第5話 「母と息子」

文字数 1,983文字

 泣いている母の携帯には父の写真が映っていた。
「私はお父さんが亡くなってからも、彼のことを毎日考えているの。どこにもいないあの人に会いたくておかしくなりそうなのよ。いっそのこと…。いや、何でもないわ。ごめんなさい。」
 母が言いかけた事は分かった。亡くなった父と会うには…。

「あなたの前では気丈に振る舞っていたけど、本当は胸が張り裂けそうなほど苦しいのよ。毎日あの人のことを考えながら自慰行為をしてるけど一向に気持ちが収まらない。心が強くなりたくて心理学を勉強し始めたのに、いつまで経っても私は弱いままよ。」
 僕は泣いている母の頭を撫でながら見守っていた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。息子にこんな話までして。私は最低な母親よ。」

「私を殺して。」

 僕は母を抱きしめた。
「そんなこと言わないでよ。母さんまでいなくなったら僕は…。
 とにかく、親子なんだから辛い時は何でも話してよ。それに父さんのことを愛してるからこそ母さんは苦しんでるんだと思うし、その想いは父さんも嬉しいんじゃないかな。」
 しばらくして呼吸が落ち着いた母は儚げに微笑んだ。
「そういうところ、お父さんに似てきたわね。」
 母は僕の顔をゆっくりと両手で掴み、親指で唇に触れた。そのまましばらく目を見つめてから、僕に口づけした。

 時間が止まった。

 唇を合わせるのは明らかに親子のスキンシップを超えているし、ましてや僕は高校生だ。
 無我夢中で恋人とするような口づけを僕と続けているうちに、母の膝に乗っていた携帯が床に落ちた。その音を聞いた母は目が覚めたように慌てて唇を離すと、携帯を拾って父が映っている画面を伏せた。それから母は頭を抱えながら自分の髪を引っ張り、「ごめんなさい。」と何度も呟きながら速足で部屋に戻っていった。
 自分の母に口づけされて勃起してしまった僕もまた「ごめんなさい。」と1人で呟いた。
 僕はそのまま部屋に戻り、3回続けて自慰行為した。そんなことは初めてだった。罪悪感もあったが、どうしても我慢できなかった。もちろん今までは“美人の母”というだけの存在だったが、あれだけ熱く口づけされてからは“1人の女性”になってしまった。それはいくら頭で否定しようとしても、どうにも塗り替えられなかった。

 それから一週間、母は仕事を休んだ。

 母は酒を過剰に飲むようになり、廊下を歩いているとタバコの匂いがした。部屋で暴れているような物音も聞こえた。さすがに心配した僕は、母に声をかけてからゆっくりドアを開けた。
 母の部屋は廃墟のように荒れ果てていた。棚にびっしりと並んでいた本や書類は全て地面にバラまかれていた。酒の空き缶や空き瓶がそこら中に散乱し、灰皿も床に投げ捨てられてタバコの吸殻も大量に散らばっていた。以前までの母からは想像できない程ひどい状態だったが、1つの写真立てだけは綺麗なまま机の上に残っていた。その中には家族3人で箱根の温泉旅行に行った時の記念写真が入っていた。その部屋の様子がそのまま母の精神状態を表しているようだった。
 母は抜け殻のような表情で床に座ったままタバコを吸っていた。僕に気づいた母は火を消すと、聞こえないほど小さな声で呟いた。
「ごめんなさい。」
「いいんだ。」
「結婚してからは止めてたんだけどね。本当にごめんなさい。」
「もう謝らなくていいよ。」
 僕は虚ろな目で泣いている母を抱きしめて頭を撫でた。
「仕事は一旦休職しよう。それから心療内科に行って、カウンセリングも受けよう。僕も付いていくから。」
「そうするわ。迷惑かけてごめんなさい。」
「構わないよ。僕も一緒に連絡して大学への説明も手伝うよ。」
「ありがとう。」
 母は頭を抱えて大きくため息をつくと、目の前にあった心理学の教科書を壁に投げつけた。
「もう何もかも嫌になってしまったの。私なんて偉そうに心理学を教えたりカウンセリングしていいような人間じゃないのよ。」
 僕は教科書を投げつけた母の手を さすった。
「そんなことないよ。母さんだって人間だから心があるし、他の人と同じように疲れたら休憩が必要なんだ。逆の立場でも母さんはそうやって声をかけるでしょう?」
 母は静かに泣きながら笑った。
「ありがとう。やっぱりあなた、お父さんに似てきたわね。」
 母はそう言うと、ためらいなく僕に口づけした。とても激しく。そのまま母が手を引いてベッドに連れていき、僕らは“体を重ねた”。親子にも関わらず新婚夫婦のように愛し合ってしまった。最中のことはよく覚えていないが、母はずっと謝っていたような気がする。
 その後、並んでベッドの上で横たわっていると、母は僕の腕にしがみついて、泣きながら何度も謝っていた。僕が頭を撫でていると、いつの間にか母は眠っていた。散らかった部屋を片付けようとベッドから降りかけたところで、母は僕の腕を掴んだ。

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登場人物紹介

僕。小学生の頃から心を閉ざし、人に興味を示さなくなった。

1時間おきに泣くクラスメイトの女の子。逆に普通の顔を思い出せない。

僕の母。大学で心理学の教授をしながらスクールカウンセラーもしている。40代だが若々しくて美人。

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