一.

文字数 4,652文字

 ヴージを握りしめ、苦い顔で岩山を凝視する戦士クライフ。
 彼の三歩後ろに立つエルドレッドは、目の前にそびえる岩山から、クライフの隆隆とした背中へと視線を移す。
 しかし、ぴんと反らされたクライフの背中は何も語らない。ただ、熟練の戦士だけが漂わせる不屈の闘気だけが、クライフの背中から立ち昇る。
 
 ……ああ、まだまだその域には到底達さない。

 それを自覚しているエルドレッドの胸に、ちょっぴりの羨望が湧いてくる。彼は小さく息をつき、隣に立つ女祭司マイムーナの横顔をちらっと窺った。
 マイムーナもクライフと同じ、小高くそびえた岩山を見つめている
 鬢の毛を風になびかせるマイムーナは、終始曖昧な微笑を湛え、その真意はおよそ測り難い。
 そんな女祭司とは対照的に、魔術師ミュルミアは、胸元で重ねた両手をぎゅっと握りしめ、棒立ちになっている。そのこわばった華奢な両肩が、少女の緊張を如実に物語る。

 おもむろに左手を挙げたマイムーナが、ゆっくりと掌を岩山に向けた。自分の視界を遮るその繊細な左手から、白銀の陽炎がゆらゆらと立ち昇る。

「よう、“手鑑(てかがみ)”で何か分かるか?」

 クライフがよこした言葉には答えずに、じっと掌の向こうの山を注視していたマイムーナ。程なく彼女は、ため息とともに手を降ろした。

「ダメね。確かに何かいる気配はするわ。でも、それが何かは分からない」

 そうつぶやいたマイムーナから微笑が消え、蛾眉が険しく寄せられる。

「こんな“渾沌波動(クリフォト)”は初めてだわ。何かしら。小神格とも違うし、聖霊でもないようだし」

 彼女は、無言のままのミュルミアに視線を移した。

「あなたはどう? ミュルミア。何か感じない?」

 しかし魔術師の少女は、わずかに首を横に振った。
「いいえ。わたしは、この距離から“渾沌波動(クリフォト)”を感じ取れるほどの感性が、まだ形成されていなくて」
「そう……」

 口許に手を当てて、マイムーナがうつむいた。

「“渾沌波動(クリフォト)”って?」

 エルドレッドが素直に聞くと、マイムーナはどこか辛そうな笑みを浮かべて答えた。

「ある程度修練を積んだ術者は、“何か”がいると判るようになるの。“何か”が出す波動が、術者の感覚に干渉してくるから。一番危険なのは、“偏頭痛”ね」
「どうして……?」
「頭痛を感じるときは、“何か”は悪意と殺意を持ってることが多いから。探知術の“手鑑”を行使すれば、ある程度その本相は分かるけれど」
「ここはどんな感じ?」

 『悪意と殺意』、そんな不穏当な言葉を聞き、エルドレッドは思わず唾を呑む。緊張みなぎるエルドレッドの問いに、マイムーナは杖を握ったまま、張り切った胸の下で腕を組んだ。

「あたしの“手鑑”では、何とも言えないわ。こんな纏わり付く違和感は初めて。まだ距離があるからはっきりしないけれど、歓迎されていないのは確かね」
「ま、“何か”は行きゃ分かるだろ」

 困惑を顔に出す女祭司を見て、クライフがふふん、と笑う。手入れの行き届いたヴージを担ぎ、彼が鋼の目で仲間たちを見回した。  
 マイムーナも顔を上げ、曖昧な微笑みでクライフの言葉に応える。

「そうね」

 彼女が普段どおりの挑戦的な流し目で、二人の戦士クライフとエルドレッドを見比べる。

「何が出ても平気よね? あなたたちがいれば」

 男心に気持ちいい言葉だ。だがどうした訳か、これがマイムーナの唇から出ると、妙に挑発的に響く。実際クライフにもそう聞こえたのか、彼は憤然と言い放った。

「いまさら何言ってやがる! どんなバケモノが出て来やがっても驚きゃしねえや! そうだろ!? エルドレッド!」
「え? あ」

 突然同意を求められたエルドレッドは、一瞬言葉を詰まらせた。
 とは言え、彼も戦士だ。内心の茫漠とした不安を隠し、大きくうなずいて見せる。

「ああ、もちろん。何があったって、平気だよ」
「ようし」

 この鋼の蟹は、巨大な片腕を振り回すようにして、ミュルミアに向き直った。

「よう、ミュルミア。おめえ、鉱洞の入口、知ってんだろ?」
「あ、はい」

 岩山から視線を逸すことなく、何事か考え込んでいた彼女は、クライフの乱雑な呼び声に、ハッと我に還った。
 どこか落ち着かない様子で顔を上げた少女は、正面の岩山をおずおずと指差す。戦士たちの目が追うミュルミアの指先は、岩山の側面を示している。

