疑いの的(4)
文字数 3,162文字
シノと別れてから数分後、ようやくメアリスが玄関まで戻ってきた。
「ごめーんっ、お待たせ!」
「おう。おかえり」
バタバタと駆け足でやってきたメアリスへヒロが応じる。メアリスは彼の隣へ到着すると息を整えていたが、ヒロが壁を見つめているのに気付き声をかけた。
「地図見てたの?」
ヒロの視線の先にあったのは廊下の壁に貼られた地図。現在地であるホノキョウ島の全域が描かれたもので、町の位置やそれらを繋ぐ道が詳細に記されていた。地図で見るとホノキョウ島は縦に長い形をしているのが分かる。北東にはツチヘビ村の名前も記載されていた。
ヒロは地図へ視線を走らせ頷く。
「ああ。地名を見れば、俺がどこから来たか思い出せるんじゃないかと思ってよ」
「……見覚えのある場所あった?」
「ダメだな。全部初めて見た気がする。俺、別の島から来たのかもしれねぇ」
ホノキョウ島には小さな村が点在しているが、そのどれにもヒロは馴染みがないように思えた。
眉間にシワを作っている彼を見てメアリスも考え込む。
「ホノキョウ島の近くで人口が多い島っていうと、チクシ島とか……?」
「チクシ島? どこだ?」
「この地図には載ってないよ。チクシ島はホノキョウ市の港から船で行けるの。ちなみに、別の島から来た船は全部ホノキョウ市の港に到着するから、島の外から来たならホノキョウ市は確実に通ってると思う」
「ホノキョウ市……あ、ここか」
ヒロは島の中央付近を指差す。ホノキョウ島の真ん中、その更に東側の海沿いにはホノキョウ市という表記があった。
「ホノキョウ市はホノキョウ島で一番大きな町だよ。分かりやすいよね。大きいスーパーとか病院とか、あと警察署もここにあるから、ホノキョウ島では一番有名だよ。三足教の支部もあって、私はそこから来たんだ」
「……全っ然、ピンと来ねぇ」
メアリスに解説されてもヒロの表情は晴れない。どうやら彼の記憶喪失は根深いもののようだ。
しばしヒロは地図をにらんでいたが、いつまでもこうしているわけにはいかなかった。メアリスが戻ってきたのだから本題に戻らねばならない。
「ま、今は俺の正体より犯人探しを優先しないとな。死んじまったら元も子もないし」
溜息交じりに意識を切り替えた彼を見てメアリスも気合を入れ直す。
「うん! 気を取り直して、行っくぞー!」
力強く拳を振り上げた彼女へ、改めてヒロは次の目的地を告げた。
「で、だ。俺、次はアヤ様とかいう霊能力者に会おうと思ってんだけどよ。メアリスとアヤ様は友達だって聞いたんだけど、この話ってマジか?」
問われたメアリスは元気よく頷く。
「うん、マジ。っていうか、アヤはヒロと同じ三足教の幹部だからヒロとも友達なんだよ。驚いた?」
「いや、それ、さっきシノから聞いたから……」
「そうなの? じゃあシノも三足教の幹部だって話は?」
「聞いた。具合悪くなった」
メアリスと別れてからどんな会話があったか、思い出しつつヒロは説明していった。
あらかた聞き終えたメアリスは開け放たれたままの玄関へ視線を向ける。
「そっか。シノ、また村の人達の診察に行くのかな」
「病人がいるのか?」
ヒロが問うとメアリスは首を横に振った。
「ううん。そういうわけじゃなくて……ほら、この村って土砂崩れがあったせいで余所へ行くための道路が通れなくなったでしょ? そういう不安がストレスになって体調を崩す人がチラホラ出てるんだよ。元々お年寄りが多い村だから、持病のある人も珍しくないしね」
横切っていく村人を眺めるメアリスの横顔は不安げだ。
「食料や水はたくさんあるから、飢える心配はないらしいけど……生き物って、食べ物だけで生きてるわけじゃないから。道路はそろそろ開通するらしいし、もう少しの辛抱だって皆で励まし合ってるんだ」
