プロローグ(1)
文字数 2,810文字
神社へ向かう石畳の参道には一人の女が倒れていた。夜空から落ちる淡い光がぼんやりと彼女を照らしている。
実に非日常的な状況だったが、一方で女の身なりは整然としているため、その光景は余計に歪な印象になっていた。女は服の乱れもなく仰向けに横たわっており、気を付けの姿勢でもとるかのように腕と脚をピンと伸ばしている。彼女がベッドの中にいるなら、単に眠っているだけに見えただろう。
しかし現在地は神社の境内であり、やはり女は普通ではなかった。彼女の首には赤い痣が出来上がっており、それはヒモ状の何かで強い力を加えた証拠に他ならない。醜い模様が出来上がる過程で女は命を落としたらしく、肌からは血色が失われつつある。
想像できるのは、殺意を持った何者かがもたらした苦しみに満ちた死。だが奇妙なことに女の表情に歪みはなく、目と口は丁寧に閉ざされていた。周囲に響く虫達の音も合わさり、なんだか平穏無事なような気すらしてくる。ただただ、首に残された赤色だけが不吉な現実を示していた。
おにぎりを頬張っていた男は二口目で顔をしかめた。
「うわっ、苦っ。なんだこの具」
「体力回復に効く薬草です。お茶もどうぞ」
隣に座る白衣の男が水筒を取り出す。
「良薬は口に苦しってか」
男はコップに注がれた液体を受け取るとしかめっ面のまま口に含んだ。
二人がいるのは夕刻の森。静かに川がせせらぐ岸辺に両者は座り込んでいる。
おにぎりを食べている男は、色黒な顔に嫌そうな感情を浮かべながらも食事を続けている。小柄な体格とピンと立った緑の前髪が合わさり、彼はなんだか虫に似て見えた。
対して、おにぎりを提供した側は無言で川を眺めている。瞳が金色の彼の形相はトカゲに似て見えた。湿り気を帯びた風が黄色い髪を揺らす。
しばし川岸には虫似の男が立てる咀嚼音のみ響いていたが、やがてトカゲ似の男が口を開いた。
「それでは、あなたは何も覚えていないんですか? 名前も、ここで何をしていたのかも」
虫に似た男はおにぎりを飲み込むための一拍を挟んで返事をする。
「ああ。気付いたらこんな山の中にいたんだ。あんたに会えなきゃ飢え死にしてたかもな」
「何か身分が分かるようなものは持ってないんですか?」
「それがな、何もねぇんだよ。登山するにしてはおかしな話だよな」
男はお茶で口を潤すと三白眼の目で周囲の山々を見渡した。
「どっか高いところに登って、そこから落ちて、頭でも打ったかなぁ……」
「怪我などはしていないように見えますが」
「見た目はなんともねぇけど、気付いた時はやたらと身体が怠かったし、頭もガンガンしてたから、何かあったのは確かだと思うんだよなぁ」
説明しつつ彼は自身の頭を撫でる。手からは既におにぎりが無くなっていた。
トカゲ似の男は再度問う。
「……今はどうです? そろそろ薬が効いてくる頃だと思うのですが」
「ん? あぁ、ちょっと落ち着いてきたかな。頭痛も治まってきたし……」
虫似の男は頭から手を離すと安堵を示すように溜息をついた。同時に目を強くつむったが、数秒もしない内に上半身をふらつかせる。
「ってか、なんか……眠……」
言い終える前に彼は倒れ、そのまま意識を失ってしまった。小石だらけの地面に身体を打ち付けたというのに痛みを感じた仕草もしない。
「…………」
トカゲ似の男は動じることなく彼を見下ろしていたが、一分経過しても相手が横たわったままなのを確認すると浅く息を吐き出した。
やがて彼は身動ぎし、寝息を立てている男へ手を伸ばす。しかし背後の森から人の気配が近づいてきたのを察すると自然な動作で元の体勢に戻った。
「おーい! 誰かいるんですかー!?」
聞こえてきたのは女の声。続いて訛りの強い男の声が続く。
「あ? あれってシノ先生じゃねぇか?」
「先生ー! 一人じゃ危ねぇですよー! 団体行動してくださーい!」
もう一人別の男がいるらしく、違う声が更に続いた。
草木をかき分け歩いてきた三人はワイワイと川辺へ姿を現す。シノと呼ばれたトカゲ似の男は一瞬瞳を細めたが、素早く取り繕うと呼びかけに応じた。
「別に大丈夫です。それより、ちょっと来てください」
招かれた三人は早歩きになって彼へ近寄る。真っ先に状況を把握したのは先頭を歩いていた女。
「あっ」
彼女は横たわっている男を見ると小さく声を上げた。後ろを歩いていた二人は彼を見つけるなり不可解そうになる。
「え? どなたです、この人」
片方の男に尋ねられたシノは虫似の男へチラリと視線を向けて答えた。
