神の住む山(1)
文字数 2,828文字
現在地は木々が生い茂る山。食後、しばらくして合流したメアリスと共に、ヒロはヤマガミ神社を目指して歩いている。ちなみにメアリスは台所で食事を済ませたとのことだ。
意外にもヤマガミ神社へ至る道にヒロは見覚えがあった。山道は、昨夜メアリスやシノと出会った場所の隣に伸びていたのだ。
「遅れてごめんね。マコト君に儀式を中止できないか頼んでみたんだけど、もう無理って言われて……」
「いいっていいって。それより、おにぎりありがとな」
そんな会話をしているメアリスとヒロの先頭にはアヤが立ち、迷いなく山道を進んでいく。
「ちゃんとついてこれてる? 道から逸れないようにね?」
「大丈夫だ」
振り向きつつの彼女の呼びかけにヒロは応じる。そうしながらも、彼は常に周囲への警戒を怠らないようにしていた。
神社へ向かう前に、アヤは二人へ大事な注意事項を告げていた。それは、ヤマガミ神社の周りにはツチノコが大量に生息している、ということ。ツチノコは夜行性のため昼間の動きは鈍いが、襲ってこないとは限らない。そのため、村人達は神社へ向かう道の周りに罠を仕掛け、ツチノコと遭遇しないようにしているのだという。
つまり道を歩いていればほぼ安全、とのことだが、一度ツチノコに襲われているヒロとしては万が一を想像してしまう。ツチノコは小さいが、ああ見えて人の足首の肉を食いちぎるくらい顎の力が強いらしい。
微かな草の揺れにも反応している彼を見てアヤは笑った。
「道から外れなきゃ安全よ。夜だって、ここではたまにしかツチノコと出会わないらしいし。ヒロもこの辺を歩いてたらしいけど無事だったでしょ?」
「そうだけどよぉ……」
ヒロは嫌そうな顔になる。彼がシノに発見されたのはヤマガミ神社の近くに位置する川岸だったという。つまり、ヒロは知らずに危険地帯を歩いていたのだ。夜が訪れる前に捕まったのは幸運だったともいえる。
「でも昨日の夜、ツチノコは俺のこと木の上から狙ってきたんだぞ? 罠って木の上にもあんのか?」
「ないわよ。ツチノコってほとんど木に登らないもの」
「……俺って運が悪ぃのかな」
ツチノコに襲われたのもそうだが、記憶を失った状態で事件に関わってしまったのも自身の不運が招いた結果に思えてきた。
ヒロは深い溜息をついたが、それと同時にメアリスが大きくバランスを崩したため慌てて顔を上げる。
「んぎゃっ」
「どうした!?」
大声で呼びかけられたメアリスは照れたように笑った。
「平気! ちょっと転びそうになっただけ」
見れば、彼女の足元には大きめの石が転がっている。
「そうか……」
ツチノコの姿は影も形もないのを確認し、今度はヒロは安堵の溜息を吐き出した。こんなことで一々驚いては先が思いやられる。
「な、なぁ? 罠ってどんなヤツなんだ? 大丈夫なんだよな?」
少しでも安心しようとヒロはアヤへ問いかけたが彼女は困り顔になってしまう。
「見たことないから分からないわ。なんでも地面に仕掛けられてて、ツチノコが引っ掛かると気体の元素が発生して、ツチノコを捕まえるって聞いたけど」
「げんそ……って何だ? そういや、メアリスとドテが山と海の元素がどうとか言ってたけど」
ヒロはアヤの隣に並んで尋ねた。元素という単語は、村長宅の玄関で会話していた時に聞いた記憶がある。なんとなくニュアンスは分かったため聞き流してしまったが、改めて考えてみると馴染みのない言葉だ。
アヤは歩きながら説明する。
「元素っていうのは自然の力よ。山にも海にも、生き物にだって元素は含まれてるわ。確か四つの種類があって……燃焼、液体、固体、気体、だったかしら。シノがそう言ってたはずだけど」
彼女は眉間にシワを作って台詞を続けた。
「で、元素には相性があるの。ツチノコの元素は固体なんだけど、固体と気体は相性が悪いわ。だからツチノコに気体の元素を加えると、ツチノコは弱るの」
「そういや昨日の夜、シノは気体の魔術でツチノコを攻撃したってメアリスが言ってたな」
ヒロとメアリスがツチノコに襲われた時、魔術を使って助けてくれたのがシノだった。どうやらシノは最も効果的な手段を選んでいたらしい。
「元素については魔術師が詳しいから、もっと知りたいならシノに聞いてみて」
「じゃあいいや」
「嫌われたわねぇ」
アヤは困った顔のまま笑う。彼女は困り顔が癖になっているのかもしれないなと、ふとヒロは思った。
「……気になってたんだけど、呪術と魔術って違うのか?」