「鉱洞口は、あの岩山の南側に開いています。まだ閉じられてはいませんから……」

 草一本生えていない不毛の裾野をぐるりと渡り、冒険者たちは岩山の南側に回った。
 ほとんど垂直に近い岩壁に、大きな縦の裂け目が口を開いている。どうやら人が掘り抜いたものではなく、何かの自然現象で生じたものと思しい。しかしその裂け目は、黒ずんだ頑丈な木の枠で、長方形に補強されている。
 涸れ切った排水路が横たわり、壊れた一輪車やざるが散乱する鉱洞口周辺に、人の気配は全くない。やはりこの鉱山は、放棄されて久しいらしい。

 そんな無人の坑道口に立ったクライフは、身を乗り出してその奥を覗き込んだ。打ち棄てられた鉱洞の中には一抹の光もなく、完全な闇が詰まっている
 向き返ったクライフは、仲間たちに視線を注いだ。

「よう、灯りはどうする?」
「ランタンを用意しますから」

 言いながら、ミュルミアが大きな鞄の中から真鍮のランタンを取り出し
た。少女がランタンに火を点けている間に、クライフがエルドレッドに目を向けた。

「準備はいいだろうな? エルドレッド。忘れ物はねえか?」

 いくら後輩とはいえ、まるっきり子ども扱いされたエルドレッド。くすくす笑うマイムーナを横目に見ながら、彼は頬を膨れさせてクライフに言い返す。

「だから俺は子供じゃないよ!」
「あら、あたしは分かってるから」
 
 小さく笑うマイムーナの横で、クライフはにやりと笑ってさらに念を押す。

「確かに、おめえは子供じゃねえ。だがおめえは、オレからすりゃ半人前の“後輩”だからな。経験の浅いヤツは、“先輩”の言うことを黙って聞いとけ。それが“不文律”ってヤツだろ?」
「あ、うん。そうだね」

 先輩戦士の堂々とした言葉を聞き、エルドレッドはうなだれた。

 ……確かにクライフの言うとおりだ。戦士たるもの、“不文律”には逆らえない。

「あなたたち、昨日も『不文律』の話してたわね?」

 マイムーナが不思議そうな表情で、二人の戦士を交互に見ている。

「『全戦士の不文律』、だったかしら。何のこと?」

 一瞬、お互いの顔を見合わせたエルドレッドとクライフだったが、エルドレッドが女祭司に向き直った。

「『階梯の差は経験の差。経験は絶対。経験者には絶対服従』。これが“全戦士の不文律”だよ」
 
 エルドレッドは、師事した先生に叩き込まれた教えを反芻しながら、マイムーナに語る。

「俺たち戦士は、経験が全てなんだ。だから戦士は、戦いでは“先輩”の指示に絶対従う。どんな戦士にも、嫌でも身に染み付いてる」

 クライフも、エルドレッドの横で大きくうなずいた。

「オレは“ヴァルツ流戦斧闘術”で、エルドレッドは“ノイ派戦士”だ。“継承名(ミドルネーム)”で流派の違いはすぐ分かる。だがそいつは、どんな流派でも戦士なら誰でも知ってる、絶対の掟だ。大昔から言われてる話で、誰が言い出したかは知らねえがな」

 クライフは無骨な戦斧を担ぎ直し、すぐ横に立つエルドレッドに顔を向けた。その剛直な眉根は厳しく寄せられ、まばらに髭のある頬は堅く引き締まっている。彼の黒鉄色の目に漲るのは、不屈の闘志。紛れもなく、練磨の戦士の表情だ。

「オレもいろんな戦士に会ったが、その中でも今のおめえは一番の“後輩”だ。とにかく黙ってオレに付いて来い」

 エルドレッドも口許をきっと結び、謙虚にうなずいた。

「分かってる」

 若々しく、素直なエルドレッドに微笑ましげな視線を送りながら、マイムーナはそして左手の杖で坑道口を示した。

「頼むわね。あたしたちの命は、あなたたち戦士にかかっているんだから」

 ミュルミアから受け取った右手でランタンを翳し、マイムーナは仲間の顔を順に見回した。

「さあ、行きましょう。探すものは、たくさんあるわ」


 四人の連隊は、坑道口に立ちはだかる闇を突き抜け、中へと踏み入った。 
 廃坑道には、冷たく乾いた空気と、闇が詰まっている。緩やかに傾斜した暗く狭いトンネルを降りながら、ランタンを掲げるマイムーナが、ぽつりとつぶやく。

「思ったより、天井は高いわね」

 エルドレッドも視線を真上に向けた。確かに、彼女が頭上に掲げる灯火は、鉱洞の天井まで届かない。光はすべて、彼らの上に覆いかぶさる闇の中へと吸い込まれている。
 しかし天井を仰ぐ目を凝らしてみると、真っ暗闇の中に星を散りばめた様な赤い光点が、ちかちか瞬いているのが見える。外界からの光ではあり得ない、奇妙な光景だ。

「何だろ?」

 ふと足を止めたエルドレッドの声に、彼の視線を追うマイムーナも目を細めた。

「あら、本当。きれいね。ルビーみたい」
「なに、ルビー!?」

 彼女のつぶやきに、戦斧を引っ担いだ戦士クライフが、耳聡く反応した。 パッ、と暗い岩天井を見上げた彼だったが、その鼻息はすぐに色を失った。舌打ちを一つ響かせて、クライフがつまらなさそうに言い捨てる。

