第10話

文字数 1,346文字

 相性とは何だろう、と、よく考える。
 第一印象、見た瞬間に、もう「合わない」と感じる時もある。
 そうこちらが感じる時、相手もそう感じているだろうと思う。
 彼女と初めて会った時、おたがいにメールでやりとりしていたし、「写メール」で顔を知ってもいた。ぼくはブログでどうしようもない自分をそのまま開示していて、それでも読み続けてくれたのだから、安心して会えた。何の隠し事もなかったから。
 嬉しかったのは、「そのまんまだね」と言われたことだった。言葉で自己表現していたインターネットの世界と、実際に会った現実の世界、その中で「差異」がなかったらしい。
 第一印象と、第二、三、四…と微細に変化を続ける印象、つきあい続けるうちに「えっ!?」と思われることはあっても、それは実生活・現実での目に見える些細事で、「第一」のところの基本的な根深い印象といったものは、その後も変わらずに今まで来ている、と言えると思う。

 この「根本的に変わらない」人ひとりの性質(本質的なものは、ほとんど一生変わらないだろう、その本質的自己の、自分に対する自分の接し方は変わるが)を愛せるか、という部分が、関係継続の重要な点のように思う。愛せない=許せないとなったら、もう別れるしかない。または我慢しながら一緒に暮らす── 我慢できる範疇にある以上、それも自分の許せるか許せないかの、夫々の自己内の問題であるにしてもだ。

 ところで、職場その他の様々な場面で、つきあいたくないのに、つきあわざるを得ない関係がある。これも突き詰めれば、おそらくは印象の為せるわざだ。おたがい、または一方が、どうしてか悪い印象をもち(つきあいたくないと感じることは、良し悪しでいえば悪になってしまうという!)、しかしそれでもつきあって行かねばならぬ状況がある。
 そんな状況下では、自分でつくったフレームを乗り越えて、… つまり自分を超えていかねばならない。そんなふうに自己と、だから他者と向き合うことが多かったが、最近は「どうぞご自由に」という感じになっている。
 こういう人がいるんだな、ああいう人がいるんだな。それだけ。
 こういう人への向かい方は、自分に対しても言える。ああ、こういう自分がいるんだな、と眺める。

 友達も少なくなった。居酒屋でわいわいやっていた頃は、何だったんだろうと思う。今や一緒に暮らしている彼女と、一人か二人、いるだけである。
 相性が悪くても、一生懸命、というか自然に歩み寄ろうとすることができていた時間。酒の力を借りて、何だか親しくなっていたような友達のいた時間。必要だったんだろうと思う。
 ひとりじゃ淋しいから、誰かと一緒に暮らすことになったとして、彼女とはそれだけの理由からこうなっているわけではないと思う。
 運命、といってしまえば、それでおしまいだが、実際にそういうものって、あると思う。
 どういう生き方をして来たか、みたいなところ。
 一つ一つの舟が、似たような島影に向かってオールを漕いでるうちに、偶然必然、出逢ってしまうようなかたち。
 けっこう悩んできたつもりの「相性」なんて、そんな、たいしたものじゃない、そんなふうにも思えてきた。
 この世を渡る舟。あの世から来て、あの世に還るまでの。
 きっと、みんな、小さな舟。
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