第2話 死への待合室
文字数 2,405文字
インパチェスの花の上に沢山(タクサン)の『極楽蝶(ゴクラクチョウ)』が休んで居ます。
その兵隊(患者)サンの毛布(軍隊毛布)には、『小山 勲(コヤマ・イサオ)上等兵』と書いて有りました。
病名は「アミーバ赤痢」です。
毛布の下は褌(シタオビ)だけで、垂れ流した水便(ミズベン)で汚れていました。
小山サンに話を聞くと、彷徨中、葉っぱに溜まった水を飲んでいたそうです。
一緒に来た兵隊サンも同じ症状だったそうです。
「その兵隊サンは何処に居るのですか?」
と尋ねましたが、分からないそうです。
彷徨中、小山サンはお婆さんから、
「ミミズを乾燥させて食べると良い」
と聞いていたので試してみたそうですが、残念ながら効き目は無かったそうです。
小山サンはなんとか病院の入り口まで辿り着き、木の枝で身体を支えて朦朧(モウロウ)としながら受付に並んでいたそうです。
ようやくジブンの番が回って来て、看護婦さんの問診を受けていると、眼鏡(メガネ)を掛けた軍医殿が出て来たそうです。看護婦さんの問診報告を聞くと、ジブン(小山上等兵)をマジマジと見て、
「オマエ、動けるじゃないか。動けるのなら戻って戦って来なさい」
と言いったそうです。
『戻って戦って来なさい・・・』
その言葉を聞いて小山サンは軍医殿を睨んでやったそうです。
しかし、そこまで・・・。
小山サンは気を失い、その場に倒れ込んでしまったそうです。
気がついたら病院の一番奥の筵(ムシロ)のベッドに寝かされていたそうです。
その小山サンがふと横を見ると、毛布に『吉田 猛(ヨシダ・タケシ)上等兵』と書かれた兵隊サンが寝ていたそうです。
吉田サンはだいぶ熱が高いらしく、汗と震え、そして咳が止まらなかったそうです。
私が高山看護婦と二人で吉田サンの側を通った時、高山さんに病名を尋ねてみると、「マラリア」だと教えてくれました。残念ながらすでに治療の施し様が無いと言うのです。
周りを見回すと吉田サンの様な兵隊サンがあちこちに居(オ)りました。
私は控え室に戻り、野嶋婦長さんに薬の事を尋ねました。
すると、
「薬は無い」
と言うのです。
暫くして、河村看護兵が吉田サンの所に来て、名前を数回、誰何(スイカ)してました。
何の反応もありません。
河村さんは吉田サンの瞳孔を覗くと、
「ダメだな」
と「一言」言い残し、軽く合掌して医務室に戻ってしまいました。
私はソレを見て恐ろしくなりました。
その日の夕方、吉田サンは息を引き取りました。
私は思いました。
此処(ココ)はもはや病院じゃない。
『閻魔サマの裁きを待つ、ただの待合室だ』
と。
河村さんが私の傍を通ったので、この病院には何人くらいの兵隊(患者)サンが居るのかを尋ねてみました。
河村さんは苛立った表情で私を睨(ニラ)み、
「それを聞いてどうする」
と言ったのです。
私は返答に困り、
「失礼しました」
と謝りました。
すると河村さんはため息まじりで、
「五百名位だ」
と言いました。
この地べたに筵(ムシロ)を敷いただけの病院に、五百名もの兵隊(患者)サンが寝かされている・・・。
私が知らされているこの『病院の体制』は、
軍医が三名
「緒方光照軍医長・崔 勇一・渡辺道尚」
看護兵三名
「河村順平・原 圭介・中村 悟」
看護婦三名
「野嶋愛子婦長・高山陽子・私(杉浦仁美)」
衛生兵二名
「伊藤尚弥・松本純一」
のたったの『十一名』です。
「十一名」で約五百名もの兵隊(患者)サンを診る?
