第2話 容疑者Ⅰは、密かに被害者に想いを寄せる主婦

文字数 1,674文字

第二話 わたしを見て
 原田杏里は三十二歳の主婦。子供は今年五年生になるひとり息子。「みらい塾」には一年生の時より通わせている。
「みらい地区」のマンション群には中庭を意味する英語「テラス」を冠する。

 例えば杏里が住むマンションは「テラス三番館」となる。その五階に杏里は居住し「みらい塾」は一階の商業店舗スペースにある。塾長の郷田さんも教室上の二階に独りで住んでいる。
いわば隣人関係。
 買い物、ゴミ捨てやらでしょっちゅう顔を合わせる。本当に近しい間柄。実家のある愛媛から海産物やミカンが届くたびに、お裾分けで郷田宅を訪ねる。杏里は眉目秀麗という訳にはゆかないが、田中みな実似の可愛らしさを誇っている。
 洋服は「地雷系」と呼ばれる白黒のご令嬢スタイルを好む。三十路を過ぎてもミニもはく。この「みらい地区」ではゴミ捨てであってもスエットとはゆかない。外に出る時は盛装をするのが習わし。

 杏里はお花好き。四番館のフラワーショップの常連客。玄関先と居間はいつも生花の瑞気で溢れる。また、塾の教室と郷田宅への一輪挿しも欠かさない。花瓶にも凝り、お気に入りのものを弐番館のメルヘンショップで随時買い求める。
 杏里は夫のことを好きではない。〇市中央区で代々の質屋を営む。未だに{質草}でお金に利息をつけて貸すこともやっている。(例えばヴィトンのバッグを抵当に数万円を貸し付ける。期間外だとバッグ返却にはプラス利息がかかる)
 この生業のことも好きではないし、そもそも出逢いが強引だった。学生時代、当時全盛だった「メイドカフェ」でアルバイトをしていた頃のこと、夫は常連客だった。背も低く小太りで頭髪も薄い。下品で無神経な態度に、同僚たちの評判も芳しくなかった。
 ただ仕事が仕事だけに女性が憧れる貴金属、ブランド品をメイドの鼻先にブラ提げた。シャネルのトートが欲しかった杏里はまんまと罠にはまる。食事に誘われ、断れぬままにラブホに。一度のセックスで子供まで出来てしまった。
 大学を卒業した夏に子供が産まれる。全て望んでいたことではなかった。でも成り行きに逆らえなかった。娘の拒絶もあり結婚に反対してくれていた両親も、とどのつまり先方の財力と孫の存在になしくずしに承諾してしまった。すべてに於いて自分の意思を表明出来ない含羞、稚拙さ、愚かさを呪う。
 数年前、カナダで妊婦を対象にアンケートをとった処、望まない妊娠の割合は45%にも上った。(中絶数も含む) たぶん現在の日本でも同様な結果だと杏里には思える。
 そんな訳で今でも夫が苦手。入籍して以来、夫との交わりは拒否している。頑なな杏里に業を煮やした夫は公然と情婦を複数作る。杏里はますます夫を避ける。最近では週に一度自宅に顔を見せるかどうか。
 離婚も考えるが今のステータスを棄てなければならない。また十年間で築き上げたお友達との決別も意味する。これには郷田さんとの別れも含まれる。実家はもろ手を挙げて受け入れてはくれるが愛媛の寒村。
 子供への想いも複雑。だんだんと夫に似てくる。腹を痛めたとは別の感情も時に沸く。それはひと言で拒絶感。過食による肥満でも、まだ食べようとするスナック菓子の袋を無意識に奪い取る。そんなこともたびたび。すべて意地汚さへの拒否感からの所業。
 息子の成績は最低ランク。なんにしてもやる気がない。勉強もテレビを観ながら。ゲームをしながら。これもだらしがない父親譲り。腹が立つ。郷田さんによれば、学業はやる気がすべて。例えば、「カブトムシ」にでも関心を持ってくれればそこから「生物学」への道が開ける。
 彼の言葉通りに、昆虫、自動車、鉄道、航空機、宇宙・ロケットに関する写真・映像集を数多く買い揃えるものの、一切関心を示さずひたすらゲームのみにのめり込む。
 夫は家業の担い手であれば頭脳は関係ないと主張する。たぶん、こうした甘くてゆるい言葉が息子の脳裏にへばりついているのだ。だから万事やる気が無い。
 杏里はもうどうでもよくなった。
 美しく着飾り好きなことをする。郷田さんへの淡い恋心を大切に生きてゆく。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み