二.
文字数 4,640文字
太い腕を組み、不敵な笑みさえ浮かべるクライフ。
ちょっと口を尖らせた悪戯な表情で考えるマイムーナ。
二人の先輩冒険者には、怯む様子が全くない。
ややあって、まず言葉を発したのはクライフだった。
「ふん、事情はよっく分かった」
納得の表情でクライフがうなずく。儚げな少女を見上げ、分厚い胸を張るクライフ。
「よっし、オレは行ってやるよ。困った女の頼みを断ったとあっちゃあ、オレの鋼の左腕が泣くぜ」
そう主張した彼のヘマタイトの目には、強固な意志の光が輝く。と同時に、測り知れず広がった野心が隠し切れずに覗いている。
自分でもそれに気付いていたのか、クライフは聞かれてもいないのに、ぽろっと暴露した。
「い、言っとくけどな、オレは別に金や宝石が欲しいワケじゃねえぞ。ただミュルミアが困ってるからだな……」
「よく言うわ、クライフ」
ベッドの隅で片膝を抱えたマイムーナが、呆れたような吐息と流し目で彼の弁明を遮った。
「あなた鏡見てきた方がいいわよ」
一言衝かれたクライフは、ベッドの上の連れにぱっと顔を向けた。浅黒く焼けたその無骨な顔は、柄にもなく赤くなっている。わざと大きな荒っぽい声を上げて、腹の底を白状したクライフがマイムーナに突っかかる。
「そういうおめえはどうすんだよ! マイムーナ!」
「そおねえ」
乱暴に斬り返されても、マイムーナは涼しい顔のまま。口許にしなやかな人差し指を当て、小首を傾げるようにして、女祭司がミュルミアに聞く。
「魔物が出るなら、そのひとは生きていないかもしれないわね。それでもいいの?」
ミュルミアが神妙な顔になった。睫の長い目を伏せ、うつむく少女は、ぽつりとこぼす。
「覚悟はしています。でも、形見だけでも……」
彼女の答えは完結しなかった。その途切れた言葉を、ミュルミアの顔に差した翳が代弁しているようだ。
悲しみが滲む少女の横顔を見て、マイムーナが温かい息を一つついた。深い慈愛に満ちた微笑を切れ長の目許に湛え、聖職者がうなずく。
「分かったわ。その想い、あたしの神なら善しとするわね。いいわ。あたしも手伝うことにする」
この結果、返事を残したのはただ独り。その彼、エルドレッドに三人の視線が集まる。
誰も口を開かない中、直接言葉で聞いたのは、戦士クライフだった。
「あとはおめえだけだぜ、エルドレッド。どうすんだ?」
だがエルドレッドには、すぐ返事ができなかった。酒場の主人の話が、どうにも彼の頭に引っかかって離れない。
エルドレッドは、ベッドの上のミュルミアに鳶色の目を向けた。
「ちょっと聞きたいんだけど、いいかな?」
無言のままうなずく少女に、エルドレッドは正直に問いを投げた。
「その鉱山って、村外れの岩山のこと?」
「そうです」
エルドレッドは、一瞬視線を虚空にさまよわせた。が、一言答えたミュルミアに、再び視点を合わせた。
「そのひとが鉱山に入ったのは、いつのことなんだ?」
「それは」
ミュルミアの瞳に、戸惑いにも似た陰が走った。
意図せず口を覆った右手の袖口がするりと下がり、ミュルミアの細い腕が露わになる。蒼ざめた肌を覆う無数の擦り傷や痣、そして、手首に痛々しく巻かれた包帯。その白さに目を射抜かれ、言葉を失うエルドレッドに、ミュルミアがか細く答える。
「……わたしにもよく分かりません。つい先頃らしいのですが」
しばしの逡巡の果てに放たれた少女の返事を聞き、ハッと我に還ったエルドレッド。
彼はうつむいた。疑念とまではいかないが、すとんと落ちない何かがある。
