第10話

文字数 1,941文字

 これは夢だろうか……どんどん深いところへ落ちているように感じる。またいつものことだ。このような夢を見ると、現実で悪いことが起こったりする。もうすぐ朝が来る……起きるのが憂鬱(ゆううつ)だ。遠くから声が聞こえる。お父さんとお母さんの声? 喧嘩(けんか)しているの? 止めに行ったほうがいいのかな……。そう思っているうちに、意識が段々とはっきりしてきた。ああ、これで目を覚ますことができる。早く学校に行かないと。

 台所に入るとお母さんが何か深刻(しんこく)そうに考え込んでいた。あれ? お父さんはどこへ行ったのだろう。もう会社に行ったのかな。

「お母さん、朝ごはんの準備はまだ? このままじゃ学校に遅れちゃうよ」と私が言うと、お母さんは、ああ……とため息交じりに返事をした。

「トーストを食べて。目玉焼きだけは作ってあるから。ごめんなさい、今日はそれで我慢して」

 私は少し不満だったが、お母さんが昔苦しんでいた頭痛が再発したのかもしれないと思い、黙ってパンをオーブントースターに置いた。数分後、パンを取り出し、トマトやチーズがあれば良かったのにな……と思いながら、焼けたパンと目玉焼きを食卓に並べた。
 
 今日のお母さんはどこか様子がおかしい。頭痛以外に何かあったのだろうか。もしかしたらお父さんと喧嘩していたのかもしれない。それが証拠に彼はいなかった。通学路を歩きながら、不安な気持ちを抱えて私はそんなふうに推測(すいそく)した。学校に到着すると、理彩がまるで待ち構えていたかのように話しかけてきた。

「霞、大丈夫? 今日はなんだか様子が違うみたいだけど……保健室に行かなくて平気?」

「え? 保健室って。理彩ったら急にどうしたのよ。あ、あれ、確かに少し気分が……」

 私がそう言うと、理彩は驚いて顔色を変えた。このままでは誤解される。体調が悪いわけではない。ただ少し動悸(どうき)がするだけで、これは精神的なものからくるいつもの発作だ。

「先生呼ばなきゃ! 誰か! 霞を保健室に連れて行って!」

「そ、そんな、理彩。大げさだよ。ちょっと眩暈(めまい)がしただけだから、ただの発作。ほら、不安なことがあると、いつもこうなるんだ」
 
 ……でも、いつもより症状が強い気がする。あの嫌な夢のせいなのかもしれない。だんだん意識がぼんやりしてきた。

「スミ? ミ!?」
 
 理彩の声が遠ざかる。その瞬間、私は再びあの夢の世界へと引き込まれていった。

 ここはどこだろう……なにやら草原が見える。またあの夢のなかだろうか。私は心地よさに身を委ね、現実と夢の間を(ただよ)っていた。ここでは自由に空を飛び、色とりどりの花が咲く草原を()け巡ることができた。時間の概念(がいねん)もなく、無限の可能性が広がっている……そんな場所。少し散策しようとしたとき、遠くから誰かが私を呼んでいる気がした。

 ……確かに聞こえた。この声は理彩の声だ。教室のざわめき、そして何よりも、はるか遠くから見えるお母さんの深刻そうな表情が私を冷静にさせた。

「お母さん!?」

「霞、起きて。大丈夫!?」

 理彩の声で現実に引き戻された私は思考を動かすことができずに、ただぼんやりと周りを見渡していた。教室はすでに暗くなっていて、夕暮れの光が差し込んでいる。理彩は私の手を優しく握ってくれていた。

「ごめん、理彩。ちょっと夢を見ていたんだ」

 私は教室を出る準備を始めながら、あの夢に対する依存心を断ち、まだ現実で必要としてくれる人が居ることに感謝をした。
 
 お母さんと帰る道すがら、綺麗な夕暮れを見上げていると、この地上世界はもしかしたら、自分が創り出した世界が現実に影響を与えているのではないかと思った。夢のなかで見たあの光景は、単なる妄想ではなく、もしかしたら現実世界とシンクロしているのかもしれない。

「霞、今日はごめんね。お母さん、お父さんと喧嘩してしまって、霞のことちゃんと考えてあげられなかった」

 お母さんは流れる涙を両手で隠しながら、さっきまで居た教室の様子を話してくれた。

「理彩ちゃんがずっとあなたの名前を呼んでくれていたのよ。本当に良い友達を持ったわね」

 私はただ黙って(うなず)くことしかできなかった。家に着くと、お母さんは夕食の支度を始めた。お父さんの姿はなく、家の中は静かだった。私はお母さんに手伝いを申し出た。

「何か手伝うことある?」
 
 お母さんは驚いたように私を見たが、すぐに笑顔を見せた。

「ありがとう、霞。一緒にサラダを作ろうか」

 私たちは黙々と野菜を切り始めた。私はお母さんの手際の良さに感心しながら、これからは家事を覚えようと思った。

 夕食の後、私は自分の部屋に戻り、再びノートを開いた。私は今日一日の出来事を思い返しながら、新しいページにペンを走らせた。私の創作活動は、現実と夢の世界を繋ぐ架け橋のようなものだった。
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