文字数 1,832文字

 朝、陽の光で目が覚めた。昨日描きかけの油彩画がイーゼルに立て掛けたまま、部屋の中央に置いてある。酒は飲まないが、二日酔いのように頭がクラクラし、吐き気を催す。気持ちよく目覚めた日など、この二十五年で一度たりともない。この憂鬱な気分を払いのけるために、再び紅い煙を吸いに出かける。吸った後は気分が高揚し、キャンバスに向かうことができる。ブラッドを吸引すると意識とは別の自分が降りて来て、絵筆が勝手に動くようだった。その感覚は快感としか言いようのない幸福の境地で、自分が才能に溢れ、全能であるかのように思えてくる。名画の模写などする必要がなく、その作者自身になりきって絵を描くことができた。ゴッホ、ピカソ、ルノワール、様々な画家の絵を描いてきた。描き終えた日の夜は最高だった。しかし、疲れ果てて眠り、目を覚ますと気分は最悪だった。昨夜、あれほど軽快に動いていた筆が、一ミリも動かない。キャンバスに向き合うことすらできなかった。手が震え、座っていられなくなる。こんな気分が続くなら、いっそ死んでしまおうかとさえ思えてくる。そして気が付けば、またブラッドに手を伸ばしていた。精神の乱高下を助長していることはわかっている。けれども、あの天にも昇るような感覚を脳が忘れることができない。やがて描けなくなるという不安もある。地獄から逃れたいという恐怖もある。そして何より、例えブラッドをやっていなかったとしても、精神の不安定さは幼い頃から自分の中に巣食っていて、逃げ切れる類のものではないことも充分理解していた。
 月に一度、精神状態が安定している日に、コバヤシは村を出て島の反対側にある街に出かける。そこには孫小陽の秘密のアトリエがあった。孫小陽は台北にいて、たいていは不在だったが、コバヤシはそのアトリエの鍵を持ち、自由に出入りすることができた。建物は完全な個人所有で、組織の人間にも知られていない。海外で手に入れた名画の真作がここに保管されていた。多くは海外オークションで手に入れたものだが、中には借金のかたに奪い取ったものや、盗難品もある。コバヤシは孫小陽の指示で、その中から選んで贋作を描いている。孫小陽は決して他人所有の名画の贋作を描かせたりしなかった。必ず自分所有の真作を元に贋作を描かせた。美術館をはじめ、他人が所有する名画の贋作はすぐに綻びが出る。一度でも贋作を扱ったことが知られれば、その世界では命取りになる。けれども元々真作の所有者である自分が出品し、その後、真作を隠してしまえば、贋作は一生真作として生きて行くことができる。比較対象のない贋作を見破れる者が、実際にはほとんどいないことを孫小陽はよく知っていた。年代がまだ新しく、しかも作者が既に死んでいて、一定の価値が定まったもの。それこそが贋作を描く上での最高の条件だった。一年ほど前、ある日本人画家の贋作を描いた。白い月の絵だった。この白い月の絵を描くのは二度目だった。一度目は二十五年前、まだ東京にいた頃で、二十代だった。確か歌舞伎町のどこかのビルの地下で描いたものだ。あの頃の絵はまだ画力も低く、よく贋作として世の中に出せたものだと思う。その後の噂で、その絵を買った画商が殺され、絵も奪われたと聞いた。二度目は我ながらよくできた傑作だった。芸術の価値をわからぬ富豪から金を騙し取るのは快感だった。確か香港の実業家が落札したと聞いた。ただ、意外に思ったのは、孫小陽が二度も同じ贋作を描かせたことだった。余程思い入れがあるに違いない。けれど、コバヤシにとってはそんなことどうでもよかった。コバヤシにとっての興味は、作品の完成度と落札金額だけだった。高い金額で騙されれば、それだけ自分が認められたような気がした。しかし、あの白い月の絵を描いた日本人画家には少しだけ興味が湧いた。同じ日本人だからというわけではない。あの孫小陽に二度も同じ絵の贋作を描くように言われたのが初めてだったからである。それほど価値がある画家の絵なのか? 真作はアトリエに今も眠っている。二度と真作が陽の目を見ることはないだろう。
 コバヤシは陰りつつある精神の中で、ぼんやりと日本人画家のことを考えていた。しかし、徐々に村の洞窟のことが気になって、落ち着きを失った。気が付くと村へと戻るバスの中にいた。次第に手と膝が震えるようになっていた。額には汗が浮き、満たされない欲望への苛立ちが込み上げた。それを必死に堪えて洞窟へと急いだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み