神の住む山(2)
文字数 2,552文字
村から出発して三十分。三人はヤマガミ神社の拝殿に到着した。境内はそれほど広くなかったが清掃が行き届いており、しっかりした石畳が建物へ向かって続いている。
一見したところ拝殿自体に目立った特徴はない。黒い瓦が屋根に並ぶ木製の普通の神社だ。十年前に村が津波に襲われた後、多くの村人の命を救った神社はそれまで以上に大切にされるようになり、一度修繕も行われたという。
想像していたより小奇麗な風景にヒロは拍子抜けしたが、ここで死体が発見されたのは紛れもない事実だ。
ヤマガミ神社は、その名の通りヤマガミという神を祭る神社である。境内に安置されている石碑には山神という文字が大きく刻まれていた。
神社を見て回っていたヒロは嫌でも目に入る石碑を見上げポツリと呟く。
「漢字で書くと山神、か。この山に住んでる神様ってことか?」
「そうね。この辺りの土には固体の元素が豊富なんだけど、その元素を作り出してるのがヤマガミ様なんですって」
アヤも彼の隣に立って石碑を眺めた。
「ヤマガミ様の本当の名前はノヅチっていって、ツチノコの親分なんだって村長さんが言ってたわ。ツチノコよりも長くて目が無いんですって」
「目が無い蛇か。ミミズみたいな感じか?」
「そうかも。でも、口はとても大きいらしいわよ」
「……いるのかな。そんなヤツ」
「ツチヘビ村の皆はいるって信じてるわ。村の人達はね、自分達は山神様の縄張りに住ませてもらってるって考えてるの。ツチノコを狩るのはヤマガミ様の力の一部を分けてもらってるってことなんだって。だから、年に一回ヤマガミ様を祭るお祭りも欠かさずやってるの。そうやって敬わないとヤマガミ様が怒って、村まで降りてきて暴れるらしいわよ」
「怒ると人を攻撃すんのか」
「普段は温厚らしいけどね。あと、ツチノコを狩りすぎると怒るんですって。だから狩る量はきちんと決まってて、殺したツチノコもちゃんと供養してるらしいわよ」
アヤの解説を聞きながら、ヒロは村長宅での出来事を回想していた。ドテは被害者を殺したのはヤマガミではないかと疑い、ツチヤはそれを否定した。二人は明らかにヤマガミが実在しているのを前提として口論していたのだから村人達がヤマガミの存在を信じているのは事実だろう。
それでは、ヤマガミは本当にいるのだろうか。いたとして、人を殺す可能性はあるのか。被害者は首を絞められ殺されている。蛇の化け物が実在するなら、人を絞殺することも可能なのでは。若い女の首に巨大なミミズが巻きついている様を想像しヒロはゾワリとした。
仮に犯人がヤマガミだとしたら、犯行を証明するのは困難だ。それにヤマガミを慕う村人達も認めはしないだろう。
犯人は人であってほしい。いや、人に違いない。ヒロは自身が思い描いたミミズの化け物の幻影を振り払う。
一方、ヒロが妄想と格闘している間にアヤは境内へ足を進めていた。
「でね、確か……マサヨちゃんは、この辺りに倒れてたの。こんな感じで」
彼女は石畳の上に仰向けに横たわる。意識を現実に切り替えたヒロは驚き交じりにアヤへ近づいた。
「おいおい、汚れるぞ」
「この方が分かりやすいでしょ?」
「まぁ、そうだけど……」
事件現場を荒らすのはマズいんじゃないか、と一瞬ヒロは思ったが横たわってしまったものは仕方ない。彼は腕を組んでアヤの姿を眺めた。
「……その格好で倒れてたのか? 気を付けの姿勢で?」
「そうなのよ。まるで寝てるみたいだったわ」
アヤが寝転がったまま答えた。
普通、人は自分が殺されそうになれば抵抗する。争えば着衣の乱れが生まれるし、倒れれば手足は投げ出された格好になる。なのに、被害者は棺桶にでも納められたかのように丁寧に横たわっていたらしい。この事実が意味するものとは。
「……死後、体勢が整えられた?」
ヒロは小声で呟いた。となると、誰かが被害者の死体に触れたことになる。恐らく犯人なのだろうが、殺した相手の姿勢を正した理由は何なのか。そんな時間があるなら、近くの森にでも死体を隠すのが自然に思える。