「なるほどな。シノが忙しいって言ってたのはそういうことだったのか」
ヒロはシノの態度に納得する。最初に「忙しい」と言われた時は拒絶されているのかと思ったが、人というのは表面だけでは分からないものだ。
同時に、村に漂っている緊張感の正体も見えてきた。てっきりヒロは殺人の容疑者である自分への警戒心かと思っていたが、根底には村が孤立している現状への不安があるのだろう。
ヒロを生贄にするという強引すぎる蛮行も、不安を解消して日常に戻りたいという願望が暴走した結果なのかもしれない。とはいえ、そんな憂さ晴らしに巻き込まれている側からすればたまったものではないが。
数秒の間にヒロの様々なことを考えていたが、一方のメアリスは話題を元に戻していた。
「それにしてもシノって凄いよね。お医者さんで、しかも魔術師なんて!」
彼女は感心したように頷いていたが、対するヒロが無言なのを見て慌てた様子になる。
「……ヒロのことも頼りにしてるよ!?」
「いやっ、自分の立場を危ぶんでたわけじゃねぇよ!」
想定外のフォローを受けたヒロは思考を現実に引き戻した。彼の反応を見たメアリスは今度は不思議そうになる。
「そうなの? シノの話する時しかめっ面になるから、ライバル心があるのかと思った」
「ライバルっつーか……俺としては、まず仲間ってのが拒否感あるっつーか。毒盛られたし」
「大丈夫! ヒロに使った薬は睡眠薬を改良したやつで、ぐっすり眠ることで内臓の機能が回復して、逆に健康になるんだってシノが言ってたよ!」
「……メアリスってさ、ちょろいよな」
「素直ってこと?」
「悪い意味でな?」
慣れてきた彼女とのやり取りに、ヒロは思わず笑ってしまった。
メアリスに案内され、ヒロは二階への階段を上がっていった。目指すは霊能力者アヤの部屋だ。
メアリスもアヤとシノと同じく村長宅に滞在しているため間取りは把握しているという。ちなみにメアリスは一階に泊っているが、アヤの部屋へも何度か遊びに行ったらしい。
木製の階段は古びて見えたが足を乗せても軋む音一つ立てず、比較的新しいのが分かる。確かドテが「津波のせいでツチヘビ村は壊滅的な被害が出た」と言っていた。現在ツチヘビ村に建っている家屋は津波の後に立てられたものなのだろう。
意気揚々と先頭を歩くメアリスの後ろをヒロは大人しくついていった。二段高い位置にいるメアリスの頭の位置はヒロのものより上にあるが、やがて二階に着いたことで両者の身長差は元に戻る。
二階も一階と同じく木製の廊下が続いており、左側に並ぶ窓からは明るい日の光が差し込んでいた。光が照らすのは複数の障子戸で、それぞれの先に客間があるのが察せられる。その光景は実に日常的で、村で殺人事件が起こったことも、一階に死体があることも、趣味の悪い冗談に感じられた。
しかし窓へ視線を向けると、広場では村人達が木材を組んで舞台のようなものを作っているのが見え、やはり今は非日常なのだとヒロは理解する。賑やかに組み立てられているあれが生贄を捧げるための祭壇で、その犠牲者が自分なのを彼は知っていた。残念ながら、趣味の悪い冗談こそが現実だ。
ヒロが無言で気が滅入っていると、広場の方へツチヤが歩いていくのが見えた。村人の一人が彼を先導する格好で歩いており、しきりに広場を指差し話しかけている。どうやらツチヤは作業の指示を仰がれているようだ。
「……そういやさ」
ツチヤの姿を見たヒロは、メアリスへ尋ねたかった疑問があったのを思い出した。
「メアリスは村長と何話してたんだ?」
問われた側はピタリと足を止め、妙にぎこちなく彼の方を見る。
「……昔の話だけど?」
「えっ、事件の話じゃないのか?」
「ううん、全然違う! っていうか女同士の話なんだからヒロには関係ないでしょっ。エッチ!」
「エッチって……」
「ほらっ、ここがアヤの部屋だよ!」
