第2話 「心理学者の母と恋話」

文字数 1,383文字

 僕は夕食を取りながら、泣くことについて心理学者の母に尋ねてみた。
「泣くことには色んな理由があるんだけど、彼女ほど頻繁に泣く人とは出会ったことがないわね。何か強迫観念のようにも感じるわ。」
「強迫観念。」
「すごく頻繁に手を洗う人を見たことある?」
「うん。」
「そういう風に、まるで誰かに命令されているかのように“しなきゃいけない”と思い込んでしまうことね。」
 確かにそんな風にも見える。彼女が何かの義務で1時間おきに泣いているのなら少しは納得できる。

 それから僕は思い切って母に聞いてみた。
「父さんが死んだ時に僕は泣かなかった。泣けなかった。人でなしだと思ったでしょう?」
 母は微笑みながら僕の頭を撫でた。
「“泣けないこと”にも理由があるのよ。責任感が強かったり、悲しみが強すぎて頭が整理できないから泣けないということもあるの。」
「そうなんだ。」
「そういう意味では、あなたは誰よりもお父さんの死を悲しんでいたのかもしれないわね。」
 母はもう一度僕の頭を撫でた。

「それで、あなたはそのクラスメイトの子に恋してるの?」
 僕は顔が熱くなった。
「どうしてそう思うの?」
「あなたが私に心のことを聞いてくるなんて珍しいから鎌をかけてみたのよ。当たりだったかしら?」
 そう言って母は僕の顔を覗き込んだ。
「恋とかじゃなくて、単純に興味があるだけだよ。」
「あら。恋っていうのは単純な興味よ。相手のことを知りたいとか、話したいとか、手を繫ぎたいとか。」
「知らないよ。」
「ましてや家に帰ってからもその子のことを考えているなら、もう恋と言っていいと思うわよ?」
 母は僕の頬をつついた。ばつが悪くなり自室に戻ることにした僕の背中に向かって母は声をかけた。
「からかってごめんなさい。恋の相談でも心理学のことでも、いつでも私は大歓迎だからね。」

 翌日。母が昨晩言っていた言葉が僕の頭を占領していた。
 まさか僕が“恋とは何なのか”なんて青春ドラマのヒロインのようなことを考える日が来るなんて思いもしなかった。彼女は今日も1時間おきに泣いている。
 ぼんやり考えごとをしているうちに1日が終わり、放課後になっていた。僕は何となくまだ帰る気分ではなかったので席に座って宿題をしていると、いつの間にか眠っていた。

 僕は幸せな夢を見ているのだろうか。あの泣き虫な彼女が隣に座り、涙を流しながら僕の頭を撫でたり頬を触ったりしている。
「あの、えっと。」
「ごめんなさい。」
 彼女は慌てて僕の頭から手を離した。
「どうして君は泣いているの?」
「わからないわ。ごめんなさい。」
「どうして君が謝るの?」
「わからないわ。ごめんなさい。ただ、あなたが泣いていたから。」

 僕が泣いていた?

 彼女は僕の涙を指で拭うと、頬に口づけした。本当に何が起きているんだ。やはりこれは夢なのか。いつの間にか僕は机の下で勃起していた。
 初めて彼女の顔を近くで見たのだが、思っていたよりも端正な顔立ちだった。頬を伝う涙も相まって、彼女はより魅力的に見えた。
「どうしたの?そんなに見つめて。」
 僕は慌てて目を背けると、顔が熱くなった。
「私ってそんなに可愛い?」
からかうように彼女は僕の頬をつついた。今まで泣き虫という印象しかなかったが、意外とこういう性格らしい。
 僕は思い切って彼女に声をかけてみた。
「もし良かったら、このあと一緒に帰らない?」
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登場人物紹介

僕。小学生の頃から心を閉ざし、人に興味を示さなくなった。

1時間おきに泣くクラスメイトの女の子。逆に普通の顔を思い出せない。

僕の母。大学で心理学の教授をしながらスクールカウンセラーもしている。40代だが若々しくて美人。

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