そんなエルドレッドに、マイムーナが不思議そうに声を掛けてきた。
「どうしたの? エルドレッド。難しい顔をして」
再び自分を取り戻した彼の目の前に、ベッドを降りたマイムーナの美貌が、大写しになっていた。思わず目の寄るエルドレッドの顔に、一気に血が集まる。
「え? あ」
一言洩らした途端、湯気の立つエルドレッドの頭に、いきなり太い腕が巻き付いた。
「わ」
筋骨隆隆の戦士クライフが、横からがっちりエルドレッドの頭を極めてくる。彼は丸太棒のような腕で、ぐいぐいと彼の頭を絞め上げる。その力の強いこと、エルドレッドの声は言葉にならない。脇の下でもがく後輩の呻きを聞きながら、クライフが粗野な笑い声を上げた。
「何考え込んでやがんだ、この野郎! 答えは二つしかねえんだ! 行くか、行かねえか、はっきりしろい!」
そう言い放ち、にっと笑ったクライフが、エルドレッドを捉らえた腕に、さらに力を込める。
「しっかし来ねえたあ言わねえよな? おめえも戦士のはしくれなら、“全戦士の不文律”、分かってんだろ? まさか知らねえたあ、言わせねえぜ」
「し、知ってる。分かってる。だから、俺も行くから」
豪腕の下からエルドレッドが呻く。ここでようやく、クライフが一分近く絞め上げた頭を解放した。
ぺたんと後ろに両手を着いたエルドレッドの頭は、さっきの紅潮した火照りから、今度は血の気が引いてくらくらする。くるくる回る彼の目に、マイムーナの顔が見えた。
心配そうに蛾眉を寄せた彼女は、彼の頬に繊細な手を延ばす。
「ひどいことするわね、クライフは」
彼女の指先がエルドレッドの頬に触れた瞬間、彼の頬は一気に上気した。エルドレッドの若々しく火照った顔を見つめながら、マイムーナが優しく微笑む。
「クライフはああ言ったけど、どうするかはあなたの自由よ、エルドレッド。強要はしないわ。そうでしょ? ミュルミア」
ベッドにちんまりと腰掛けるミュルミアも、エルドレッドにうなずいて見せた。
「わたしも、無理にお願いしようとは思っていませんから……」
ミュルミアのこの言葉は、気遣うような哀れむような、不思議な表情で綴られた。少女の瞳は、湖水の底に沈んだエメラルドを思わせる、黒味を帯びた深い色を見せている。
どうしてこの少女がこんなに哀しい表情をするのか、エルドレッドには理解できなかった。
……エルドレッドは、クライフに絞め上げられてのこととは言え、一度行くと答えたものを取り消す気にはならない。だが、彼にとって何よりも気掛かりだったのは、やはりミュルミアの様子だ。心細げで、儚げで、絶えず不安を抱えた少女。その心の内など、エルドレッドには想像も及ばない。
しかし、ミュルミアの漂わせる雰囲気だけで、エルドレッドの義侠心は、激しく燃え上がる。
迷いを捨てたエルドレッドは、はっきり答えた。
「いや、やっぱり俺も行くよ」
エルドレッドは、目許に悲哀の滲むミュルミアを直視する。
「俺にも手伝わせてくれ。俺だって、戦士なんだ」
エルドレッドの強い眼差しは、戦士としての意地に満ちている。
それを認めたのか、ミュルミアは目を伏せた。どこか諦めにも似た吐息とともに、この依頼人の少女は小さくうなずいた。
「……分かりました。お願いします」
「よっし、話は決まったな」
膝を打ったクライフは、戦士の矜持と野心が交錯して映る鋼の目をミュルミアに向けた。
「で、いつ行くんだ? オレたちなら明日でも平気だぜ。そうだろ? エルドレッド」
いきなりそう振られたエルドレッドだったが、今度は動じない。彼も口許を引き締めて、力強くうなずいて見せる。
