第213話 【一つの景色となり】 Aパート

文字数 7,235文字


 朱先輩から直接教えてもらえはしなかった、今は隠れていてまだ分からないだけだと。
 それは病気でも何でもなくて私だけの優希君への想い。だから大切にってヒントだけくれた朱先輩。
 その朱先輩は明日のデートの際にもたくさん優希君に甘えたら良いって言ってくれたけれど、こんなにもたくさんの愛情をもらって、いつも私を大切にしてくれているんだから、明日くらいは私に出来る事は何でもしたいなって思うし、その先に浮かべてくれるであろう優希君の笑顔を想像しただけで
「……」
 何かを求めるように火照り出す体と“じゅん”とするお腹。
 昨日は私をお姫様扱いしてくれた私専用の騎士様である優希君。

 私はあの人からの気持ち、優希君は冬美さんからの気持ちを、ほぼ同時に完全に“お断り”して彩風さんは冬美さんを温かみのある声で呼び、あの人に対する気持ちも断ち切れそうで男女のもつれ自体はほとんど無くなった。
 この昨日の金曜日を何かの記念日――公認恋人記念日――とでもすれば、二日遅れではあるけれど、明日は優希君がとっても嬉しそうにしてくれた“口づけの痕”くらいは良いかもしれない。
「……どうしたのかな? 愛さん?」
 そこまで想像してしまったら。今ここに優希君はいないのにドキドキと同時に、あの体全体が敏感になる感覚が体全体を覆い始め……って言うか、最近その範囲が大きく、更に敏感になって来ている気がする。
「明日の優希君とのデートが楽しみなんですけれどね」
 なのに毎回来ると分かっていても煩わしい一週間。
 さっきも朱先輩が一緒にお風呂に入ると言って、断れなかった時はどうしようかとも思ったけれど、本当の初っ端の出会いを思い出せば、何ともない話なんだって言い聞かせは出来たけれど、優希君相手だと間違ってもそんな訳にはいかない。
 現実を目の当たりにしてしまった私の心に呼応するように、熱を持っていた体は冷めてしまってお腹の中の感覚も肌の感覚も全部無くなってしまう。
「大丈夫なんだよ。空木くんなら愛さんを何があっても大切にしてくれるだろうし、甘えたら甘えただけとっても喜んでくれるんだよ」
 いやまあ、そこは私も疑っていないけれど。いくら仲の良い妹さんがいたとしても、そう言うのは知られても気遣われても恥ずかしい。
 でも明日は今私の体を襲っている感覚は、私だけの優希君への想いだとヒントを教えてくれた朱先輩に応える意味でも、改めて私から優希君への大好きを伝える意味でも、早く伝えたくて。早く見つけたくて。すごい口付けと口付けの痕で優希君に喜んでもらおうと決めてしまう。
「でも明日は私からも感謝の気持ちを伝えたいなって思っているんです」
 でも、いくら朱先輩とは言え正直話すのは恥ずかしすぎるから、大味で伝えてしまう。
「確かにそうなんだよ。“お互い”に感謝と大好きを伝え合えたら、二人ともとっても幸せになれるんだよ」
 その先に、今は隠れてしまっている原因の全く分からないこの体の反応が、私だけの優希君への想いに繋がっているのなら――
「本当にありがとうございますっ!」
 ――今度はメッセージだけじゃなくて、私の正面で言葉でも“私が彼女で嬉しい”って言ってもらえたなら、“私を選んで良かった”って言ってもらえたなら。
「そんなの愛さんの一番の理解者なんだから、いつでもドンと来い! なんだよ」
 もっともっと私の心が満たされて、優希君への大好きをもっとたくさん伝えたくなる予感がする。
「そしたら冷たいうちに早く頂くんだよ」
 その後朱先輩からの勧めもあって、快癒祝いだって朱先輩から頂いた果物。イチゴ。
 朱先輩はイチゴが大好きなのか、ものすごく幸せそうな表情をしていた。
 朱先輩からの更なる気持ちを受け、時間も深夜帯に差し掛かり始める夜半時(よわどき)。私はもちろん、朱先輩だってまだまだお布団に入る気配なんて無い。
 私にはまだまだ朱先輩に聞いて欲しい話もあるし、言いにくい話。蒼ちゃんからの伝言と言うかブラウスの話もしないといけない。
 こんなにも私を考えてくれている朱先輩。答えは教えてもらえなくても安心させてくれた朱先輩に、蒼ちゃんお話をしないといけないのはものすごく辛い。
 私は朱先輩に少しでも甘えたくて洗い物を終えた後も、いつでも触れ合える隣に失礼させてもらう。