「山の中をうろついていた不審者です。薬で眠らせておきました」
「はぇー。お医者様ってのはそんなことも出来るんですか」
「やっぱ都会の医者は一味違うな」
男二人は顔を見合わせ感心し合っている。
次にシノは固まったままの女へ問いかけた。
「メアリス。あなたが見たという男は彼で間違いありませんか?」
メアリスと呼ばれた女は一瞬ビクリと身体を震わせる。彼女はうながされるまま倒れた男を覗き込むと、控えめに頷いた。
「……うん」
「あなた達は、この男に見覚えはないですね?」
今度はシノは男二人へ呼びかける。二人は険しい形相で問いを肯定した。
「はい、ツチヘビ村のもんではないです」
「隣村にもこんなやつはいなかったはずです」
言って、改めて二人は横たわる男を見下ろす。大人しく寝ている彼とは対照的に男達の顔は青ざめていった。
「じゃ、まさか……」
「こいつが……」
「「殺人犯!?」」
「まだ決めつけるのは早いよっ」
悲鳴のような台詞を否定したのはメアリス。彼女は二人を落ち着かせる言葉を探しているらしかったが、何か言うより先にシノが口を開く。
「殺人事件の現場の近くをうろついていたんですから犯人である可能性は十分あるかと。それに三足教でも、彼が犯人だと考えて捜索していたんでしょう?」
「それは……」
メアリスは困ったように口ごもった。感情が高ぶったままの男二人はシノに加勢する。
「メアリス様、シノ先生の言う通りです。こいつが犯人に違いねぇ! 男だし、余所者だ。アヤ様の霊視の通りじゃねぇか!」
「先生っ、お手柄ですねぇ」
「はぁ、どうも」
褒められた側は特に嬉しくもなさそうに応じた。男二人はシノの態度に気付きもせず盛り上がる。
「よっしゃ! 皆に知らせてくる! さっさと檻に放り込んでやるぜ」
「これで安心して眠れるなぁ」
一人の男が駆け出していくのを、もう一人の男は嬉しそうに見送った。シノは残った男へ問いかける。
「それでは明日、彼を警察に引き渡すんですか?」
男は意識をシノへ戻すと難し気な顔つきになった。
「いや、村の年寄り達がよ、殺人犯はヤマガミ様の生贄に捧げるって言ってたから、こいつには死んでもらうことになるんじゃねぇかな」
「「え」」
驚いたのはシノとメアリス。男は二人の反応を気に留めず言葉を付け加えた。
「明日は儀式の準備だな。忙しくなりそうだぁ」
実に非日常的な状況だったが、一方で女の身なりは整然としているため、その光景は余計に歪な印象になっていた。女は服の乱れもなく仰向けに横たわっており、気を付けの姿勢でもとるかのように腕と脚をピンと伸ばしている。彼女がベッドの中にいるなら、単に眠っているだけに見えただろう。
しかし現在地は神社の境内であり、やはり女は普通ではなかった。彼女の首には赤い痣が出来上がっており、それはヒモ状の何かで強い力を加えた証拠に他ならない。醜い模様が出来上がる過程で女は命を落としたらしく、肌からは血色が失われつつある。
想像できるのは、殺意を持った何者かがもたらした苦しみに満ちた死。だが奇妙なことに女の表情に歪みはなく、目と口は丁寧に閉ざされていた。周囲に響く虫達の音も合わさり、なんだか平穏無事なような気すらしてくる。ただただ、首に残された赤色だけが不吉な現実を示していた。
おにぎりを頬張っていた男は二口目で顔をしかめた。
「うわっ、苦っ。なんだこの具」
「体力回復に効く薬草です。お茶もどうぞ」
隣に座る白衣の男が水筒を取り出す。
「良薬は口に苦しってか」
男はコップに注がれた液体を受け取るとしかめっ面のまま口に含んだ。
二人がいるのは夕刻の森。静かに川がせせらぐ岸辺に両者は座り込んでいる。
おにぎりを食べている男は、色黒な顔に嫌そうな感情を浮かべながらも食事を続けている。小柄な体格とピンと立った緑の前髪が合わさり、彼はなんだか虫に似て見えた。
対して、おにぎりを提供した側は無言で川を眺めている。瞳が金色の彼の形相はトカゲに似て見えた。湿り気を帯びた風が黄色い髪を揺らす。
しばし川岸には虫似の男が立てる咀嚼音のみ響いていたが、やがてトカゲ似の男が口を開いた。
「それでは、あなたは何も覚えていないんですか? 名前も、ここで何をしていたのかも」
虫に似た男はおにぎりを飲み込むための一拍を挟んで返事をする。
「ああ。気付いたらこんな山の中にいたんだ。あんたに会えなきゃ飢え死にしてたかもな」
「何か身分が分かるようなものは持ってないんですか?」
「それがな、何もねぇんだよ。登山するにしてはおかしな話だよな」
