第65話 山崎、酒場で相田翔子を助ける

文字数 1,578文字

 そこまで考えた時、突然、奥のボックス席の方から女性の怒り声が聞こえて来た。
「止めてよ!何するのよ!」
酔いに絡んで伸ばされた男の腕を振り払うようにして二人の若い女性が立ち上がった。
酔った二人の男も同時に、濁った眼で立ち上がったが、その眼には怒気が燃えているようであった。
舞子ママが二人の男の前に立ち塞がって、毅然とした態度で、言った。
「お勘定は結構ですから、どうぞお引取り下さい」
「何だと、このアマ!それが客に対して言う言葉か!」
そう言ってママを突き飛ばした。
よろめいた舞子ママを、最も近いカウンター席に座って居た山崎が抱き止める形になった。
ママを後ろに庇って立ち上がった長身の山崎が、相手を見下ろす格好で一言発した。
「止めなさいよ。此処はそういう店じゃ無いのだから」
「うるせえ!手前は黙っていろ!」
 いきなり一人が殴りかかって来た。かわし損ねて一発浴びた山崎は、仕事のことで心の平静さを失っていた所為か、カッとなって頭に血が上った。次の瞬間、強烈な左フックを相手の顔面に叩きつけていた。横にぶっ倒れた相手はカウンターの椅子に顔をぶっつけて口から血を吐いた。
グラスが砕け、酒が流れ、客たちが叫喚した。
もう一人が猛然と山崎に掴み掛かって来た。腹部から腰の辺りにしがみ付かれた山崎は、両腕で相手を振り回して正面を向かせ、突き上げるようにしてアッパーを相手の顎に見舞った。後ろ向きに腰から崩れ落ちた相手は、倒れた拍子に床面に両手を突いて、左手首を痛めた。
二人の男は互いに庇い合い乍らそそくさと店から出て行った。 
 助けた女性の一人が腰を低くして丁重に礼を述べた。
「有難うございました、助かりました。後でお礼をしたいと思いますので、お名前を聞かせて頂けませんか?あっ、私、相田翔子と申します」
「いや、僕は別に名乗るほど大したことをした訳ではありませんから」
「しつこく絡まれたのを助けて頂きました。せめてお名前だけでも・・・」
傍らから舞子ママが促した。
「お名前くらいは教えて上げたら?」
「そうですか。それでは・・・」
山崎は胸のポケットから名刺を取り出して名乗った。
相田翔子は小腰を屈め、両手できちんと出された名刺を受取った。
ツンと先の尖った鼻に切れ長のキラキラ輝く黒い瞳、やや外側にカールした短めの髪、愛嬌良く笑うと両頬に笑窪が刻まれる小悪魔的でキュートな二十四歳だった。
 二日後の夕刻、山崎がその日の営業日報をパソコンに書いていると受付から電話があった。
「相田翔子様と仰る方がご面会にお見えです」
「相田翔子?」
山崎は一瞬の記憶を手繰って翔子のことを思い出した。
受話器を置いて一階のフロアへ降りて行くと、ロビーの丸テーブルの前に翔子が足を組んで浅く腰かけていた。
「改めて、助けて頂いたお礼を言いたいのですが、ディナーにご一緒戴けません?ご都合は如何かしら?」
半ば断定的で有無を言わせぬ響きがあったが、然し、その物言いは決して不愉快なものではなかった。育ちの良さと若い娘の奔放さが見て取れた。
 ホテル上層階のフレンチレストランでも、地下一階のショーパブでも、翔子は快活で饒舌だった。よく食しよく話し、よく飲んでよく笑った。
翔子は東証一部上場会社のオーナー社長の娘だった。会社は創業百年を超える老舗企業で山崎の会社の大事な得意先の一つでもあった。
山崎はこの明るい美貌の社長の娘に関心と興味を抱き、忽ち翔子の魅力に惹きつけられた。
 それから二人は頻繁に逢瀬を重ねるようになった。
エレベーターに同乗した人や街角の道路で行き交う人が、誰もが皆、エキゾティックな容貌と長い白い脚で颯爽と闊歩する翔子の姿に見惚れて振り返ったし、そんな翔子に腕を組まれて並んで歩く山崎も少し自慢げであった。
翔子は常に行動的で山崎に対しても積極的であった。自分から何の衒いも無く山崎をデートに誘った。
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