15)第6章 3 9月 雪下

文字数 2,663文字

【9月 雪下課長(管理職)の画策】

「柏居さんの言いたいことはわかったわ」

柏居から報告を受けた私は、足を組んで背もたれに寄り掛かった。

五階の小会議室で柏居と二人、不愉快な話に沈黙が流れる。

「犯人は恐らく、設計課内の誰かね」
私が言うと、柏居は意義があるかのように、片方の眉毛をピクリと上げた。

「他の課の人間が、設計課でウロウロしてたら目立つわ。そんな中、私達の飲み物に何か入れるなんて不可能よ」
柏居は、今度は素直に頷いて顔を曇らせた。

二十八歳にもなると言うのに、柏居には垢抜けない雰囲気がある。
薄化粧は肌の綺麗さを引き立たせてはいるが、色白で頬が赤い雪国の子供のようだ。

ぎすぎすした、大人感がないところが魅力なのだろうか。
女の私は首を傾げるが、男子からはモテているらしい。

「やっぱり、そう思いますよね。だだ、信じたくなくて」

私だって信じられない。
働いていたらムカつくこともあるのは仕方無い。

それを、相手に危害を加えて報復しようなんて、人として情けない。
面と向かって言えないなら、自分はそこまでの人間なのだと自覚して諦めろと思う。

「取り敢えず、家永君には自宅勤務をしてもらうわ。それで、犯人の出方を見ましょう」

柏居は驚いた顔をした。
「犯人を突き止めないんですか」

「どうやって突き止めるの?突き止めようがないじゃない。これについては誰にも言わないこと。いいわね」

犯人を突き止めたら、警察沙汰になってしまう。
私の監督責任が問われるのは困る。

このままフェードアウトしてくれるのが一番良い。

せっかく苦労して課長になったのだ。
他の誰かのせいで、降格になんてなってしまったら最悪だ。

物件を担当していた時代は本当に大変だった。

ミリ単位で寸法を指定してくる客や、線一本位置がずれているだけで、鬼の形相で指摘してくる工事担当。

客の要望に答えることと、社内の人間関係を保つことで、肉体的にも精神的にも疲弊していた。
もう、あの頃には戻りたくない。

それにしても犯人は誰か。

これが、営業の奥山の仕業なら、すぐにでも大事(おおごと)にするのに。

奥山は係長のくせに、課長の私に堂々と歯向かってくる目障りな存在だ。
奥山には、私のほうが毒を盛ってやりたいくらいに思っている。

柏居から話を聞いて、真っ先に頭に浮かんだ犯人は、実は夏原だった。

夏原は実直だ。
それは良い意味でも悪い意味でもある。

お客様の希望する大きさの窓が、バルコニーの手摺と干渉して納まらないからどうしようとなったことがあった。

私なら、さっさと見切りを付けて、お客様に窓の大きさを変更してもらう案件だが、夏原は設計要項を調べ倒して納まる方法を見付けてしまった。

夏原のように突き詰めるタイプは、人に対しても思い詰めるのではないか。

私にも失礼が無い程度に礼儀正しく接してはいるが、本当は何を考えているのか。
思い返してみても、本音らしい言葉を聞いたことが無い。

飲み会にもほとんど顔を出さないし。
夏原が出席しないから、真名部も遠慮して出席しなくなっている。

真名部も夏原より、課長の私のほうにこそ気を使えば良いのに。
まだ若いから、その辺りの加減が分からないのだ。

「一旦、この件は忘れるのよ」
内心では納得していない様子の柏居に、念を押して会議室を後にした。

設計課に戻ってから、そっと夏原の様子を観察した。

真名部へ何かを指示している夏原の表情と、それに答えている真名部の表情は、夏原が計画したことを、真名部に実行させることも可能なのではと想像させる。

あくまでも想像だ。

「課長。石坂様邸の件ですが、この間、課長に助言いただいた通りの間取りでご提案したら、お客様に気に入って貰えました。ありがとうございました」

田乃崎が平面図を持って現れた。

田乃崎は一生懸命で好感が持てる。
私に向けてくる奥二重の瞳からも、親しみが感じられる。

うっかりミスは多いが、頑張っているところは上司として認めてやりたい。

「良かったわね。それはそうと、再来週でしょ?製図試験。どんな様子?」

一級建築士の資格取得試験が迫っている。

田乃崎は去年、一次の学科試験は通ったが、二次の製図試験で落ちた。
今年はリベンジだ。

製図試験は学科試験合格後、三回受験出来るチャンスがあるが、ほとんどの者が毎年、今年合格するという意気込みで受ける。

今年、ウチの課から製図試験を受けるのは田乃崎だけだ。
菱山も真名部も一次で落ちたからだ。

田乃崎には、何としても受かって貰いたい。
今年はウチの課から一人も一級合格者が出ませんでしたと、本社の設計部長に報告するのは格好が悪い。

「何としても、合格してよ」
激励すると、田乃崎は頑張りますと苦笑いを作って、足早に席へ戻って行った。

「夏原主任と月元主任。ちょっと来て」
いつものことだが、私の前に立った二人は揃ってにこりともしていない。

夏原と月元同士は気が合っているように思えないが、私に対する態度には、ふてぶてしさという共通点がある。

腹立たしい。
二人共、田乃崎を見習うべきだ。

「昇格試験の論文は、来週月曜までに提出するのよ」

二人が今度受ける昇格試験には、課長に昇進出来るかがかかっている。
試験に合格しても、すぐに課長に昇進できるわけではないが、選抜の候補には入る。

月元はもう何度も受けているようだが、夏原は今回が初めてだ。
本当なら先輩として、私がいろいろと指南してやるべきなのだろうが、どうしても気が乗らない。

本社から名指しがあったから、仕方無く、私の名前で二人を推す形にはなっているが、本心は昇進なんてさせたくない。

幸い、昇格試験に通るか通らないか決めるのは、もっと上の人間だから、私の知ったことではないのだ。

不合格になっても推薦者に責任が振りかかることも無い。
勝手に合格するなり落ちるなり、好きにすればいい。

合格したらしたで、もし目障りなら、どこか他所の支店へ栄転させれば良いことだ。

それよりも、もし二人の内のどちらかが異物混入の犯人で、それが公になったら大変なことになる。
二人を推薦した私もダメージは免れない。

ここは釘を刺しておくか。

「二人の優秀さは、ちゃんと上に報告してあるから。真面目に仕事をしていれば、受かる可能性は高いと思うわ。二人共、これからは他の皆を率いていくことを意識して、仕事に取り組むようにしなさい」

昇進が近付いていることをちら付かせれば、溜まってるうっぷんも、しばらくは抑えられるのではないか。

二人が私の意図を理解したのか、はたまた一般論として受け取ったかは分からない。

二人は無愛想のまま、はいと、銘々に返事をして立ち去った。
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