第3話 「僕と彼女の共通点」

文字数 1,526文字

「もし良かったら、このあと一緒に帰らない?」

 こんなことを女の子に言ったのはもちろん初めてだ。

「いいわよ」と彼女はあっさり答え、また涙を流した。

 僕らは学校を出て、横に並んで歩き始めた。周りから見たらカップルだと思われるのだろうか。

 やかましいセミの鳴き声が耳の奥にまで響き、真夏の暑苦しさを増幅させた。

「こんなこと聞かれても困るかもしれないけどさ」と僕は言って、横目で彼女の顔を見た。「どうして君はそんなに泣くの?」

「自分でも分からないのよ」と彼女は申し訳なさそうに答えた。

「両親に心配されないの?」と僕は続けて尋ねた。 

「実はね」と彼女は言って、自分の手を触り始めた。「私には両親がいないの」

 僕は「ごめん」としか言えなかった。彼女を泣かせてしまったと思い、恐る恐る顔を(のぞ)き込んだ。しかし、意外にも彼女は落ち着いた表情で淡々と歩き続けていた。

「私って普段からこんなに泣いてるのに、両親が事故で亡くなった時は全く涙が出なかったのよ。最低な人間でしょう?」と言って彼女は皮肉っぽく笑った。

「実は、僕も小学生の頃に父を亡くしてるんだよ。君と同じように僕も泣けなくて、自分は人でなしだと思いながら生きてきたんだ」

 いつの間にか彼女の目には涙が溢れていた。申し訳ないが、僕は段々と彼女の泣き顔が愛おしく感じていた。

「ただ、心理学者の母は“泣けないことにも理由がある”と話していたんだ。悲しみが強すぎて頭が整理できないらしい」

 彼女は空を見上げながら僕の言葉を反芻(はんすう)した。カラスが空高く飛びながら大きく鳴き、遠くの仲間に自分の位置を知らせていた。

「あなたのお母さんは心理学者なのね」

「うん」と僕は言った。「大学で心理学を教えながらカウンセラーもしているらしいよ」

「素晴らしいわ」と彼女は言って、また涙を見せた。「そういえばあなた、私のことを知ってくれていたのね」

「もちろん」と僕は言った。「同じクラスだし、君のことが気になっていたからね」

「それは…」と彼女は言って僕の目を見つめた。「好きってこと?」

 僕は戸惑い、顔が熱くなり、否定しようにも全く言葉が出なくなった。

「ありがとう」と彼女は言って、また僕の頬をつついた。この癖は母とよく似ている。「いつかあなたのお母さんと話してみたいわ」

 国道では車が絶え間なく通り過ぎ、エンジンやクラクションの音が彼らの慌ただしさを伝えていた。

 僕は彼女と別れて、ゆっくりと歩きながら自宅に向かった。頭はぼんやりしていたが、頬に口づけされたことだけは記憶の一番手前に焼き付いていた。

 僕は家に帰り、彼女の過去について母に話してみた。

「なるほど…」と母は真剣な表情で答え、(あご)に手を当てた。「親御さんが亡くなった時に泣けなかったのはあなたと同じね。それを後悔して過剰に泣くようになったのかしら」

「その可能性はあるね」

「ただし、これは彼女にとってデリケートな問題だから、無闇に聞いちゃダメよ」と母は言って僕の頭に手を乗せた。「あなたなら分るでしょう?」

 僕は(うなず)き、母の手をそっと払いのけた。
「父さんと母さんは、お互いに心理学を勉強していたから好きになったの?」

「うーん」と母は(うな)り、腕を組みながら考えた。「あまり関係ない気がするのよ。仮に違う形で出会ったとしても、きっと私はお父さんのことを好きになっていたと思うわ」
 母の目から1滴の涙が流れていた。

「ごめん、そんなつもりじゃ…」と僕は慌てて謝った。

「いいのよ」と母は言って僕を手招きした。「こっちにおいで」

 僕らは並んで正座し、父の遺影に手を合わせた。線香の独特な匂いが家中に広がり、清らかな空気を届けていた。

 数日後。近所の公園で、涙を流しながら野良猫を撫でている彼女を見かけた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

僕。小学生の頃から心を閉ざし、人に興味を示さなくなった。

1時間おきに泣くクラスメイトの女の子。逆に普通の顔を思い出せない。

僕の母。大学で心理学の教授をしながらスクールカウンセラーもしている。40代だが若々しくて美人。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み