「全然違うわ。呪術は魂に依る技能で、魔術は自然に依る技能よ。呪術師は魔術を使えないし、逆もそう」
「素人から見ると、どっちも似たようなもんに思えるけどな」
ヒロは素直な感想を口にする。どちらも不思議な能力だが、力をどこから引き出すかが両者の決定的な違いということか。
「なぁメアリス、呪術って……」
続けてヒロはメアリスにも質問しようとしたが、当の彼女の姿が見えず足を止めた。
「……あれ?」
ヒロは辺りを見回す。周りを囲むのは代り映えしない木々。後ろに見えるのは自分達が通ってきた地面がむき出しの山道。枝葉の間から見える青い空では、ゆっくりと雲が漂っていた。
彼の様子に気付いたアヤも後ろを振り向く。
「えっ……メアリス!? どこ!?」
焦って彼女が呼びかけると、かなり遠くから返事が返ってきた。
「待ってー……」
山道の曲がり角から、手を振りながらメアリスが姿を現す。単に遅れて歩いていただけらしい彼女を見てアヤは緊張を解いた。
「よかったぁ……はぐれたかと思った……」
「ここまで一本道だろ。はぐれようがねぇよ」
と言いつつ、正直なところヒロは肝を冷やしていた。彼の中では未だツチノコへの警戒心が根強い。
やがて追いついてきたメアリスは肩で息をし苦笑いした。
「ふひぃ……昨日から山歩きの連続だから、ちょっと疲れちゃった……」
「大丈夫? 顔色が悪いわよ?」
「大丈夫っ」
心配するアヤへメアリスは威勢よく頷いたが、どう見ても空元気だ。
ヒロは呆れ交じりに彼女へ指摘する。
「もしかしてメアリスって、運動苦手か?」
「にぇっ?」
「なんか、足が上がってないっつーか……村長の家で走ってきた時も、陸で溺れてるみたいな動きしてたし……」
彼女の顔を正面から見たヒロは更に違和感を強める。
「つーか、メアリス……お前、本当に昼飯食ったか?」
「食べたよ! お腹一杯! さぁ行こっ」
メアリスは空元気を振り絞ると勢い任せに歩行を再開した。
「あぁっ、メアリス! もっと道の真ん中歩いて!」
彼女の後ろをアヤが追いかけ、ヒロも無言で二人へ続く。
彼には、メアリスの顔が妙に青ざめて見えた。登山を始めて未だ十分ほどしか経っていないのに既に彼女は疲労している。だから、もしや空腹のまま山へ来てしまったのかと思ったのだ。
わずかな引っ掛かりをヒロは覚えたが、食べたと返されてはそれ以上追及できない。そのまま三人は、目的地まで口数少なく歩いていった。
意外にもヤマガミ神社へ至る道にヒロは見覚えがあった。山道は、昨夜メアリスやシノと出会った場所の隣に伸びていたのだ。
「遅れてごめんね。マコト君に儀式を中止できないか頼んでみたんだけど、もう無理って言われて……」
「いいっていいって。それより、おにぎりありがとな」
そんな会話をしているメアリスとヒロの先頭にはアヤが立ち、迷いなく山道を進んでいく。
「ちゃんとついてこれてる? 道から逸れないようにね?」
「大丈夫だ」
振り向きつつの彼女の呼びかけにヒロは応じる。そうしながらも、彼は常に周囲への警戒を怠らないようにしていた。
神社へ向かう前に、アヤは二人へ大事な注意事項を告げていた。それは、ヤマガミ神社の周りにはツチノコが大量に生息している、ということ。ツチノコは夜行性のため昼間の動きは鈍いが、襲ってこないとは限らない。そのため、村人達は神社へ向かう道の周りに罠を仕掛け、ツチノコと遭遇しないようにしているのだという。
つまり道を歩いていればほぼ安全、とのことだが、一度ツチノコに襲われているヒロとしては万が一を想像してしまう。ツチノコは小さいが、ああ見えて人の足首の肉を食いちぎるくらい顎の力が強いらしい。
微かな草の揺れにも反応している彼を見てアヤは笑った。
「道から外れなきゃ安全よ。夜だって、ここではたまにしかツチノコと出会わないらしいし。ヒロもこの辺を歩いてたらしいけど無事だったでしょ?」
「そうだけどよぉ……」
ヒロは嫌そうな顔になる。彼がシノに発見されたのはヤマガミ神社の近くに位置する川岸だったという。つまり、ヒロは知らずに危険地帯を歩いていたのだ。夜が訪れる前に捕まったのは幸運だったともいえる。
「でも昨日の夜、ツチノコは俺のこと木の上から狙ってきたんだぞ? 罠って木の上にもあんのか?」
「ないわよ。ツチノコってほとんど木に登らないもの」
「……俺って運が悪ぃのかな」
ツチノコに襲われたのもそうだが、記憶を失った状態で事件に関わってしまったのも自身の不運が招いた結果に思えてきた。
ヒロは深い溜息をついたが、それと同時にメアリスが大きくバランスを崩したため慌てて顔を上げる。