 ここまでは私にとっても朱先輩にとっても割と温かみのある話だったけれど、ここからはどうなんだろう。蒼ちゃんの気持ち、朱先輩の私に対する深い優しさ。そして私たちを繋ぐブラウス……
「それから改めてありがとうございました。今回のあの人からの告白とお断り。それに予想していなかった冬美さんからの告白も全てお断りして、みんなが納得出来るくらい諦めてもらえたんです」
 あれからピタッと止まったあの人からのメッセージを含めた全ての連絡。それに徹底して冬美さんを目の敵にしていた彩風さんの変化。どうしても回りくどい言い方になってしまう。
「ん? そのお話はさっきも聞いたんだよ?」
 それでも嬉しそうに、興味ありげに私の話に耳を傾けてくれる朱先輩。こんな朱先輩の表情を悲しみや寂しさに変えたくなくて……
「そう……なんですけれど。今回の告白の件、朱先輩と私のお母さん。それから優希君以外の全員が反対していまして……」
 一度言葉を止めてしまう。
「誰に反対されても、最後に愛さんが笑顔を浮かべられたなら、愛さんが幸せになれるならわたしにとってそれが一番なんだよ。それにおばさまも一緒のご意見だって言ってくれてたんだよね」
 私の何かを感じ取ってくれたのか、私の肩に手を回してあやすように優しく叩いてくれる。
「そう……なんですけれど……それでも初めから反対していた蒼ちゃんが、昨日は携帯を取り上げられて連れ回された挙句乱暴されそうになったことに、本当にカンカンに怒っているんです」
 私と優希君の未来を考えてくれた朱先輩とお母さん。
 一方蒼ちゃんはあんな事件があったばかりだから、余計に私の身を第一に案じてくれた結果だから。
 だからどっちも間違いじゃないし、どっちの気持ちも伝わる。だからこれは私の力不足他ならない。
「……それはわたしに対してってお話なんだよね」
 優しく私の肩を叩いてくれていた朱先輩の手が止まる。でもその手は私から離れるどころか、私を背中から再び抱いてくれるような体勢に変えてくれる朱先輩。
 だから言わない、伝えない選択は出来ないし、蒼ちゃんの厚意でもある訳だし、あの引き裂かれてしまったブラウスでも蒼ちゃんなら本当にもう一度繋げてくれると信じられるから。
 だけれどあのブラウスは私たちの想いもたくさん詰まっているし、これからの未来をも繋ぐ一つの形になった物でもあるのだから、私の考えもどっちつかずになってしまう。
「……蒼さんは何て言って怒ってるの?」
 その朱先輩の手は心なしか震えてしまっている。やっぱり私の一番の親友に言われるのは、私を心から大切にしてくれているのが伝わっているだけに、その気持ちの一部だけだったとしても肌で感じてしまう。
 それでも尚、迷子の私を包み込んでくれるかのように、穏やかな声色で続きを促してくれる。
「……その場になったら情を移して断り切れないかも知れない私の性格を分かり切っていないって。実際危ない目にも遭ったって」
 こんなにも私を第一に考えてくれているのに。
「でもちゃんと空木くんは守ってくれたし、二人の仲はもっともぉっと進んでるんだよね」
「もちろんです。私はもちろんですが優希君だって朱先輩には感謝しているんです――」
「――だったらそんなに辛そうな声を出さなくても大丈夫なんだよ。わたしは今日、愛さんの幸せなお話が聞きたかったんだよ」
 言いながら私をゆっくりとわずかな力で朱先輩の太ももに倒してくれる。ちょうど私が朱先輩に膝枕をしてもらった状態だ。
 そんな私の頭を、続けていたわるように撫でてくれる朱先輩の手。
 こんなにも優しくしてくれる朱先輩に迷うし、何よりとても言い辛い。
「だから、愛さんが今考えてる事、想ってる事を全部教えて欲しいんだよ。愛さん一人だけで悩んで欲しくないんだよ」
 こんな朱先輩だからこそ、私の考えている事なんて分かっていそうなのに、それでも私の気持ちを楽にしようと――
「……――っ」
 ――膝枕をしてくれている朱先輩の顔を見上げようとしたら、本当に寂しそうな瞳に涙を溜めて揺蕩わせながら、私の両目の上に、力でどうにかなったとしてもその心まではどうにもならないと言わんばかりのごく軽い力で、手の平を置いて私の視界を完全に塞いでしまう。