そこまで考えたところでヒロは神社を囲む木々を見渡す。整備された場所から外れればツチノコの縄張りだ。犯人が死体を隠さず、境内に放置したのはツチノコが原因なのだろうか。アヤ曰く犯人は余所者の男だというが、犯人が神社へたどりついたことを考えると、少なくともツチノコの怖さを知っているくらいには土地勘がある人物のはずだ。
同時に、犯人が自身の近くにいた可能性にも思い当たりヒロはゾクリとした。まさか自分の記憶喪失にも犯人が関わっているのではと考えてしまったが、さすがにこじつけか。となると。
「…………」
自分が殺人を犯した光景。再三浮かんでくる最悪の想像を、ヒロは頭を振って消し去った。
推理が横道にそれたのを自覚したヒロは深呼吸する。やがて彼は落ち着きを取り戻したが、思考を再開しようとした途端アヤの声が割って入った。
「あっ」
「どうした!?」
反射的にヒロは驚いた声を出してしまったが、対するアヤは呑気に寝転がったまま空を指差した。
「ほら、あそこ! 龍がいるわ!」
「りゅう……?」
つられてヒロは視線を上げる。方角は南。広がるのは緑の木々と、まばらにのぞく近隣の集落。遠くにはホノキョウ島を囲む海が見えた。
しかし更に視線を上げると、アヤが示したものは容易く視界に入り込む。青い空を背景に舞う大きな生き物。頭部に一本のツノを生やし、背中から伸びた翼で力強く羽ばたいているトカゲに似た何か。光を反射するシルエットは金色に輝き遠くにいても目を引く。
明らかに鳥と異なるそれは森の上を旋回していたが、やがて高く一声鳴くと北側、つまりヒロ達のいる方角へ向かってくる。しかし人など眼中に無いようで、神社の方を見ようともせず海へ向かって飛び去って行った。
後に残されたのは突風。揺れる前髪を押さえたヒロは唖然としたまま感想を口にした。
「……でけぇ」
龍が横切った位置は遠かったが、それでも彼にはウロコに覆われた龍の顔がはっきりと見え、大きく広げられた翼が木をなぎ倒すのではないかと錯覚してしまった。
上半身を起こしたアヤも興奮気味に頷く。
「あんなに大きな生き物が飛べるなんて不思議よね。初めて見た時、感動しちゃったわ」
一見したところ拝殿自体に目立った特徴はない。黒い瓦が屋根に並ぶ木製の普通の神社だ。十年前に村が津波に襲われた後、多くの村人の命を救った神社はそれまで以上に大切にされるようになり、一度修繕も行われたという。
想像していたより小奇麗な風景にヒロは拍子抜けしたが、ここで死体が発見されたのは紛れもない事実だ。
ヤマガミ神社は、その名の通りヤマガミという神を祭る神社である。境内に安置されている石碑には山神という文字が大きく刻まれていた。
神社を見て回っていたヒロは嫌でも目に入る石碑を見上げポツリと呟く。
「漢字で書くと山神、か。この山に住んでる神様ってことか?」
「そうね。この辺りの土には固体の元素が豊富なんだけど、その元素を作り出してるのがヤマガミ様なんですって」
アヤも彼の隣に立って石碑を眺めた。
「ヤマガミ様の本当の名前はノヅチっていって、ツチノコの親分なんだって村長さんが言ってたわ。ツチノコよりも長くて目が無いんですって」
「目が無い蛇か。ミミズみたいな感じか?」
「そうかも。でも、口はとても大きいらしいわよ」
「……いるのかな。そんなヤツ」
「ツチヘビ村の皆はいるって信じてるわ。村の人達はね、自分達は山神様の縄張りに住ませてもらってるって考えてるの。ツチノコを狩るのはヤマガミ様の力の一部を分けてもらってるってことなんだって。だから、年に一回ヤマガミ様を祭るお祭りも欠かさずやってるの。そうやって敬わないとヤマガミ様が怒って、村まで降りてきて暴れるらしいわよ」
「怒ると人を攻撃すんのか」
「普段は温厚らしいけどね。あと、ツチノコを狩りすぎると怒るんですって。だから狩る量はきちんと決まってて、殺したツチノコもちゃんと供養してるらしいわよ」
アヤの解説を聞きながら、ヒロは村長宅での出来事を回想していた。ドテは被害者を殺したのはヤマガミではないかと疑い、ツチヤはそれを否定した。二人は明らかにヤマガミが実在しているのを前提として口論していたのだから村人達がヤマガミの存在を信じているのは事実だろう。
