第1話   僕たちの絶望と慈悲

文字数 2,647文字

〈中断〉

「湊!大変なの!広場に蛇が、子供たちが!」
杏は焦っていた。

「その蛇がしゃべって、いえしゃべってはいないのだけれども…、あなたを連れて来いって!」

「落ち着いて、杏、蛇がどうしたの?」

「広場で子供たちとおしゃべりしていたら、大きな蛇が急に目の前に現れて、子供を一人丸呑みしちゃったの!…そしたら湊をここへ呼べって、子供はまだ生きてるって、ただ連れてこないと殺すって!」

蛇が僕を。

嫌な予感だ。

「わかった、急ごう。」

僕は立ち上がり、部屋を出た。

その蛇はきっと…。




僕が広場につくと同時に、老婆も広場についたようだった。

広場につくと、巨大な蛇がとぐろを巻いていた。

僕は確信した。
間違いない。

「さっきぶりだな、湊。」

父だ。

さっきぶり、そうか、時間が違うのか。

僕は緊張している。
僕は緊張している。
僕は緊張している。

前ほど緊張していないと感じている。
前ほど緊張していないと感じている。
前ほど緊張していないと感じている。

喜びの感情がある。喜びの感情がある。喜びの感情がある。

父が実態じゃないからか、瞑想のおかげか、父を前にしても緊張は少ない。

「父さん、子供を返してください。」

「…懐かしいな、戻った気か?」

僕は父上から父さんへ、呼び方が変わっていた。
そのことを指摘されただけで、僕の緊張は跳ね上がった。

まずい。

「凜はこれだ。」

そういうと蛇は口を開けた。

口の中から映像が映し出された。

そこには手足を縛られ、つるし上げられている凜の姿が映った。

「凜…!」

「戻って来い、こいつは死ぬ。今こちら側に送り込んだ子供も。いや、この子供はお前になる。」

凜は気絶していた。彼女の身体に傷がある。

「とう…父上…。」

「リュウダイ、お主は何がしたい。」

隣に老婆がいた。彼女はほほ笑んでいる。

蛇は老婆を一瞥しただけだった。

「湊、お前は戻ることになる。それは変わらない。人間には迷う時間が必要だという者もいるが、それは嘘だ。答えは決まっている。それは言い訳にすぎない。」

僕はどうする、迷い…。
いや、答えは決まっている…のか。

僕は迷っている。
僕は迷っている。
僕は迷っている。

なぜ迷っている。

凜を助けたい。
父を恐れているのか。戻れば、父と対面することになる。
しかし、僕はそれを避けたがっている。

結局、僕は臆病なのか。

ここでの暮らしを続けたい。
杏と一緒にいたい。
しかし、帰らなければいけない。

僕は帰らなきゃいけないと感じている。
僕は帰らなきゃいけないと感じている。
僕は帰らなきゃいけないと感じている。

なぜ帰らなければいけない、帰る必要はないじゃないか。
凜を助けるなら僕は死ぬ。
いやしかし、帰ったところで、僕も凜も助かる確証はない。なぜ助けなきゃいけない。

ここに残れば、僕は強くなる。
杏もいる。

何が僕をそうさせる。
この感情は、僕の中から出ている。

なぜ人を助けたいのか。
なぜ人を助けなきゃいけないのか。

自分を犠牲にして。

分からない。僕はわからない。

「…行ってあげて、欲しい。」

杏が僕に言った。

「お願い…あの子を助けてあげて…!」
「いや、でも…」
「あなたはここにいる間ずっと修行してた。毎日毎日、ずっと…!」

三か月の間、僕は修行していた。

「今、帰って、あなたのお父さんを倒して、いえ、倒すとかじゃなくて…あぁもう分からないわ。でも戻って、解決して、そしてもう一度ここに戻ってくれば…。」

もう一度戻る…。

「いや、それはできん。」

老婆は言った。

「ここに来るまでには力をためにゃいかん。それは時間がかかりすぎる。わしがもう一度力をおためている頃には、わしは死んでおるじゃろう。」

老婆はほほ笑んでいなかった。

帰ったら戻れない。元の生活に戻る。

一度幸福を知ってしまったら、戻れない。

僕は嫌だ。

僕は人殺しの日々を送り続ける生活には、もう、戻りたくない。
絶対に。

「お願い…。あの子を助けてあげて…」

杏は僕の足元に泣き崩れた。

父に飲み込まれた少年は、僕が剣を教えていた子だった。
その中でも一番強く、呑み込みが早い。

僕は、痛かった。

僕は、人に流されて、人を助けるのだろうか。
それは僕の心なのだろうか。今までもそうだった。
僕は父に言われた通りに生きてきた。
この痛みに流されて、戻ってしまったら、結局変わらないのではないか。
ここで断れば、強くなる気がする。

「長い」

父の声が響いた。

映像に映し出された凜に水がかけられ、彼女は目を覚ました。

彼女の目の前に、カイラクの土人が現れた。
土人は手に、ハンマーを持っている。

凜はただ眺めている。

「やめ…てください。」
僕は言った。

父は変わらない。

「ここまでしてやったんだ。早くしろ。………分かった。戻らなくていい。この女はミンチになる。この子供はお前になる。それだけだ。」

蛇は後ろを振り向いた。



「待ってください…!」



蛇はもう一度僕の方を振り向き、睨む。

結局僕は、僕なのだ。

僕でしかない。



「…帰らせてください。僕は、戻ります。」

僕の言葉を聞いて、杏は僕を見上げた。

「ごめんなさい…。」

杏はそう言い、気絶した。

「私の中に入れ。そうすれば戻れる。」

そういうと蛇は、大きく口を開けた。

「お前の足元にいるその女もだ。」

杏は関係ない。

「こっちに戻ってから、そのターゲットを殺せ。」


杏がターゲットだった。


「しかし…」

僕は蛇越しに父の目を見る。


「………分かり、ました。」
僕は杏を抱えた。

蛇は丸呑みするように口を開けて、僕が来るのを待っている。

「ミナト」

老婆は言った。
「お前さんは大丈夫じゃ。向き合う相手を間違えるな。」
僕は背後の声を聴きながら、前に進んだ。




そして僕は、自分の足で、蛇の中へ飲み込まれていった。
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