第11話 雪うさぎマスク激闘録②

文字数 3,671文字

 ぴんっ、と立った葉っぱの耳。目元を覆う赤いマスク。それから雪のように真っ白なレオタード。
 青いマフラーを冬の風になびかせながら、雪うさぎマスクは結城ヶ丘の町をパトロールしていた。

 ――ぐ、ぐぐぐぅぅう。

 かなりお腹を空かせながら。そういえば今朝から何も食べていない。
 パトロールを始めてから早三日。今のところ街角で怪人に遭遇したり、突然悲鳴が聞こえてきたりするようなことはない。
 結城ヶ丘の町は今日も平和だ。

 ……わたしのお腹は大ピンチですけど。

 しかし、どんなに空腹でもご当地ヒーローは怪人の気配を見逃さない。それは雪うさぎマスクも同じだ。

 むっ、あれは。

 大通りに面した歩道沿い。若者向けの飲食店が建ち並ぶ中、一軒が急拵えで作ったような看板を掲げている。

『店主怪人化につき、営業時間変更中』

 そこは臨時休業じゃないんですか。

 むにゅっ、と形のいい胸を押し付け、ガラスに張りになった正面から店内を覗く。
 わずかばかりのテーブル席も厨房を囲うカウンター席も満席。そして誰も彼も分厚いチャーシューの乗った大盛り麺をずるずる啜っている。なるほど、これならシャッターを閉めるわけにはいかない。

 しかし、店主さんが怪人とあっては見過ごせませんね。

 入口には『ただいまチャーシュー増量中!』と景気のいい張り紙がしてある。ちょっとヨダレが出そうになったのは秘密だ。

 まぁ、お腹が空いててはご当地ヒーローは務まりませんからね。

 ヒーローと怪人が相まみえれば、自ずと次の展開は決まってくる。『営業中』の札がかかった扉に手をかけ、

 ——ガラガラガラ。

 雪うさぎマスク、いざ入店。

「いらっしゃい。おや、初めて見る顔だな。一見さんかい」
「そうです。初めまして、わたしは結城ヶ丘のご当地ヒーロー、雪うさぎマスクといいます」
「ほほう、遂にこの町にもご当地ヒーローが。では『麺屋ラーメン道場』を代表して店主兼怪人の、この麺ラードが相手になろう」

 やはり、この人が……!

「おっと、うちは先に食券を買ってもらうシステムになっているんでな」

 臨戦態勢をとった雪うさぎマスクを手で制したかと思いきや、店主は入ってすぐ横にある券売機を指さす。

「オススメは豚増し混ぜそばだ」
「混ぜそば?」
「スープなしのラーメン、とでも言えば伝わるか。うちは大盛りの麺に全七種のトッピングを乗せて出している。今なら豚の厚切りチャーシューが倍の四枚。さて、どうする?」
「ふふん、全力の相手を倒してこそのご当地ヒーローです。例えどんな強敵が立ちはだかろうと、わたしは完食してみせますよ」

 そうと決まれば善は急げだ。券売機にお金を投入。一斉に光ったボタンの中から、雪うさぎマスクは迷わず『豚増し混ぜそば』のボタンを押した。
 
           ○
 
 それから十分後――

「おやおや、どうした。箸が止まっているぞ」
「た、食べます、食べますよ。ただ、このチャーシューがちょっと……」

 カウンターの丸椅子に座った雪うさぎマスクは空いた手で胃の辺りをさする。しかし、肝心の箸を持つ手は止まったままだ。

 器いっぱいだった麺は残すところあとわずか。山盛りだったトッピング軍団ももだいたいは倒せた。その中でも煮卵とフライしたオニオンは特に美味しかった。最初の一口は本当にそう感じた。
 そう最初の一口は。

「ぐっ、ぐぅっ……はむっ……んっ、んんっ」
「ふん、見かけによらず、なかなかやるようだな」
「ま、負けませんよ……どんなに、苦しくても……はむっ、うぅ」

 箸ですくった太麺を口に運ぶ。正直もう限界だった。胃は今にもはち切れそうだし、店内に貼られたラーメンの写真を見るだけでも苦しかった。
 だが、ここで負けるわけにはいかない。
 しっかりもぐもぐして呑み込む。というより半ば強引に押し込む。

 くっ、この太麺だけなら、なんとか。でも……!

 雪うさぎマスクも薄々気づいていた。食べ始めて早十分。真に恐れるべき強敵は別にいると。

「おーい、ご当地ヒーローさん。麺ばっか食べてたら最後にキツくなるぞ」
「みたい、ですね……アドバイス、ありがとうございます」

 三つ離れた席に座ったスーツ姿の男性からの声援を受け、雪うさぎマスクは器の中に鎮座し続けているやつを見やる。

 ここで……そうですよ、ここで倒しておかないと……っ!

 意を決してチャーシューに挑みかかる。箸越しにも伝わってくる、この重さ。ただものではない。厚み四センチはある凶悪な豚チャーシュー。
 胃が悲鳴をあげているが、これ以上先送りにしてはわずかな勝機さえ潰えてしまう。

「は、はむぅ!」

 大きく口を開けてやっとかじりつけるほどの肉厚さ。噛んだ瞬間に脂身からじゅわぁぁぁ、とこってりした味が口の中いっぱいに広がる。

 うっ……あ、脂っこいですね……。

 咀嚼しているだけでも胃のあたりがムカムカしてくる。お腹の底から食べたものが戻ってきそうだ。

「どうだね、当店自慢の極厚チャーシューのお味は」
「おっ……おいしい、れす……はむっ」

 止まらず二口目にかじりつく。

 考えたらダメです、食べ続けるんです、わたし!