「んぎゃっ」
「どうした!?」
大声で呼びかけられたメアリスは照れたように笑った。
「平気! ちょっと転びそうになっただけ」
見れば、彼女の足元には大きめの石が転がっている。
「そうか……」
ツチノコの姿は影も形もないのを確認し、今度はヒロは安堵の溜息を吐き出した。こんなことで一々驚いては先が思いやられる。
「な、なぁ? 罠ってどんなヤツなんだ? 大丈夫なんだよな?」
少しでも安心しようとヒロはアヤへ問いかけたが彼女は困り顔になってしまう。
「見たことないから分からないわ。なんでも地面に仕掛けられてて、ツチノコが引っ掛かると気体の元素が発生して、ツチノコを捕まえるって聞いたけど」
「げんそ……って何だ? そういや、メアリスとドテが山と海の元素がどうとか言ってたけど」
ヒロはアヤの隣に並んで尋ねた。元素という単語は、村長宅の玄関で会話していた時に聞いた記憶がある。なんとなくニュアンスは分かったため聞き流してしまったが、改めて考えてみると馴染みのない言葉だ。
アヤは歩きながら説明する。
「元素っていうのは自然の力よ。山にも海にも、生き物にだって元素は含まれてるわ。確か四つの種類があって……燃焼、液体、固体、気体、だったかしら。シノがそう言ってたはずだけど」
彼女は眉間にシワを作って台詞を続けた。
「で、元素には相性があるの。ツチノコの元素は固体なんだけど、固体と気体は相性が悪いわ。だからツチノコに気体の元素を加えると、ツチノコは弱るの」
「そういや昨日の夜、シノは気体の魔術でツチノコを攻撃したってメアリスが言ってたな」
ヒロとメアリスがツチノコに襲われた時、魔術を使って助けてくれたのがシノだった。どうやらシノは最も効果的な手段を選んでいたらしい。
「元素については魔術師が詳しいから、もっと知りたいならシノに聞いてみて」
「じゃあいいや」
「嫌われたわねぇ」
アヤは困った顔のまま笑う。彼女は困り顔が癖になっているのかもしれないなと、ふとヒロは思った。
「……気になってたんだけど、呪術と魔術って違うのか?」
「全然違うわ。呪術は魂に依る技能で、魔術は自然に依る技能よ。呪術師は魔術を使えないし、逆もそう」
「素人から見ると、どっちも似たようなもんに思えるけどな」
ヒロは素直な感想を口にする。どちらも不思議な能力だが、力をどこから引き出すかが両者の決定的な違いということか。
「なぁメアリス、呪術って……」
続けてヒロはメアリスにも質問しようとしたが、当の彼女の姿が見えず足を止めた。
「……あれ?」
ヒロは辺りを見回す。周りを囲むのは代り映えしない木々。後ろに見えるのは自分達が通ってきた地面がむき出しの山道。枝葉の間から見える青い空では、ゆっくりと雲が漂っていた。
彼の様子に気付いたアヤも後ろを振り向く。
「えっ……メアリス!? どこ!?」
焦って彼女が呼びかけると、かなり遠くから返事が返ってきた。
「待ってー……」
山道の曲がり角から、手を振りながらメアリスが姿を現す。単に遅れて歩いていただけらしい彼女を見てアヤは緊張を解いた。
「よかったぁ……はぐれたかと思った……」
「ここまで一本道だろ。はぐれようがねぇよ」
と言いつつ、正直なところヒロは肝を冷やしていた。彼の中では未だツチノコへの警戒心が根強い。
やがて追いついてきたメアリスは肩で息をし苦笑いした。
「ふひぃ……昨日から山歩きの連続だから、ちょっと疲れちゃった……」
「大丈夫? 顔色が悪いわよ?」
「大丈夫っ」
心配するアヤへメアリスは威勢よく頷いたが、どう見ても空元気だ。
ヒロは呆れ交じりに彼女へ指摘する。
「もしかしてメアリスって、運動苦手か?」
「にぇっ?」
「なんか、足が上がってないっつーか……村長の家で走ってきた時も、陸で溺れてるみたいな動きしてたし……」
彼女の顔を正面から見たヒロは更に違和感を強める。
「つーか、メアリス……お前、本当に昼飯食ったか?」
「食べたよ! お腹一杯! さぁ行こっ」
メアリスは空元気を振り絞ると勢い任せに歩行を再開した。
「あぁっ、メアリス! もっと道の真ん中歩いて!」
彼女の後ろをアヤが追いかけ、ヒロも無言で二人へ続く。
彼には、メアリスの顔が妙に青ざめて見えた。登山を始めて未だ十分ほどしか経っていないのに既に彼女は疲労している。だから、もしや空腹のまま山へ来てしまったのかと思ったのだ。
わずかな引っ掛かりをヒロは覚えたが、食べたと返されてはそれ以上追及できない。そのまま三人は、目的地まで口数少なく歩いていった。