第2話 「心理学者と恋バナ」

文字数 1,587文字

 僕は“泣くこと”について、心理学者の母に尋ねてみた。

「泣くことには色んな理由があるんだけど、彼女ほど頻繁に泣く人とは出会ったことがないわね…」と母は言った。「何か、強迫観念のようにも感じるわ…」

「強迫観念」と僕は繰り返した。

「そう」と母は言った。「すごく頻繁に手を洗う人を見たことある?」

「うん、同級生にもいるよ」

「そんな風に、まるで誰かに命令されているかのように“しなきゃいけない”と思い込んでしまうことよ」

 確かに、彼女が何かの義務で泣いているのなら少しは納得できる。

「父さんが死んだ時、僕は泣けなかった」と僕は言ってみた。「人でなしだと思ったでしょう?」

 母はフフフと笑いながら僕の頭を()でた。

「泣けないことにも理由があるのよ」と母は言った。「責任感が強かったり、悲しみが強すぎて頭が整理できない時はね」

「そうなんだ」

「もしかしたら、あなたは誰よりもお父さんの死を悲しんでいたのかもね」と母は言って、優しく僕の頬に触れた。

 涙こそ出なかったが、(人はこんな風に優しくされた時に泣くのだろうか…)と僕は想像した。

「それで、」と母は言った。「あなたはそのクラスメイトの子に恋してるの?」

 僕は顔が熱くなり、上手く言葉が出なかった。「ど、どうしてそう思うの?」

「だって、あなたが私に心のことを聞くなんて珍しいから、鎌をかけてみたのよ」と母は言って僕の顔を(のぞ)き込んだ。「当たりだったかしら?」
 
「恋とかじゃなくて、単純に興味があるだけだよ!」と僕はムキになって言った。

「あら、恋っていうのは単純な興味よ」と母は言って、僕の頬をつついた。「相手のことを知りたいとか、話したいとか、手を繫ぎたいとかね。ましてや、家に帰ってもその子のことを考えているなら、もう恋と言っていいんじゃない?」

 僕はばつ(ばつ)が悪くなり、自分の部屋に戻ることにした。その日は「ごちそうさま」も言わず、食器も洗わなかった。

 母は去っていく僕の背中に声をかけた。
「からかってごめんなさい。またいつでも“相談”していいからね!」

 顔は見ていないが、いつものからかうような優しい微笑みが頭に浮かんだ。



 翌日。母の言葉が僕の頭を占領していた。まさか僕が“恋とは何なのか”なんて青春ドラマみたいなことを考えるなんて……

 体育の次にある日本史の授業では、クラスの3分の1くらいの生徒が居眠りをしていた。

 彼女は今日も1時間おきに泣いている。

 ぼんやり考えごとをしているうちに1日が終わり、放課後になっていた。僕は何となくまだ帰る気分ではなかったので席に座って宿題をしていると、いつの間にか眠っていた。

 僕は幸せな夢を見た。あの泣き虫な彼女が隣に座り、涙を流しながら僕の頭を撫でたり、頬を触ったりしている―――いや、これは現実だ。

「ご、ごめんなさい!」と言って彼女は慌てて僕の頭から手を離した。彼女は顔を背け、前髪を急いで整え始めた。

「えっと、どうして君は泣いてるの?」

「わからない」と彼女は言った。「ごめんなさい」

「どうして謝るの?」

「それもわからないわ。ごめんなさい。ただ、」と彼女は言った。「あなたが泣いていたから」

 

泣いていた?

 彼女は僕の涙を指で拭い、自然と頬に口づけした。突然のことに僕の心臓は止まりそうになり、何も考えられなくなった。今のが現実なのかすらわからない。

 こんなに近くで彼女を見たのは初めてだったが、思っていたよりも端正(たんせい)な顔立ちだった。頬を伝う涙も相まって、彼女は世界一の美女にも見えた。

「どうしたの?そんなに見つめて」と彼女は不思議そうに言った。

 僕は慌てて目を背けた。自分がそんなに見つめていたのかと、彼女に言われてようやく気づいた。

「私ってそんなに可愛い?」と彼女は言って、からかうように僕の頬をつついた。

 僕は思い切って彼女に声をかけてみた。「もしよかったら、このあと一緒に帰らない?」
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登場人物紹介

僕。小学生の頃から心を閉ざし、人に興味を示さなくなった。

1時間おきに泣くクラスメイトの女の子。逆に普通の顔を思い出せない。

僕の母。大学で心理学の教授をしながらスクールカウンセラーもしている。40代だが若々しくて美人。

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