19 片足の従軍僧(伊藤慶山)

文字数 1,434文字

 西陽(ニシビ)の差し込む窓際の長机。
並べられた大量の小さな白い骨壺。
病院内は白檀(線香)の香りが絶えません。

 『ご奉公とは国の為に戦って死ぬこと』

徹底的に洗脳され量産された兵隊さん。
そしてこの南国の島「ニューギニア」に送られ、全ての補給が途絶えて孤立した兵隊さん達。
十万人以上の兵隊さんがジャングルと云う「檻(オリ)」の中に閉じ込められてしまったのです。
その檻の中で始まった厳し過ぎる生存競争。
ジャングルの中では新しい種類の日本兵と云う雑食の猛獣達が繁殖、そして増殖し始めたのです。
連合軍は『特殊部隊』を編成し、残留日本兵(群れから逸れた狂猿)を掃討しています。
住民(土民)から黄色い顔をして襤褸(ボロ)を纏(マト)った数匹の日本兵を見たと言うだけで、連合軍の一個中隊が探しに来るのです。
正常な指揮官が居る部隊?は、「降伏」と云う賢明な決断を選択するのでしょうが・・・。
 指揮官を亡くし、負傷し、這う這うの体(ホウホウノテイ)で逃げ惑い、ようやく辿り着いたこの「病院」。
しかし名ばかりのこの野戦病院は、薬も無く、発狂の声と血生臭い匂いが漂う筵(ムシロ)を敷いただけの死出の旅路の停留所。
そんな停留所で旅立つその日を待つ兵隊さん達・・・。

 長机の上には何列にも並べられた、小さな白い瀬戸の「骨の壺」。
しかしあの骨壺は目の前に広がる二つの大海を渡って内地に戻れる保証はありません。

 今朝(ケサ)も長机の前で、あの『片足の従軍僧・伊藤慶山(イトウケイザン)』が椅子に座り「経」を唱えています。
筵(ムシロ)に横たわる兵隊さん達は、まるでラジオから流れる軽音楽を聞くかの様にそれを聴いて居ます。
緒方軍医長達と看護兵達、私達看護婦は、その「経」を聴きながら見るも無残な兵隊さんの間を回診して行くのです。
回診と言っても、兵隊さんが息をして居るかどうかを診て廻るだけですが。

 早朝に息を引き取った故兵隊さん達を衛生兵が担架に移し、病院の裏庭の「火葬場」に運んで行きます。
仏様達が小さな組み立て櫓(ヤグラ)に積まれると、あの片足の伊藤従軍僧が「経」を唱えに来るのです。
 衛生兵は仏様達の「髪の毛と爪」を切り、油紙に包み、そこに階級と氏名、年齢、出身地、埋葬した場所を記入、最後に軍医長に戦死した証拠として、お渡しするのです。

 普通、師団には『従軍僧』が付きます。
しかし師団が大敗して散開、各兵隊達が遊兵に成り果てると、もはやそんな方を見つけるの事は奇跡に等しい事です。
この島では野垂れ死にして野犬か野ネズミに喰われるか、あの恐ろしい日本兵の化け物達に喰われ、惨(ミジ)めに骨を晒すのが普通なのです。
お坊さんに経を唱えてもらい、病院の火葬場で荼毘(ダビ)に付される。運を捨てたこの病院の兵隊さんにとっては、実に有難く幸運な事だとある兵隊(患者)さんは言ってました。
 あの片足の伊藤従軍僧もジャングルを彷徨中、精神が壊れてしまったらしく、軍医や看護兵に、

 「もう、ヤメ!」

と一喝される迄「般若心経と観音経」を唱えています。
新入りの壊れた兵隊(患者)さんは、あのお坊さんの経を唱える声が聞こえて来ると、生きた心地がしないと言ってました。
私は慣れれば実に心地よい「葬送の曲」だと思うのですが。

 今朝も「片足の伊藤従軍僧」は病院の中庭で、用を足しながら(立ち小便)経を唱えています。

 伊藤慶山 陸軍従軍僧
 (昭和十九年東部ニューギニアにて行方不明)
                    つづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み