癒し系の奏と要らない偶然

文字数 2,662文字

歌子と奏の冷戦中に、彼氏と二人で,何度も奏の自宅まで足を運び,三人で過ごした。

これは,歌子が臍を曲げているのはわかるし,彼女なりの理由があるのもわかってはいたが、だからと言って,奏に会わないのは,嫌だったからだった。

いざ,三人で集まってみれば,三人の方が,働かされないから,のんびりと過ごせることがわかった。どんなに無駄話をしても,叱られないし,気ままに過ごせた。

そして,昔話が沢山聴けた。奏は,父親が戦地に行っていて,いなかったのに,戦争中に生まれ,小さい頃みんなで家の横にあった防空壕に逃げ隠れた記憶もあると言う。戦争が終わり,父親が生還しても,自分はすでに二歳ぐらいになっていて,「お父さんだよ。」と言われても,「おっちゃん」と呼んでいたそうで、少しも懐かなかったらしい。

最初の記憶は,幼稚園で体調を崩し,保育士に家まで送ってもらい,「格好悪いなあ」と思ったことだそうだ。

若い頃は,都会の大学を出てから,そのまま都会で会社勤めの生活を送ったと話してくれた。若かったから、仕事が終わってもまだ元気で、深夜に映画館に行ったり、飲みに行ったりして,毎日夜更かしをしたそうだ。出社数時間前になると,一度も家に帰らないまま,会社の前に停めてある車で,少しうとと寝をしてから,また出勤し,仕事が終われば,また飲みに行くの繰り返しだったらしい。

奥さんとも飲み屋で出会い,人付き合いが得意な人で,「仕事終わりに飲みに行くけど,一緒に行かない?」と誘えば,すぐに来てくれて,奏の仕事仲間と一緒に飲んだりしたらしい。

奏が地元に帰って来たきっかけは,ご両親が病気になり,「帰って来て。」と言われたことだったらしい。

都会で過ごしてから地元に帰ってきた奏は,最初年上ばかりの新しい職場では,浮いて,あまり馴染めなかったが,得意分野の専門知識を活かし,当時,最新の技術だったパソコンを会社に取り入れ,みんなに操作法を教えることで、自分の居場所を確保したそうだ。

私は,奏の生い立ちや若い頃の話,町の昔の様子について聴くのがとても楽しく,週何回でも,奏に会いたいと思うようになったのだった。

例のピアノ練習も,奏に会うための口実として続け,よく二人でお茶をするようになった。それまで,奏と二人で話すことはほとんどなかったから,最初は緊張したが,打ち解けたら,いろんな話ができた。耳が遠いから聞き取ってもらえないだろうと心配していた私の声も,意識してはっきりと,大きな声で話すように心掛けたら,問題なく会話出来るようになった。今思えば,貴重な時間だった。

奏は,奥さんを亡くしていて,一人暮らしなのに,いつも誰かと一緒で,いつも何かをしているから,寂しそうに見えたことがない。奏は,若い頃から音楽が好きで,パソコンなどITの知識も豊富だから,自分のギター演奏を録音さえしておけば,後からパソコンで他の楽器の伴奏を加えたりして,仕上げるようなことが出来た。この技術をこの時に初めて見たから,「こんなことができるんだなあ」と,とても感動した。

奏は,若者が囚われるようなつまらない些事に囚われることなく,いろんな人との付き合いを通して,自分の趣味を楽しみ,人生を謳歌している感じがした。奏と一緒にいると,自分もそういう時間の過ごし方が出来た。

奏は,癌を患い,死にかけていた時期もあったそうだ。彼の人生を達観したような心の持ち方は,もしかして、その経験から得たものだったのかもしれない。

休日に限らず、仕事の日でも,奏とよくお昼ご飯を共にするようになった。きっかけは,昼休憩に,奏の家の近くのお弁当屋さんへお弁当を買いに行くと,彼もたまたま買いに来ていることが多かったことだった。田舎だし,お弁当屋さんがたくさんあるわけではないし、奏の自宅から気軽に歩いて行ける距離にあるお店は,そこだけだったから,必然的にそうなるのだった。ばったり出会うと,奏がいつも言ってくれた。
「来る?」

これは,もちろん「うち来て,一緒に食べようか?」という誘いだった。

私は,いつも頷いて,レジで支払いを済ませてから,奏のところへ行って,一緒に食べたのだった。奏は,お弁当を電子レンジで温めてくれて,温かいお茶を淹れてくれた。昼休憩は,もともと一時間しかないし,お弁当を買いに行く時間をそれから引くと四十分ぐらいしかない。でも,四十分でも,奏のおおらかで器の大きいところに癒され,充分ほっこり出来た。いつも,職場には戻りたくなくなっていた。

奏は,いつも私のことを色々心配してくれて,仕事のことなどについてたくさん尋ねてくれた。これは,いつも見守ってくれているおじいちゃんのような人がいるようで,とても有難かった。何を言っても,それを否定せずに,私の話に耳を貸してくれた。これも,嬉しかった。

奏は,昔の町のことや,自分の若い頃のことも,時間の無駄な使い方だと渋らずに,いつも話してくれるのだった。すると,昔と現在がかけ離れたものとして,対極的なものとして存在するのではなく,ずっと一つの流れとして,同じ時間が昔から穏やかに紡がれてきているような感覚を味わったのだった。

ある日,教育委員会の机に座っていると,いきなりある男の人が乱入してきて,怒鳴り始めたのだ。
「どういうことだ!?僕の娘は発作を起こすかもしれないから許可を取っているというのに,どうして停めては行けないと言われなきゃならないんですか!?筋が通っていない!どうなっているんだ!?」

私は,巻き込まれたくなくて,見ない方がいいと思い,振り向かずに,自分のことに集中することにした。だから,男の人の顔は,見ていない。

職員との怒鳴り合いがしばらく続き,男の人がようやく帰り,嵐がさったように,教育委員会が静かになった。

すると,私の携帯が鳴った。画面を見ると,
「お見苦しいところを見せてしまいました。」
とダンス仲間の一人から届いていた。

ダンスには,一人だけ子供が参加していたのだが,持病があると言うことで,親も一緒に通い,家族で参加することになっていた。メールは,その女の子のお父さんからだった。

「嘘!さっき,怒鳴り散らしていたのは,あの人だった!?…意外と,あり得るか…。」

次々と,メールが届き,どういう経緯であの怒鳴り合いになったのか,尋ねてもいないのに,聞かされた。あまり反応しない方がいいと思って,返事をせずに,スタンプを送るだけにした。

田舎は,仕事とプライベートの境界線がとても希薄で,微妙なものであることをこうして知ったのだった。
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