男はお茶で口を潤すと三白眼の目で周囲の山々を見渡した。
「どっか高いところに登って、そこから落ちて、頭でも打ったかなぁ……」
「怪我などはしていないように見えますが」
「見た目はなんともねぇけど、気付いた時はやたらと身体が怠かったし、頭もガンガンしてたから、何かあったのは確かだと思うんだよなぁ」
説明しつつ彼は自身の頭を撫でる。手からは既におにぎりが無くなっていた。
トカゲ似の男は再度問う。
「……今はどうです? そろそろ薬が効いてくる頃だと思うのですが」
「ん? あぁ、ちょっと落ち着いてきたかな。頭痛も治まってきたし……」
虫似の男は頭から手を離すと安堵を示すように溜息をついた。同時に目を強くつむったが、数秒もしない内に上半身をふらつかせる。
「ってか、なんか……眠……」
言い終える前に彼は倒れ、そのまま意識を失ってしまった。小石だらけの地面に身体を打ち付けたというのに痛みを感じた仕草もしない。
「…………」
トカゲ似の男は動じることなく彼を見下ろしていたが、一分経過しても相手が横たわったままなのを確認すると浅く息を吐き出した。
やがて彼は身動ぎし、寝息を立てている男へ手を伸ばす。しかし背後の森から人の気配が近づいてきたのを察すると自然な動作で元の体勢に戻った。
「おーい! 誰かいるんですかー!?」
聞こえてきたのは女の声。続いて訛りの強い男の声が続く。
「あ? あれってシノ先生じゃねぇか?」
「先生ー! 一人じゃ危ねぇですよー! 団体行動してくださーい!」
もう一人別の男がいるらしく、違う声が更に続いた。
草木をかき分け歩いてきた三人はワイワイと川辺へ姿を現す。シノと呼ばれたトカゲ似の男は一瞬瞳を細めたが、素早く取り繕うと呼びかけに応じた。
「別に大丈夫です。それより、ちょっと来てください」
招かれた三人は早歩きになって彼へ近寄る。真っ先に状況を把握したのは先頭を歩いていた女。
「あっ」
彼女は横たわっている男を見ると小さく声を上げた。後ろを歩いていた二人は彼を見つけるなり不可解そうになる。
「え? どなたです、この人」
片方の男に尋ねられたシノは虫似の男へチラリと視線を向けて答えた。
「山の中をうろついていた不審者です。薬で眠らせておきました」
「はぇー。お医者様ってのはそんなことも出来るんですか」
「やっぱ都会の医者は一味違うな」
男二人は顔を見合わせ感心し合っている。
次にシノは固まったままの女へ問いかけた。
「メアリス。あなたが見たという男は彼で間違いありませんか?」
メアリスと呼ばれた女は一瞬ビクリと身体を震わせる。彼女はうながされるまま倒れた男を覗き込むと、控えめに頷いた。
「……うん」
「あなた達は、この男に見覚えはないですね?」
今度はシノは男二人へ呼びかける。二人は険しい形相で問いを肯定した。
「はい、ツチヘビ村のもんではないです」
「隣村にもこんなやつはいなかったはずです」
言って、改めて二人は横たわる男を見下ろす。大人しく寝ている彼とは対照的に男達の顔は青ざめていった。
「じゃ、まさか……」
「こいつが……」
「「殺人犯!?」」
「まだ決めつけるのは早いよっ」
悲鳴のような台詞を否定したのはメアリス。彼女は二人を落ち着かせる言葉を探しているらしかったが、何か言うより先にシノが口を開く。
「殺人事件の現場の近くをうろついていたんですから犯人である可能性は十分あるかと。それに三足教でも、彼が犯人だと考えて捜索していたんでしょう?」
「それは……」
メアリスは困ったように口ごもった。感情が高ぶったままの男二人はシノに加勢する。
「メアリス様、シノ先生の言う通りです。こいつが犯人に違いねぇ! 男だし、余所者だ。アヤ様の霊視の通りじゃねぇか!」
「先生っ、お手柄ですねぇ」
「はぁ、どうも」
褒められた側は特に嬉しくもなさそうに応じた。男二人はシノの態度に気付きもせず盛り上がる。
「よっしゃ! 皆に知らせてくる! さっさと檻に放り込んでやるぜ」
「これで安心して眠れるなぁ」
一人の男が駆け出していくのを、もう一人の男は嬉しそうに見送った。シノは残った男へ問いかける。
「それでは明日、彼を警察に引き渡すんですか?」
男は意識をシノへ戻すと難し気な顔つきになった。
「いや、村の年寄り達がよ、殺人犯はヤマガミ様の生贄に捧げるって言ってたから、こいつには死んでもらうことになるんじゃねぇかな」
「「え」」
驚いたのはシノとメアリス。男は二人の反応を気に留めず言葉を付け加えた。
「明日は儀式の準備だな。忙しくなりそうだぁ」