド」、「リボルバー」では「ドライヴ・マイ・カー」、といった具合に、無難な曲を選び感想を述べる僕に、
「まぁまぁってとこネ」
 と言う。
「そうやね、『ヤー・ブルース』『バースデイ』『ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン』『ロッキー・ラクーン』どれも好きやけど、その中でも一番良かったのは『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』かな」
 どの曲名もスムーズに言えることが、少し誇らしい。
 それもそのはず、このLPを擦り切れるほど聞いているから。
「へぇ、それは少し驚きね、この曲はジョージ・ハリスンの曲で、ワタシもジョージの中では一番好きよ、クラプトンの泣きのギターも渋いしね(多分こういった解説の多くは、タクミ君から仕入れたものだろうが)」
 正子から、音楽センスをやっと認められたようで嬉しかった。
 僕が正子から最後に借りたLPは「レット・イット・ビー」。
「ヘルプ」のジャケットに写っていた青年たちは、すっかり芸術家の顔に変貌している。
 僕にはポール・マッカートニーがレット・イット・ビーと発音する箇所が、どうしてもレルピィに聞こえる。
 何回聞いても同じだった。
「ポールがレット・イット・ビーと発音するところが、レルピィと言っているようにしか聞こえない」
 と正子に言うと、正子は笑って、
「ワタシは、レット・イット・ビーの、自分らしくとか、あるがままにとか、そんな意味が好きなの」
 と言った。

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