 にっくき豚チャーシュー四枚衆のうち二切れは既に胃の中。だが安堵したのも束の間、残った二切れは大半が脂身だった。満腹感が喉奥まで昇ってきている今、これはかなり辛い。

「お水、お水ください」
 空になっていたコップをカウンターの上に置く。
「くっくっくっ、そんな小細工が果たして通用するかな。氷は?」
「なしでお願いします」
「はいよ。水お待ち」
「……ど、どうも」

 口の中を空にするなり、雪うさぎマスクはぐびっとお冷をひと飲みする。これで脂の味とはさようならだ。
 残るチャーシューはあと一枚。しかも他より分厚い。気づくと息が上がっていた。

 でも、ここで負けるわけには……いかないんです!

 己を奮い立たせ、雪うさぎマスクは最後の強敵へ挑みかかった。
 
           ○
 
 ——ごっくん

「ご、ご馳走さま……でした……」

 込み上げてくる満腹感を堪えつつ、雪うさぎマスクは最後の力を振り絞って器をカウンターの上に戻す。空っぽの器が、とても重く感じられた。
 片手で胃を庇いながら、空いた手でテーブルに散った脂を拭く。

「むぅ、まさか一見さんで当店の豚増し混ぜそばを完食しきるとは」
「い、言ったじゃないですか……」

 布巾を返しながら雪うさぎマスクは店主兼怪人の麺ラードを見やる。

「どんな強敵が立ちはだかろうと、わたしは完食してみせます、って……うぷっ」

 で、でも……流石に食べすぎました。く、苦しいです……。

 いつの間にか店の外には行列ができていた。雪うさぎマスクは疲労困憊した体に鞭打ち、早々に席を立つ。

 ——ガラガラガラ。

「まいどうあり。またのご来店、お待ちしているぞ」
「ええ、いずれまた……」

 店を出ると寒い寒い冬の風が吹き付けてきた。マフラーをなびかせながら雪うさぎマスクは思った。

 ——当分チャーシューは見たくありません。
 
           ○
 
「いやー、あの時は本当に胃がはち切れるかと思いましたよ」
 一気に語りきって雪うさぎマスクは満足気な顔をする。
「流石のわたしも未曾有のピンチでしたが、最後には見事勝利をおさめてきましとも」
「ピンチもなにも、ただ腹減って飯食ってきただけじゃねーか」
「だけとはなんですか、だけとは!? わたしの中では屈指の激戦だったんですよ!」

 ダンッと机に手を付いて雪うさぎマスクは身を乗り出す。
 件の豚増し混ぜそばなるメニューを完食しても、その腰や腹回りは相変わらずしゅっとしていた。もしかして摂取したカロリーは全部その雪見大福(比喩)に行くのか。なるほど、道理で体型がそのままなわけだ。

「あなたも食べてみればわかりますよ! 半分を過ぎたあたりから急にキツくなってくるんですからね! おまけにお店を出たらコスチュームからニンニクの臭いしますし」

 臭い写りしてたのか。そんなにクンクンせずとも何も臭ってこないが、本人は気にしているらしい。

「そもそも、なんでご当地ヒーローが満腹感でピンチに陥ってるんだよ。フードファイターか」
 というか、あそこの店主、怪人化してたのか。

『麺屋ラーメン道場』
 近所の大学前にあってリピーターで行列ができるだの、謎の中毒性があるだの、噂にはこと欠かない有名店だ。

 ちなみに店名が「道場」だからか足しげく通う常連客のことを「門下生」というらしい。相馬の知り合いにも、行くたびに胃のあたりを押さえて帰ってくるやつがいる。

「しかも怪人そのままだし」
「あのあと元に戻ったそうですよ」

 そうか、それはよかった。今の話で一番有意義な情報まである。

「あ、糸通しておきましたよ」
「おっ、サンキュー」

 相馬は糸の通った針を受け取る。これでようやく校章旗の修理にいそしめる。そもそもこれが本来の目的だったのだから。しかし。

「あとですね」
「まだあんのかよ」
「あります、ありますよ。『雪うさぎ激闘録』は三部構成なんです」
 いらんわ、そんな構成。長編映画か。

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登場人物紹介

ヒーローネーム:雪うさぎマスク

本名:雪之宮 幸(ゆきのみや さち)

年齢:17歳 身長:158 cm(マスクの耳を含めると168 cm)


 自称、結城ヶ丘のご当地ヒーロー、人呼んで雪うさぎマスク!

 その正体はつい最近サイキックパワーに目覚め、そのままご当地ヒーローになった駆け出し少女。昨日からヒーローを始め、コスチューム類は全部自作と指先が器用なことが強み。


 マフラーは逆光の中に立った時、シルエットとしてカッコイイから巻いているが、結城ヶ丘は曇りと雪が多く、そもそも晴れる日自体が稀。そういうわけで憧れの登場シーンにはなかなか恵まれない。


 あと女子から嫉妬されるほどのプロポーションの持ち主。いわゆるボンキュッボン。白いコスチュームから「雪見大福(二個入り)」と比喩される。しかし本人は無自覚で、戦闘時に邪魔になりがちくらいにしか思っていない。

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