「なあんでぇ、コウモリじゃねえか」

 なるほど、よくよく注意して見れば真紅の光点は、もぞもぞと絶えずうごめいている。それに耳を澄ませば、何やらきちきちという奇妙な音も聞こえてくる。啼き声だろう。
 後ろからついてくる魔術師の少女ミュルミアが、控え目に口を開いた。

「この辺りの宝石は、もう採り尽くされていますから。宝石をお探しになるのなら、鉱道のもっと奥へ潜らなければ見つけられないと思います」

 この女魔術師の言葉に、クライフは不敵な笑みを浮かべてヴージを担いで見せた。

「で、そこにはバケモノも出る、と」
 
 何か言おうとして息を吸ったミュルミアだったが、クライフは彼女の小さな鼻先に大きな篭手を翳してそれを遮った。彼は白い歯を口の端に覗かせ、どことなく皮肉めいた調子で鼻を鳴らす。

「分かってら、そんなこと。聞くまでもねえ」

 そう口にしたクライフが、エルドレッドに不敵な視線をよこす。

「行くぜ、エルドレッド。剣は抜いとけよ」
「あ、ああ!」

 先輩の忠告に従い、エルドレッドは剣の柄に手を延ばした。
 久しぶりに抜き払う剣には一点の曇りもない。ずっしりとした剣の重みと、白刃の輝きが、エルドレッドの気持ちを高揚させる。
 力と経験が物を言う職能であるとともに、仲間たちの命を預かる要でもある“戦士”。 自負と責任感に、エルドレッドは身が震えるのを覚える。
 そんなエルドレッドを横目に見ながら、クライフが再び鉱道の奥へと歩き出した。
 ランタンを翳すマイムーナも彼に微笑みかけると、ゆっくりと踵を返す。灯火を受け、艶やかに照り返る漆黒のコートが彼女の背中で翻る。
 思わず頬が熱くなるの感じつつ、エルドレッドも先輩たちの後を追った。
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登場人物紹介

エルドレッド=ノイ=カッシアス(♂、16~7)


本作の半人前主人公。

口減らしのため、故郷を発った放浪の戦士。

流派はノイ派。剣のほか、盾でも拳でも使えるものは何でも使う、泥臭い流派。

階梯(レベル)は第三階戦士”剣士(ソードマン)”。下から数えて三番目と、まだまだ半人前。


中肉中背、鳶色の目と柔らかな髪。柔和な顔つきで、余り戦士らしくない。

優しく温和な性質だが、決めたことはやり通す粘り強さもある。

シオン=ファン・ヴェスパ=フォーレン(♂、本人曰く「数え切れない」)


エルドレッドの相棒。

白い肌に白い髪、紅い瞳の美青年。

明確な人種は明かしていないが、異人種の”精人(アールヴ)”らしい。

自分の容貌と人種を隠すために、普段は身なりも汚く、顔も泥で汚している。


セロモンテという街で追われていたところをエルドレッドに匿われ、それ以来、行動を共にする。

”白い蜂”と異名を取る、名うての暗殺者。賞金の掛かるお尋ね者でもある。

武器は小太刀。

アンドレアス=ミュルミア(♀、16)


本作のメインヒロイン。

ある目的をもって、農村ノイラの外れの鉱洞探索をエルドレッドたちに依頼する。


職能は火系の魔術師。第三階梯”理論者(セオリカス)”。階梯的には、やはり半人前の範囲に入る。

ただし、かなり強力な呪文を知っているので、階梯以上の力を発揮できる。


本来は愛らしい少女だが、旅の中での辛い経験と強い緊張、それに使命感から、物腰は極めて硬くなっている。

笑うことも泣くことも、ほとんどない。

男性の目から見たら、恐らくは「可愛げのない女の子」、と映ると思われる。

マイムーナ=パドマ=エンサリオ(♀、外見は二十代前半)


『悪徳の神』のひとつ、性愛の神アマトリアに仕える女祭司。

第七階聖職者”祭司(ディーコン)”

長く艶やかな黒髪と、切れ長の大きなアメジストの瞳が魅力的な、大人の女性。

スタイルも抜群にいい。

誰にでも優しく穏やかだが、時おり子供っぽい一面も覗かせる。

布教の旅の最中、酒場でエルドレッドとシオンに出遇い、マイムーナの依頼を受けることになる。

戦士のクライフの相棒。

クライフ=ヴァルツ=ローランド(♂、三十代前半)


ヴァルツ流戦斧闘術の第六階戦士”戦士(ファイター)”

どこへ出ても一人前とみなされる階梯に至った、ベテランの戦士。

隆々とした体躯に左右非対称の装備を着込み、一風変わった戦斧ヴージを得物とする。

本来は一本気で剛直な性質だが、酒癖は悪い。

女祭司マイムーナの布教の旅に、護衛として同行している。

やはり旅の途中でマイムーナとともにミュルミアの依頼を受け、エルドレッドとともに鉱洞探索へと赴く。

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