それでは、ヤマガミは本当にいるのだろうか。いたとして、人を殺す可能性はあるのか。被害者は首を絞められ殺されている。蛇の化け物が実在するなら、人を絞殺することも可能なのでは。若い女の首に巨大なミミズが巻きついている様を想像しヒロはゾワリとした。
仮に犯人がヤマガミだとしたら、犯行を証明するのは困難だ。それにヤマガミを慕う村人達も認めはしないだろう。
犯人は人であってほしい。いや、人に違いない。ヒロは自身が思い描いたミミズの化け物の幻影を振り払う。
一方、ヒロが妄想と格闘している間にアヤは境内へ足を進めていた。
「でね、確か……マサヨちゃんは、この辺りに倒れてたの。こんな感じで」
彼女は石畳の上に仰向けに横たわる。意識を現実に切り替えたヒロは驚き交じりにアヤへ近づいた。
「おいおい、汚れるぞ」
「この方が分かりやすいでしょ?」
「まぁ、そうだけど……」
事件現場を荒らすのはマズいんじゃないか、と一瞬ヒロは思ったが横たわってしまったものは仕方ない。彼は腕を組んでアヤの姿を眺めた。
「……その格好で倒れてたのか? 気を付けの姿勢で?」
「そうなのよ。まるで寝てるみたいだったわ」
アヤが寝転がったまま答えた。
普通、人は自分が殺されそうになれば抵抗する。争えば着衣の乱れが生まれるし、倒れれば手足は投げ出された格好になる。なのに、被害者は棺桶にでも納められたかのように丁寧に横たわっていたらしい。この事実が意味するものとは。
「……死後、体勢が整えられた?」
ヒロは小声で呟いた。となると、誰かが被害者の死体に触れたことになる。恐らく犯人なのだろうが、殺した相手の姿勢を正した理由は何なのか。そんな時間があるなら、近くの森にでも死体を隠すのが自然に思える。
そこまで考えたところでヒロは神社を囲む木々を見渡す。整備された場所から外れればツチノコの縄張りだ。犯人が死体を隠さず、境内に放置したのはツチノコが原因なのだろうか。アヤ曰く犯人は余所者の男だというが、犯人が神社へたどりついたことを考えると、少なくともツチノコの怖さを知っているくらいには土地勘がある人物のはずだ。
同時に、犯人が自身の近くにいた可能性にも思い当たりヒロはゾクリとした。まさか自分の記憶喪失にも犯人が関わっているのではと考えてしまったが、さすがにこじつけか。となると。
「…………」
自分が殺人を犯した光景。再三浮かんでくる最悪の想像を、ヒロは頭を振って消し去った。
推理が横道にそれたのを自覚したヒロは深呼吸する。やがて彼は落ち着きを取り戻したが、思考を再開しようとした途端アヤの声が割って入った。
「あっ」
「どうした!?」
反射的にヒロは驚いた声を出してしまったが、対するアヤは呑気に寝転がったまま空を指差した。
「ほら、あそこ! 龍がいるわ!」
「りゅう……?」
つられてヒロは視線を上げる。方角は南。広がるのは緑の木々と、まばらにのぞく近隣の集落。遠くにはホノキョウ島を囲む海が見えた。
しかし更に視線を上げると、アヤが示したものは容易く視界に入り込む。青い空を背景に舞う大きな生き物。頭部に一本のツノを生やし、背中から伸びた翼で力強く羽ばたいているトカゲに似た何か。光を反射するシルエットは金色に輝き遠くにいても目を引く。
明らかに鳥と異なるそれは森の上を旋回していたが、やがて高く一声鳴くと北側、つまりヒロ達のいる方角へ向かってくる。しかし人など眼中に無いようで、神社の方を見ようともせず海へ向かって飛び去って行った。
後に残されたのは突風。揺れる前髪を押さえたヒロは唖然としたまま感想を口にした。
「……でけぇ」
龍が横切った位置は遠かったが、それでも彼にはウロコに覆われた龍の顔がはっきりと見え、大きく広げられた翼が木をなぎ倒すのではないかと錯覚してしまった。
上半身を起こしたアヤも興奮気味に頷く。
「あんなに大きな生き物が飛べるなんて不思議よね。初めて見た時、感動しちゃったわ」