 まるで、その手の平一枚が、今の私と朱先輩を隔てる壁だと言わんばかりに……

 だけれど私は、例えどれだけ薄かったとしても簡単にはねのけられるような壁だったとしても、朱先輩との間に壁があるのが嫌だった私は、
「例のブラウスなんですが、蒼ちゃんが公欠中の間にしっかり着れる状態にまで直すから、預かって来て欲し――」
 その壁を取り払いたくて、朱先輩の顔をやっぱり見たくて朱先輩の手のひらを退けさせてもらうと、
「――駄目! 嫌なんだよ。あのブラウスはわたしと愛さんだけの二人の想いがたくさん詰まった、未来にもつながる大切な大切なブラウスなんだよ」
 朱先輩からの予想以上の明確な拒否に不謹慎にも同じ気持ちを持っていた私は、少しだけ嬉しくなる。
「本当に……ありがとうございます」
 これだったら私の気持ち、本音を話せそうだ。私は朱先輩の顔を見てしまわないようにお腹に顔を向けた上で、朱先輩の腰に腕を回して甘えさせてもらう。
 こんな姿は友達や優希君はもちろん、お母さんの前でも見せられない。 
(105-107)
「でも。もし朱先輩の手に負えないのであれば、蒼ちゃんなら絶対に直せますし、私だって朱先輩との繋がりを示す一着のブラウスを見るのは辛い気持ちもあります。でもそれとは反対にあのブラウスは、私と朱先輩、そして未来への想いがたくさん詰まった――」
 私の想いを口にしている最中で、朱先輩の手の感覚がなくなってしまったからどうしたのかなって見上げると、
「――あのブラウスはわたしと愛さんを繋ぐとってもとっても大切な物なんだよ? 愛さんが親友さんをとぉっても大切にしてるのは一番の理解者だから分かるけど、わたしだって愛さんがとぉっても大好きで大切なんだから、そんなお話なんて聞きたくないんだよ」
 両手で耳を塞いだ上で、イヤイヤをするように首を左右に振る朱先輩。
 その行動と相まって、本当に辛そうな朱先輩の声が更に私の胸を締め付ける。
「私だって同じ気持ちです。でも朱先輩から頂いたブラウスがいつまでも引き裂かれたままって言うのもまた辛いんです」
 だから私も、自分の気持ちを誤魔化すように朱先輩に強く抱きつく。
「だったらもう一着のブラウスと交換するんだよ。そうしたらあのブラウスなんて忘れることが出来るんだよ」
 だけれど思った以上に朱先輩からの抵抗が強い。それと同時に私だってブラウスの話をするだけで、これだけの時間と心の準備をしたにもかかわらずこれだけ辛いんだから、“私以上に私を大切にしてくれている”朱先輩の気持ちを理解出来た私の心が少しだけ喜ぶ。
「いくらなんでもこれ以上朱先輩から物ばっかりもらえませんし『……っ……』朱先輩が心から私を想って頂けたあのブラウスの替わりなんて私がイヤです」
 物と気持ち、感情は別物だって教えてくれたは朱先輩なのに、
「……ひょっとしなくても、やっぱりわたしからの贈り物は重かった? しんどかったの?」
 私の一言がよっぽどショックだったのか、今まで見せた事の無い朱先輩の目……恐怖を混じらせた目で私を見てくる朱先輩。
「そんな事ある訳ないじゃないですか。そんな寂しい事……言わないで下さいよ。ただ朱先輩自身も大切にして欲しいんです。そうでないと朱先輩自身の回りから物が無くなってしまいます」
 だけれど私の意図は違う。以前あの男子児童にハンカチを渡した時に朱先輩から教えてもらった、物の話をしたかっただけだ。
 私が朱先輩からの気持ちでしんどくなったりイヤだったりなんて、それこそ天地がひっくり返ってもない話だ。
 それでなくてもつい先日には朱先輩から参考書もお借りしているのに。
「わたしは自分の心を大切にしてるんだよ。でも愛さんがそう思うって事は――愛さん。あの参考書が重かったの? しんどかったの? それともわたしの応援がうっとおしかった? そう言えばあの参考書を受け取る時も結構渋ってたよね」
 でもさすが私を心から理解して頂いているだけはあると思う。だけれど私が朱先輩をどれだけ信用して、心のよりどころとしているのかをやっぱり理解していないのかもしれない。
「それこそあり得ません。あの参考書は朱先輩が合格した時のもので、今後のゲン担ぎになるのにって考えてしまって受け取れなかっただけですよ。それに朱先輩が教えてくれたんじゃないですか。物ばっかり渡し続けているといつか自分の周りから物が無くなってしまうって。私が朱先輩をうっとおしく思うとかそれもあり得ませんからね」
 だけれど疑念を持った朱先輩は中々納得してくれない。
「わたしからの気持ちは重くもしんどくもない。でもわたしからの物はこれ以上受け取れない……」