「俺も平気だよ」
顔も年齢も全く違うが、答えたエルドレッドの口調は、どこかクライフと似ている。やはり同じ戦士だからだろうか。
最初の出会いは決して快いものではなかったが、同じ依頼を受けようという今、エルドレッドにとってはクライフが手本となる先輩になる。彼は素直に尊敬の念を抱いて、クライフの横顔を見た。ランプの仕掛けた光の悪戯だろうか、先輩の秘めた強情さがやけに目立つ。
「頼もしいわね、二人とも」
マイムーナが、クライフとエルドレッドを交互に見遣った。その妖艶な顔には、心底楽しげな微笑が湛えられている。
「あたしも二人と同じよ。明日にでも行けるわ。どう?」
マイムーナの肯定的な返事を聞き、ミュルミアは控え目にうなずいた。
「分かりました。では明日の朝一番に、村の広場でお会いしましょう。お約束の報酬は、鉱洞から戻った時にお支払いします」
ミュルミアは、ベッドから腰を上げた。彼女は床から立つエルドレッドたちに向かって、順に視線を巡らせる。
「今夜はゆっくりお休み下さい。明日は大変ですので」
「そうすっか」
大きく伸びをして、クライフはふと息をついた。
「オレも眠たいぜ。ちっとばかし飲みすぎたか」
つかつかとそのままドアに歩み寄り、彼はノブに手を掛けた。
「じゃ、また明日な、ミュルミア」
ドアを開き、半歩廊下へ踏み出したクライフの後に続き、マイムーナとエルドレッドも踵を返した。
「おやすみなさい、ミュルミア」
「明日の朝、広場に行くよ」
部屋の中に残る形のミュルミアは、廊下に出た冒険者たちに深々と頭を下げて、ゆっくりとドアを閉じた。
「おやすみなさい、みなさん。よろしくお願いします」
三人は、無人の廊下に立った。
淡い光を投げかける壁のランプの下で、マイムーナがエルドレッドにアメジストの瞳を向ける。
「ねえ、エルドレッド。あの綺麗なひと、来なかったわね。どうしたの?」
好奇心に溢れた菫色の眼差しにどぎまぎしつつ、エルドレッドは髪をくしゃくしゃやりながら答えた。
「シオンのこと? シオン、興味がないって。冒険者じゃないし」
クライフが納得の表情で口を挟んだ。
「ま、そうかもな。あいつの剣は戦士の剣じゃねえ。おっそろしい剣だがよ」
「そうだね。俺の探索を手伝ってくれたこともあったけど」
シオンの相棒であるエルドレッドも、クライフの言葉に同意した。彼は訳知り顔のベテラン戦士にふと聞いてみた。
「でもクライフ。クライフはシオンを知ってたみたいだね。遇ったことあるんだ」
「いや、ねえよ」
首を横に振った腕組みのクライフは、どこか神妙な表情で目を閉じる。
「必殺の剣技の噂は何度も聞いてるけどな。何でも、あいつは離れた相手の利き腕を斬り飛ばせるってよ。どうやるかは、知らねえが」
そこで目を開いたクライフが、エルドレッドに鋼色の視線を注いだ。
彼の目には心なしか、恐れの翳と敬意の光が交錯した複雑な模様を見せている。
「あいつの“仕事”は、常に無情の一太刀だ。その精確な一撃で相手は死ぬ。だから付いた仇名は“白い蜂”だとな。おめえ、知ってんだろ? エルドレッド。ああ、そういやあよ」
彼は思い出したように付け加える。
「この前、北東のセロモンテって街で、因業な金貸しが一人殺されたらしいな。まあ評判の悪いヤツで相当恨み買ってたらしいし、オレも金持ちは嫌いだから、金貸しに同情なんざ、しねえけどよ」
クライフの口許が、含みを持たせた笑みを湛える。
「何でも、警護の連中とはぐれた一瞬の間に殺られたらしいが、あいつの仕業じゃねえだろうな?」