第8話 容疑者Ⅶは、同地区美人の歯科助手

文字数 1,582文字

第八話 いつか誘われる、そう信じていたのに
 藤野ひかりは十六番館の「海風デンタルクリニック」に歯科助手として勤務している。歯科助手とは歯科医師の診察補助(アシスタント)のこと。けれど無資格のため医療行為はしない。せいぜい診察用の医療器具を並べたり、患者にエプロンをかけるまで。
 多くの仕事は受付、会計、カルテ管理、診療報酬請求である。しかし今やカルテは電子化されているし会計・診療報酬もソフトがある。なので一番の仕事はニッコリと微笑むこと。歯科助手には美人が多いとの噂もこの辺りから出て来るのだろう。

 事実、ひかりは夏帆似のスレンダーな美女。よくお客、いや患者様からお茶や食事に誘われる。奥さまが診療中の旦那さんからナンパされた。これにはビックリ。言いつけてやるぞ!
 この地区の患者は身なり態度ともグッド。この前は地元木更津市の歯科クリニック。お世辞にも良いとは言い難かった。おネイちゃん扱いされていた。ここは友人からの紹介。近代的な街並みが拡がる「みらい地区」でぜひ働きたいと思っていたところ。渡りに船。
 今年で二十六歳になる。彼氏は居るようで居ない。オトコが欲しい時は呼べばすぐに群がる。オスたちとはそんな関係性。けど、そろそろ落ち着き処(歳)だと考えている。ここで取って置きのお相手をゲット出来れば嬉しい。その(取って置き)とは独身のお金持ちのこと。イケメンであれば越したことはない。けれど、そんなお相手は遊んでいる(オンナ遊び)可能性が高い。
 ここには隣接する新都心のIT企業に勤める(独身貴族)が数多く住んでいると評判。それに本拠地とする野球選手とも運が良ければ会えるとのこと。期待は膨らむ。受付に座って居るだけで幸運が得られればこれ以上のことはない。
 それにどんなお金持ちでも歯は必ず病む。一度も歯科医に罹ったことが無いなんて人を捜す方がたいへん。ボール競技になぞらえれば絶好の得点ポジションに居るのでは。なんたって相手の保険証を閲覧できる。さらに、初診の場合には簡単な医療情報の記入を求める。なぜかそこには職業欄まである。
 相手の素性をとことん見られるのだ。所持する保険証の種類、家族構成、職業、最後に病歴まで。
 大抵のオトコは嘘をつく。今までの経験から分かる。でも、ここではムリだ。ひかりはほくそ笑む。まだふた月なのに五人からお声が掛かる。(でもカルテを観ればみんな既婚者。ただの火遊び)
 ひとり意中の人が居る。イケメン高身長、三十五歳独身、分譲マンション住い。塾を経営している。経歴をネット調べると、東大卒。それも理系で院の博士課程修了。超エリート。でも「なぜ塾なの?」と疑問は残るけど。
 塾の評判もいい。そこには教師の評価も含まれている。教育熱心でイケメンで優しい。奥様(保護者)の評価とは所詮そこにゆきつく。
 週に一度は通ってくる。大抵、虫歯一本治すのに、歯科医は三回でよい処を倍に延ばす。だから六回の勝負。思い切り愛想よく。また、胸を覗けるように白衣のボタンを二つ外す。
 (客)いや患者さんも待合に他人が居れば公然と受付嬢を誘う訳にはゆかない。大概はひと気の無い時を見計らうもの。今回の場合はあえて待合に人を減らす。教師は親し気に話し掛けて来る。感触はいいのだが、未だにお誘いはない。電子カルテをよくよく見れば虫歯は上下で三本ある。これはまだまだ時間はあるよう。
 ひかりは六時に仕事を終えると、「みらい地区」への人口に聳える高級ホテルのラウンジでお茶をする。高層階から見る夕陽に染まる東京湾の輝きはおつなもの。やがてライトアップされ映え映えしい(夜景)へと姿を変える。

 ある時、ラウンジ内に、ビタマークの(塾教師)の姿を見咎める。
 隣には艶やかな柳髪(りゅうはつ)の女性が。
 え? 断じて許せない。
 あれは、もうひとりの歯科助手(同僚)だ。
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