第12話 翌晩、ディナーに招かれた別荘で、二人は合体した

文字数 2,489文字

 次の日の夜、聡介は麗美が現れるのを待ちながら、柔らかな雰囲気のサマー・ルームやガラス張りのベランダを眺めていた。
 一体、今までに、彼女を愛した幾人の男たちが此処へ招かれたのだろう?・・・
真っ黒に日焼けした健康体を白いスーツに包んだ男、厳しい受験に勝ち抜いて名門大学を出て来た男、大学に入りたての逞しい粗削りな男、万事に地味を良しとする紳士然とした男、無造作ながらも自信に満ち満ちた男、常にきちんとした模範的な容を遵守する男などなど、など・・・
だが、聡介は、そうした連中よりも自分の方が上だ、と考えていた。
自分の方が人間として格上で、強くもあるし、独自の特色を持って大いなる可能性を秘めている・・・彼の自信は絶大であった。
 七時を廻った頃に麗美は階下へ降りて来た。絹のアフタヌーン・ドレスを着ていた。初め、聡介は、どうしてもっと凝った華やかな衣装を着ないのか、と少し訝ったが、継いで、二人が簡単な挨拶を交わした後、彼女が直ぐにキッチンのドアを開けて「料理を出して良いわよ」とメイドに言った時、その落胆はより一層大きくなった。彼としては、先ず両親に引き合わされて「君があの今どきの成功者か」と賛辞を贈られ、次いでメイドが「お嬢様、お料理の用意が整いました」と厳かに晩餐を告げに現れた後、食前に芳醇なカクテルが振る舞われて華やかな宴が始まる、などという情景を期待していたのである。
 だが、聡介はそうした落胆の思いを、直ぐに、背後に遠く押しやってしまう事態になった。
テーブルに向かって二人並んで腰を下ろした時、麗美が思わせ振りな口調で言った。
「父も母も、今夜は居ないのよ」
食事をしながら二人は聡介の母校のことを話題にした。
「その大学なら、あたし、この二年の間に屡々訪れているわ」
麗美が聡介と同じ大学である筈は無かった。とすると、彼女は幾人かの恋人たちと時を変え相手を変えて訪れていたことになる。
それから、バカンスが終われば聡介も其処へ戻って忙しいファンドの仕事に飛び込む筈の六本木ヒルズのことを話し合った。
「この軽井沢のリゾート地を贔屓にしている金持たちの本拠が集中している街ね」
 だが、話している間にも、食事中にも、麗美は、ふと、塞ぎ込むように不機嫌になったので、聡介は不安で落ち着かなかった。彼女がしわがれ声で苛立たし気に何か言うといちいちそれが気にかかったし、微笑すればしたで、楽しくて浮かべた微笑ではないだろうと胸が塞がれた。
「僕が退屈で面白くないんだね」
「違うわ。あなたのことは好きよ。ただ、今日の午後、ちょっと面白くないことが有っただけよ」
「?・・・・・」
「あたし、気になる好きな男性が一人居たんだけどね。その彼が、今日の午後、出し抜けに言ったの、自分は素っ空かんの貧乏人だって。それまでそんな気配さえ見せなかったのに・・・」
「彼、打ち明けるのが怖かったんだろうよ、きっと」
「それにしたって・・・もし、彼のことを貧乏だと初めから知っていたら、あたし・・・そりゃ、貧乏人だからって、どうこう言うことではないかも知れないけど、でも・・・」
 麗美は其処で、自分で自分の言葉を遮り、聡介を暗いベランダへ連れ出して、意識的に雰囲気を変えた。
「あなたはどういう人なの?」
聡介は一瞬躊躇ったが、彼の答は明確だった。
「僕は無名人です。どういう人間であるかは、主として、未来が決定する問題です」
「で、貧乏なの?」
「いや。大金持ちではないけれど、貧乏人でもないよ」
聡介は率直に答えた。
「同じ年代の誰よりも金を稼いでいるかも知れないね。こんなことを言えば嫌われるだろうけど、でも、最初をきちんとするように、今、言われたばかりだから」
 そこで会話が途切れ、彼女は微笑した。口元が崩れ、殆ど分らぬくらいに躰が揺れて彼に寄り添い、まじまじと彼の眼を見上げた。その微笑は接吻への誘いのようであった。聡介はごくりと生唾を吞み込み、息を殺してその瞬間を待った。
 麗美の口づけは何かを約束するそれではなく、ただ彼女の充足だけを語るものだった。その興奮は溢れるばかりにたっぷりと聡介の躰の中まで沁み通った。それは聡介の中に二度、三度を求める飢餓感ではなく、更なる飽満を求める満ち足りた感じを喚起した。言わば施しの如く、何一つ拒まず、惜しみ無く与えることによって一層の欲求を生み出す接吻であった。聡介は誇り高く欲望に溢れている彼女を、欲しい、と心の底から思った。
 それはこのように始まり、最終の結末に至るまで同じ調子で続いた。
聡介は、これまでに接した中で最も直截で最も放恣な個性体に、自らの一部を委ねた。麗美は欲しいものは何でも、自分の持つ魅力を余すところ無く発揮して追求するタイプだった。やり方を変えてみるとか、上手く立ち回ろうとか、前もって効果を考えるなどと言うことは皆無だった。   彼女の情事には精神的な面は僅かしか無く、専ら自分の肉体の魅力を最大限に発揮してそれを男に意識させるだけであった。彼女は熾烈な肉体のエネルギーと分かち難く、欠陥さえも讃美に変えるほどに自由奔放だった。
終わった後、彼女は彼の肩に頬を寄せて囁いた。
「あたし、どうしちゃったのかしら?・・・」
聡介には如何にもロマンティックな科白であるように思えた。
彼は思った。
微細な刺激にも忽ち感動する鋭敏極まるこの感受性、それを今、俺は手中に収めて統御している・・・
 
 翌朝、昇る太陽の澄み切った光の中で、麗美は夢のように初々しく、聡介と顔を合せるのを恥じらうようであった。彼女は「キスして」とか「愛しているわ」などと言ったりした。二人は影深い部屋の片隅や庭の東屋の格子垣の後ろや仄暗くなったベランダで異様な口づけを交わし続け、聡介の意識はその恍惚感を切羽詰まったものに研ぎ澄まして行った。彼は、暫くは、お互いが自然のうちに躰の深い処から惹きつけられているのを感じていた。
 だが、聡介は、最初の浮き立つばかりの昂揚に続いて、次第に満たされない苛立たしさに襲われ始めた。麗美に没入して自己を喪失してしまう陶酔は彼の精気を麻痺させるように作用した。
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