 私も時々するから分かるけれど、思考をまとめて何かを手繰り寄せようと思考している最中なんだと思う。
「……蒼さんがブラウスを直すって言ってくれた時、出来るだけ正確になんて言ったか覚えてる?」
「ブラウスを渡すのが嫌だったのでそんなに正確には覚えていませんが、後輩の恋愛相談に乗ってた時に泊りに来てくれた蒼ちゃんからブラウスの話はされました」
 その結果が少しでも朱先輩の心を軽くするって信じて答えて行く。
 もちろん朱先輩の腰に両腕を回し続けた上で。
「その他は何かない?」 (173話ー175話)
 でもこのやり取りには何のヒントも無かったのか、朱先輩の表情は全く変わらず、ともすれば涙を零してしまいそうな程寂しそうなままだ。
「そう言えば蒼ちゃんが家出した時連泊したんですけれど『――』その初日に私から“隙”が激減している事に蒼ちゃんが驚いていたので、朱先輩に教えてもらっているって伝えました」
 そう言えばあの時の蒼ちゃんも、私が朱先輩の家に何度か泊まらせてもらっていると話した時も、今の朱先輩同様驚いた表情は浮かべていたっけ。
「その時の蒼さんの反応は?」
「驚いていました。けれども少なくとも怒っているとか、私たちが不安になるような感想は持っていなかったです。そう言えばあの時参考書の話と、朱先輩が同じ学校のOBで統括会の先輩にも当たるって言う話はしました」
 だけれど私が続きを話した瞬間、朱先輩の表情が変わる。
「その参考書について何か他に言ってた?」
 だけれど、その表情はあまり私が見た事の無い表情で、朱先輩をよく知らない私には何の表情なのかが分からない。
「参考書についてはそれ以上何もありませんでしたが、その時蒼ちゃんから改めてブラウスの話がありましたし、それに合わせる形で慶の話もしたら驚いていたと思います」
 ただ私の話の続きで納得出来たのか、いつもの朱先輩の表情に戻る。
「……そう言えば蒼さんとは何かを交換したりとか、お泊りはしてるの?」
 だけれど朱先輩もまた、蒼ちゃんを相当意識している気がする。他のどの相手よりも強く。鮮烈に。
「蒼ちゃんとはそう言ったもののやり取りは一切していませんが、作ったお菓子を時々持って来てくれて、家族みんなに振舞ってくれてはいますよ。それからお泊りとは言っても私から蒼ちゃんの家には一度もないです。今までは全て蒼ちゃんが作ったお菓子を振舞ってくれる名目なんかで、私の家に泊まりに来てくれています」
 まあ。慶の蒼ちゃんラブの話だけは辞めておいてやる。
 それはさておき、優希君とお付き合いをしてからは毎週日曜日はデートの日に置き換わったけれど、それまでは家族と一緒に過ごす一日だったし、時々でも蒼ちゃんが泊まりに来てくれる一日でもあったっけ。
「そう……なんだね。やっぱりわたしより蒼さんの方がお付き合い。長いもんね」
 だけれど珍しく落ち込んでしまっている朱先輩。こんな朱先輩を見るのはあの“大魔法使い”以来かもしれない。 (124話)
「でも朱先輩との土曜日の活動は変わりありませんし、人との付き合いは時間だけじゃないって教えてくれたのも朱先輩ですよ」
 だけれど朱先輩だって人間なんだから、疲れてしまう場合もあれば落ち込んでしまう場合があるのも、なんでかは分からないけれど、特に意識している相手がいるのであれば尚の事普通で。
「……それでもあのブラウスを持って行ってしまうの?」
 だからなのか、話せる話をしてしまっても尚渋る朱先輩。そんなにまで私との関係を大切にしてくれる朱先輩に嫌な気持ちになんてなる訳も無くて。
「私と朱先輩の関係はそれだけじゃありませんし、ブラウスがあっても無くても物で心が動く訳じゃ無いので、朱先輩との関係は変わりありませんよ。それに私の方が朱先輩と離れ離れなんて嫌です。これからもずっと交流を持って頂けるんですよね?」
 幾度朱先輩に助けられたのか。そんなのはもう今更だから思い返すなんて事もしないけれど、逆に言うと朱先輩のいない生活もまた考えられない訳で。
「~~分かった……んだよ。そしたらブラウスを出すから、一緒に付いて来て欲しいんだよ」
 そしてようやく、ようやく紆余曲折を得て朱先輩の表情に笑みが戻る。

 これじゃいつもと立場が逆……なんだよ。ってね。

ちょっと朱先輩の真似をしてみたかっただけで、特に深い意味は無いんだからねっ!
こらそこっ! いたずらとか言わないっ!

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