そんな事、到底無理ではないのでしょうか。
赴任して数日経ったある日の事。
野嶋婦長サンと私、緒方軍医長の三人が苦しむ兵隊(患者)サンを診てる間に、隣りの片手片足の無い笹田雄一郎(ササダ・ユウイチロウ) 軍曹と云う方が息を引き取りました。
昼間より夜の方が悲惨です。
兵隊(患者)サンの叫び声と腐った肉の臭い、垂れ流しの糞尿の匂いで眠れません。
この病院でグッスリと寝て居る兵隊(患者)サンは、耳の聞こえない兵隊サンか脳をやられた兵隊サン、精神を病んだ兵隊サン、亡くなる寸前の兵隊サン、亡くなっている兵隊サンだけではないのでしょうか。
私は蚊に刺されながら外で寝ていた方がましだと思いました。
朝に成ると『朝食』が出ます。
でもそれは数えるほどの米が沈んだオモユが一杯回るだけです。
これでは兵隊(患者)サンに力が付くわけがありません。
奥の方で、大声で喧嘩している声が聞こえました。
「オマエは手がネー(無い)んだから飯(メシ)は喰うな! 早く死ね!」
「何! キサマ上官に向かって何を言うか!」
一杯の粥(カユ)の取り合いでもしているのでしょうか。
まさに此処は人間の理性を欠いた『餓鬼(ガキ)の世界』です。
最初は正常な兵隊(患者)サンも、三日居たら気が変になってしまうでしょう。
小山サンの隣に頭に包帯を巻いた『西村隆平(ニシムラ・リユウヘイ)伍長』と云う兵隊(患者)サンが寝てました。
私が西村サンの所に問診に行くと、
「何とか歩ける兵隊はよく病院から脱走して行くよ」
と話してくれました。
私は驚いて、
「ダッソウですか!?」
と聞き返しました。
西村サンはこう答えました。
「脱走して、ジャングルの中に消えて、二度と戻っては来ねんだよ」
私は死に場所を探しに行ったのだなと直感しました。
後日、私は河村さんに、居なくなった兵隊(患者)サン達の事を聞いてみました。
すると、
「近くのジャングルの中で、蔓(カズラ)で首を吊って死んでいる遺体を何体も見た」
と言ってました。
『ラエの病院』とは、なんと云う恐ろしい所なのでしょう。
小山 勲 陸軍上等兵
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
吉田 猛 陸軍上等兵
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
笹田雄一郎 陸軍軍曹
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
西村隆平 陸軍伍長
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
つづく
その兵隊(患者)サンの毛布(軍隊毛布)には、『小山 勲(コヤマ・イサオ)上等兵』と書いて有りました。
病名は「アミーバ赤痢」です。
毛布の下は褌(シタオビ)だけで、垂れ流した水便(ミズベン)で汚れていました。
小山サンに話を聞くと、彷徨中、葉っぱに溜まった水を飲んでいたそうです。
一緒に来た兵隊サンも同じ症状だったそうです。
「その兵隊サンは何処に居るのですか?」
と尋ねましたが、分からないそうです。
彷徨中、小山サンはお婆さんから、
「ミミズを乾燥させて食べると良い」
と聞いていたので試してみたそうですが、残念ながら効き目は無かったそうです。
小山サンはなんとか病院の入り口まで辿り着き、木の枝で身体を支えて朦朧(モウロウ)としながら受付に並んでいたそうです。
ようやくジブンの番が回って来て、看護婦さんの問診を受けていると、眼鏡(メガネ)を掛けた軍医殿が出て来たそうです。看護婦さんの問診報告を聞くと、ジブン(小山上等兵)をマジマジと見て、
「オマエ、動けるじゃないか。動けるのなら戻って戦って来なさい」
と言いったそうです。
『戻って戦って来なさい・・・』
その言葉を聞いて小山サンは軍医殿を睨んでやったそうです。
しかし、そこまで・・・。
小山サンは気を失い、その場に倒れ込んでしまったそうです。
気がついたら病院の一番奥の筵(ムシロ)のベッドに寝かされていたそうです。
その小山サンがふと横を見ると、毛布に『吉田 猛(ヨシダ・タケシ)上等兵』と書かれた兵隊サンが寝ていたそうです。
吉田サンはだいぶ熱が高いらしく、汗と震え、そして咳が止まらなかったそうです。