メアリスは強引に問答を終わらせると、前方の障子戸を指差した。
「ごめーんっ、お待たせ!」
「おう。おかえり」
バタバタと駆け足でやってきたメアリスへヒロが応じる。メアリスは彼の隣へ到着すると息を整えていたが、ヒロが壁を見つめているのに気付き声をかけた。
「地図見てたの?」
ヒロの視線の先にあったのは廊下の壁に貼られた地図。現在地であるホノキョウ島の全域が描かれたもので、町の位置やそれらを繋ぐ道が詳細に記されていた。地図で見るとホノキョウ島は縦に長い形をしているのが分かる。北東にはツチヘビ村の名前も記載されていた。
ヒロは地図へ視線を走らせ頷く。
「ああ。地名を見れば、俺がどこから来たか思い出せるんじゃないかと思ってよ」
「……見覚えのある場所あった?」
「ダメだな。全部初めて見た気がする。俺、別の島から来たのかもしれねぇ」
ホノキョウ島には小さな村が点在しているが、そのどれにもヒロは馴染みがないように思えた。
眉間にシワを作っている彼を見てメアリスも考え込む。
「ホノキョウ島の近くで人口が多い島っていうと、チクシ島とか……?」
「チクシ島? どこだ?」
「この地図には載ってないよ。チクシ島はホノキョウ市の港から船で行けるの。ちなみに、別の島から来た船は全部ホノキョウ市の港に到着するから、島の外から来たならホノキョウ市は確実に通ってると思う」
「ホノキョウ市……あ、ここか」
ヒロは島の中央付近を指差す。ホノキョウ島の真ん中、その更に東側の海沿いにはホノキョウ市という表記があった。
「ホノキョウ市はホノキョウ島で一番大きな町だよ。分かりやすいよね。大きいスーパーとか病院とか、あと警察署もここにあるから、ホノキョウ島では一番有名だよ。三足教の支部もあって、私はそこから来たんだ」
「……全っ然、ピンと来ねぇ」
メアリスに解説されてもヒロの表情は晴れない。どうやら彼の記憶喪失は根深いもののようだ。
しばしヒロは地図をにらんでいたが、いつまでもこうしているわけにはいかなかった。メアリスが戻ってきたのだから本題に戻らねばならない。
「ま、今は俺の正体より犯人探しを優先しないとな。死んじまったら元も子もないし」
溜息交じりに意識を切り替えた彼を見てメアリスも気合を入れ直す。
「うん! 気を取り直して、行っくぞー!」
力強く拳を振り上げた彼女へ、改めてヒロは次の目的地を告げた。
「で、だ。俺、次はアヤ様とかいう霊能力者に会おうと思ってんだけどよ。メアリスとアヤ様は友達だって聞いたんだけど、この話ってマジか?」
問われたメアリスは元気よく頷く。
「うん、マジ。っていうか、アヤはヒロと同じ三足教の幹部だからヒロとも友達なんだよ。驚いた?」
「いや、それ、さっきシノから聞いたから……」
「そうなの? じゃあシノも三足教の幹部だって話は?」
「聞いた。具合悪くなった」
メアリスと別れてからどんな会話があったか、思い出しつつヒロは説明していった。
あらかた聞き終えたメアリスは開け放たれたままの玄関へ視線を向ける。
「そっか。シノ、また村の人達の診察に行くのかな」
「病人がいるのか?」
ヒロが問うとメアリスは首を横に振った。
「ううん。そういうわけじゃなくて……ほら、この村って土砂崩れがあったせいで余所へ行くための道路が通れなくなったでしょ? そういう不安がストレスになって体調を崩す人がチラホラ出てるんだよ。元々お年寄りが多い村だから、持病のある人も珍しくないしね」
横切っていく村人を眺めるメアリスの横顔は不安げだ。
「食料や水はたくさんあるから、飢える心配はないらしいけど……生き物って、食べ物だけで生きてるわけじゃないから。道路はそろそろ開通するらしいし、もう少しの辛抱だって皆で励まし合ってるんだ」
「なるほどな。シノが忙しいって言ってたのはそういうことだったのか」
