第9話

文字数 2,014文字

「霞……今日はありがとね。わたしたちの部活動なんかに付き合わせちゃって」

「いいよ、理彩。困ったときはお互い様なんだから。やっぱり、日本人に足りないのは、こういう時に起こるトラブルに対して団結(だんけつ)しようとしないところじゃない? 日本が海外に比べて鎖国(さこく)的なのは、自分たちだけで何でもできるって勘違いしているからだよ。これは個人個人にもいえることなんだけどね」

「それ、いえてる」

「じゃあ、理彩。わたしはいま起こった内容をもとに、創作活動をさせていただきます! 貴重なネタをありがとうございました」

「はいはい、頑張ってくださいね。霞さまの作品が出来上がるのを楽しみに待っています」

「うん、お楽しみに」

 そういっている間に、授業開始のベルが()り、わたしたちは席へと戻る。みんなが勉強をするためのノートを取り出すなか、自分だけが、創作用のノートを机に広げているのはなかなかに気が引ける。ここは我慢するしかない……きっと、そのうちに慣れてしまうはずだ。
 
 先生の声が聞こえているなか、わたしは自分だけの世界に入り込む。意識が丹田(たんでん)の近くに集中している。まるで(ぜん)でもやっているようだった。

SYNCHRO(シンクロ)WORLD(ワールド)」……シンクロする世界。大学ノートの表面に、黒マジックでタイトルを付けて、中身に内容を書き込んでいく。
 
 わたしは我を忘れて没我(ぼつが)状態に(おちい)りながら、さきほど起こったことをヒントにして、世界を創りあげていった。
 
 十行ほど書き上げたところで、ペンが止まる。みんなの心が(つな)がることを強調したかったのだが、肝心のキャラクターが決まらない……。いっそ、この教室に集まっているみんなを登場人物にしてしまおうか。そうだ、ここはクラスメイト全員を、異世界に住まう天使に転生(てんせい)させてしまおう。そう考えたわたしは、次々に教室の生徒たちを、この異世界に住む住人にしてしまった。もちろん、みんながみんな天使になれた訳じゃない。なかには性格の悪い……天使も当然いたわけで、わたしのノートの中に登場するそれらは()天使のようになってしまったけれど、本当にこんなのでよかったのだろうか。
 
 あとは簡単な絵を描いて、終わりだ。シャーペンでラフを描いたあと、色ペンで装飾(そうしょく)して、二ページ目を終わらせる。完成した。次のページは無理せず、明日に挑戦しよう。そうして、創世記(そうせいき)に出てくる神さまのような仕事を終わらせたわたしは、机に()せって爆睡(ばくすい)を始めた。
 
 随分と長い夢を見ていた。内容は忘れてしまったけれど、なんだか子供のときに戻れた気分になれた。夢うつつのまま、その世界を楽しんでいると、なにやら体を()さぶられている感じがしたので眼を(こす)って、前方を見ると、そこには慣れ親しんだいつもの顔があった……。理彩が起こしにきてくれたのだろう。

「おはよう、霞さま。もう放課後ですよ」

「うーん、理彩。まだ眠いよ……」
 
 理彩の()け声で、猛烈な眠気は徐々(じょじょ)に取れてはいくのだが、如何(いかん)せん、この春の陽気には体を動けなくさせる魔力がある。なかば起きることを(あきら)めていたわたしには、ユートピアである眠りの世界への誘惑(ゆうわく)には勝てそうにはなかった。

「なに、いっているのよ。ちゃんと創作は終わらせたの? 霞ちゃんのために、こんなご褒美(ほうび)を用意したんだけれどなあ」

 理彩がそういうと、なにやら鼻の辺りから、ドーナツの香りがしてきた。この香りは……まさか。

「そう、霞ちゃんの大好きなチョコレートドーナツ。こんなこともあろうかと、昨日ドーナツ屋さんで、お土産(みやげ)用に買っておいたのよ。まあ、本当はわたしが食べようと思っていたんだけれどね。霞がいらないなら、わたしが食べちゃおうかなあ」

「は、はい! 理彩さま。ただいま起床いたします。いやはや、理彩さまもお人が悪いんだから。そんなものがあるなら、すぐにいってくれればいいのに」

「ふふふ、これは対霞ちゃん用の最終手段なんだから。すぐに奥の手を見せるわけにはいかないでしょ?」
 
 理彩はそういうと、ドーナツをわたしに差し出してきた。な、なんて慈愛(じあい)を持っているのだろうか……。ああ、後光が。まるで理彩が女神さまのように見える。

「さ、教室から出ようか。あ、創作は進んでいる? もし(かんば)しくなければ、そのドーナツを取り上げちゃうよ」

「はい、もちろん順調です。理彩という名の天使さま」
 
 わたしはドーナツを(くわ)えながら、理彩のご機嫌を取ろうとする。理彩も当然それが演技だとわかっていて、(あき)れるようにため息を着いていたが、創作が進んでいると聞いて、ほっとしているようだった。いつものように、二人で楽しくお(しゃべ)りしながら見上げる空。黄昏(たそがれ)どきに見える赤茶(あかちゃ)けた色の夕焼け空がやけに綺麗(きれい)だった。
 
 そうして無事に家に到着して、今日初めて学校で創作を頑張れたことへの満足感から、心なしか家族に対しても機嫌がよかった。そんなことが珍しかったのか、お父さんもお母さんもどこか嬉しそうな笑みをわたしに見せていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み