私が高山看護婦と二人で吉田サンの側を通った時、高山さんに病名を尋ねてみると、「マラリア」だと教えてくれました。残念ながらすでに治療の施し様が無いと言うのです。
周りを見回すと吉田サンの様な兵隊サンがあちこちに居(オ)りました。
私は控え室に戻り、野嶋婦長さんに薬の事を尋ねました。
すると、
「薬は無い」
と言うのです。
暫くして、河村看護兵が吉田サンの所に来て、名前を数回、誰何(スイカ)してました。
何の反応もありません。
河村さんは吉田サンの瞳孔を覗くと、
「ダメだな」
と「一言」言い残し、軽く合掌して医務室に戻ってしまいました。
私はソレを見て恐ろしくなりました。
その日の夕方、吉田サンは息を引き取りました。
私は思いました。
此処(ココ)はもはや病院じゃない。
『閻魔サマの裁きを待つ、ただの待合室だ』
と。
河村さんが私の傍を通ったので、この病院には何人くらいの兵隊(患者)サンが居るのかを尋ねてみました。
河村さんは苛立った表情で私を睨(ニラ)み、
「それを聞いてどうする」
と言ったのです。
私は返答に困り、
「失礼しました」
と謝りました。
すると河村さんはため息まじりで、
「五百名位だ」
と言いました。
この地べたに筵(ムシロ)を敷いただけの病院に、五百名もの兵隊(患者)サンが寝かされている・・・。
私が知らされているこの『病院の体制』は、
軍医が三名
「緒方光照軍医長・崔 勇一・渡辺道尚」
看護兵三名
「河村順平・原 圭介・中村 悟」
看護婦三名
「野嶋愛子婦長・高山陽子・私(杉浦仁美)」
衛生兵二名
「伊藤尚弥・松本純一」
のたったの『十一名』です。
「十一名」で約五百名もの兵隊(患者)サンを診る?
そんな事、到底無理ではないのでしょうか。
赴任して数日経ったある日の事。
野嶋婦長サンと私、緒方軍医長の三人が苦しむ兵隊(患者)サンを診てる間に、隣りの片手片足の無い笹田雄一郎(ササダ・ユウイチロウ) 軍曹と云う方が息を引き取りました。
昼間より夜の方が悲惨です。
兵隊(患者)サンの叫び声と腐った肉の臭い、垂れ流しの糞尿の匂いで眠れません。
この病院でグッスリと寝て居る兵隊(患者)サンは、耳の聞こえない兵隊サンか脳をやられた兵隊サン、精神を病んだ兵隊サン、亡くなる寸前の兵隊サン、亡くなっている兵隊サンだけではないのでしょうか。
私は蚊に刺されながら外で寝ていた方がましだと思いました。
朝に成ると『朝食』が出ます。
でもそれは数えるほどの米が沈んだオモユが一杯回るだけです。
これでは兵隊(患者)サンに力が付くわけがありません。
奥の方で、大声で喧嘩している声が聞こえました。
「オマエは手がネー(無い)んだから飯(メシ)は喰うな! 早く死ね!」
「何! キサマ上官に向かって何を言うか!」
一杯の粥(カユ)の取り合いでもしているのでしょうか。
まさに此処は人間の理性を欠いた『餓鬼(ガキ)の世界』です。
最初は正常な兵隊(患者)サンも、三日居たら気が変になってしまうでしょう。
小山サンの隣に頭に包帯を巻いた『西村隆平(ニシムラ・リユウヘイ)伍長』と云う兵隊(患者)サンが寝てました。
私が西村サンの所に問診に行くと、
「何とか歩ける兵隊はよく病院から脱走して行くよ」
と話してくれました。
私は驚いて、
「ダッソウですか!?」
と聞き返しました。
西村サンはこう答えました。
「脱走して、ジャングルの中に消えて、二度と戻っては来ねんだよ」
私は死に場所を探しに行ったのだなと直感しました。
後日、私は河村さんに、居なくなった兵隊(患者)サン達の事を聞いてみました。
すると、
「近くのジャングルの中で、蔓(カズラ)で首を吊って死んでいる遺体を何体も見た」
と言ってました。
『ラエの病院』とは、なんと云う恐ろしい所なのでしょう。
小山 勲 陸軍上等兵
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
吉田 猛 陸軍上等兵
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
笹田雄一郎 陸軍軍曹
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
西村隆平 陸軍伍長
(昭和十九年東部ニューギニアにて戦死)
つづく