ヒロはシノの態度に納得する。最初に「忙しい」と言われた時は拒絶されているのかと思ったが、人というのは表面だけでは分からないものだ。
同時に、村に漂っている緊張感の正体も見えてきた。てっきりヒロは殺人の容疑者である自分への警戒心かと思っていたが、根底には村が孤立している現状への不安があるのだろう。
ヒロを生贄にするという強引すぎる蛮行も、不安を解消して日常に戻りたいという願望が暴走した結果なのかもしれない。とはいえ、そんな憂さ晴らしに巻き込まれている側からすればたまったものではないが。
数秒の間にヒロの様々なことを考えていたが、一方のメアリスは話題を元に戻していた。
「それにしてもシノって凄いよね。お医者さんで、しかも魔術師なんて!」
彼女は感心したように頷いていたが、対するヒロが無言なのを見て慌てた様子になる。
「……ヒロのことも頼りにしてるよ!?」
「いやっ、自分の立場を危ぶんでたわけじゃねぇよ!」
想定外のフォローを受けたヒロは思考を現実に引き戻した。彼の反応を見たメアリスは今度は不思議そうになる。
「そうなの? シノの話する時しかめっ面になるから、ライバル心があるのかと思った」
「ライバルっつーか……俺としては、まず仲間ってのが拒否感あるっつーか。毒盛られたし」
「大丈夫! ヒロに使った薬は睡眠薬を改良したやつで、ぐっすり眠ることで内臓の機能が回復して、逆に健康になるんだってシノが言ってたよ!」
「……メアリスってさ、ちょろいよな」
「素直ってこと?」
「悪い意味でな?」
慣れてきた彼女とのやり取りに、ヒロは思わず笑ってしまった。
メアリスに案内され、ヒロは二階への階段を上がっていった。目指すは霊能力者アヤの部屋だ。
メアリスもアヤとシノと同じく村長宅に滞在しているため間取りは把握しているという。ちなみにメアリスは一階に泊っているが、アヤの部屋へも何度か遊びに行ったらしい。
木製の階段は古びて見えたが足を乗せても軋む音一つ立てず、比較的新しいのが分かる。確かドテが「津波のせいでツチヘビ村は壊滅的な被害が出た」と言っていた。現在ツチヘビ村に建っている家屋は津波の後に立てられたものなのだろう。
意気揚々と先頭を歩くメアリスの後ろをヒロは大人しくついていった。二段高い位置にいるメアリスの頭の位置はヒロのものより上にあるが、やがて二階に着いたことで両者の身長差は元に戻る。
二階も一階と同じく木製の廊下が続いており、左側に並ぶ窓からは明るい日の光が差し込んでいた。光が照らすのは複数の障子戸で、それぞれの先に客間があるのが察せられる。その光景は実に日常的で、村で殺人事件が起こったことも、一階に死体があることも、趣味の悪い冗談に感じられた。
しかし窓へ視線を向けると、広場では村人達が木材を組んで舞台のようなものを作っているのが見え、やはり今は非日常なのだとヒロは理解する。賑やかに組み立てられているあれが生贄を捧げるための祭壇で、その犠牲者が自分なのを彼は知っていた。残念ながら、趣味の悪い冗談こそが現実だ。
ヒロが無言で気が滅入っていると、広場の方へツチヤが歩いていくのが見えた。村人の一人が彼を先導する格好で歩いており、しきりに広場を指差し話しかけている。どうやらツチヤは作業の指示を仰がれているようだ。
「……そういやさ」
ツチヤの姿を見たヒロは、メアリスへ尋ねたかった疑問があったのを思い出した。
「メアリスは村長と何話してたんだ?」
問われた側はピタリと足を止め、妙にぎこちなく彼の方を見る。
「……昔の話だけど?」
「えっ、事件の話じゃないのか?」
「ううん、全然違う! っていうか女同士の話なんだからヒロには関係ないでしょっ。エッチ!」
「エッチって……」
「ほらっ、ここがアヤの部屋だよ!」
メアリスは強引に問答を終わらせると、前方の障子戸を指差した。