最終話 「泣き虫に幸あれ。」

文字数 2,261文字

 彼女が泣くことはもちろん想定していた。しかし母も同時に泣き始めるとは、どういうことなんだろうか。さらには僕まで涙を流していたらしい。もう考えても分からないので放っておくことにした。

 僕と母が台所で すき焼きの準備をしていると、食卓のイスに座っている彼女が そわそわしながらこちらを見ていた。
「私も何か手伝います。」
 母は彼女の方を振り返って優しく微笑んだ。
「ありがとう。でもあなたはお客さんだから、くつろいでいていいのよ。」
 彼女は泣いていたが、悟られないよう必死に堪えていた。それに気づいた母はクスリと笑って僕に耳打ちした。
「泣き顔も可愛いわね。」
 確かに。

 僕は そわそわしながら泣くのを我慢している可愛い彼女を眺めていたかったが、母がいる手前そういう訳にもいかなかった。
 それでも彼女は不安そうに座っていたので、僕も念を押した。
「母さんの言葉通り、その気持ちだけで充分だよ。それにもうすぐ準備は終わるから。」
 母は また僕に耳打ちしてきた。
「いいこと言うじゃない。それに私は“姑の嫁いびり”はしないから安心してね。」
「余計なこと言わなくていいから。」

 そうして3人での食事が始まった。母と話し始めてからは、彼女の緊張もいくらか和らいでいるように見えた。母は何度も僕をからかっては、彼女と目を合わせて笑っていた。

「息子は理屈っぽいことばかり言うけどね、不器用なだけで本当は優しい子なの。だから彼氏として、あなたのことを大切に想っているはずよ。そうよね?」
 僕は顔が熱くなって返答に困る。ずっとこの調子だ。隣に目をやってみると、彼女も顔を赤らめていた。そうして和やかに過ごしているうちに食事が終わった。

「私も片付けを手伝います。」
「ありがとう。それじゃあ食器を運んでもらおうかしら。」
「わかりました。」

「何だか娘ができたようで嬉しいわね。」

 その言葉で結婚を意識した僕と彼女は、仲良く顔を赤らめて下を向き、母は冷やかすように笑っていた。
 片付けが終わった僕らは再び食卓のイスに戻り、彼女が挨拶代わりに持ってきたお菓子を皆で食べながら くつろいだ。

「3人で食事するなんて、あの人が亡くなって以来だわ。」
 母は儚げに笑いながら涙を流した。僕も目頭が熱くなった。
「ごめんなさい。せっかく来てくれたのにこんな話。」
 僕は母の背中をさすろうとした。それよりも先に、彼女が涙を流しながら母の頭を撫でて、頬を触って涙を拭い始めた。彼女はしばらくそうしてから、思い出したように慌てて母の頭から手を離して下を向いた。
「ごめんなさい。私、お母様に失礼なことを。」
「いいのよ。すごく嬉しかったわ。もし良かったら、もう少し続けてくれない?」
「もちろんです。」
 彼女から優しく頭を撫でられている母は幸せそうだった。その様子を眺めていると、確かに母と彼女は親子のようにも見えた。2人には気づかれないように、僕も静かに泣いた。
 いつの間にか母はテーブルに突っ伏して眠っていた。僕は母にブランケットをかけて置き手紙を残すと、彼女を家まで送ることにした。

「ごめんなさい。私、泣いている人を見ると無意識に頭を撫でてしまうのよ。教室であなたにしたように。」
「いいんだ。母も喜んでいたし、また会ってあげてよ。」
「もちろん。ぜひまた会いたいわ。」
 2人で夜空を見上げた。

「どうやら君には超能力があるみたいだね。」
 彼女はクスリと笑った。
「あなたが非科学的な話をするなんて珍しいわね。超能力ってどういうこと?」
「僕や母のように、君に対して心を開いた人間に“泣く力”を分け与える能力。玄関で3人一緒に涙を流した時から、そんな風に考え始めたんだ。」
「あなたに言われると、そんな気がしてきたわ。」
 彼女は僕の目を見て微笑んだ。

「君や母を見ていて、僕も心理学を勉強したいと思ったんだ。」
「実は私もよ。あなたやお母様と接してみて、困っている人に手を差し伸べたいと思ったの。」
 僕らは手を強く握り直した。

 月日が立つに連れて彼女の泣く回数は減り、反対に僕と母の泣く回数は増えていった。
 以前までの僕は心を閉ざして泣けなかった。母はカウンセラーとしての責任から、また息子の僕がいる手前、弱音を吐くことや泣くことを我慢していた。
 彼女は自責の念から泣きたくない時にも泣いてしまい、代わりに自分のことでは泣けないようになっていた。
 そんな僕らは“泣く力”をホールケーキのように3人で仲良く分け合い、人として自然に、自分のためにも他者のためにも泣けるようになっていった。

 いつも通り2人で手を握りながら休日の昼間に散歩していると、彼女が青空を眺めながら呟いた。

「世界なんて平和になってしまえばいいのに。」

 彼女の透き通った瞳に胸を打たれて目頭が熱くなった。やはり僕は涙もろくなっているらしい。

「泣き虫に幸あれ。」

 ふと頭に浮かんだ言葉を呟いてみた。
「それ何?」
「いや、えっと、何だろう。小説のタイトルだったかな。」
 彼女はクスリと笑って僕の顔を覗き込む。
「素敵な言葉ね。」
 そして頬をつつかれた。恥ずかしながら、僕が考えた言葉だと彼女に気づかれたらしい。

 彼女と出会ってからは、僕も少しずつ心を開けるようになっていた。
大切な人を想いやる気持ちこそが“愛”で、その人に尽くすことが“幸せ”というものだと、単語の意味としてではなく心で理解し始めていた。

 僕は非科学的なことを信じないタイプだが、彼女との出会いが運命だということは確信している。

 たまには泣いてみるのも悪くない。



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登場人物紹介

僕。小学生の頃から心を閉ざし、人に興味を示さなくなった。

1時間おきに泣くクラスメイトの女の子。逆に普通の顔を思い出せない。

僕の母。大学で心理学の教授をしながらスクールカウンセラーもしている。40代だが若々しくて美人。

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