[2]○ドレスの理由 *
文字数 4,234文字
ただ飽くまでも作者自身の生きる「現代」の画像を利用しておりますので、70年後である本作では多少変わっているかと思われますf^_^;
何卒ご了承くださいませm(_ _)m
タイの首都バンコクは、土曜早朝でさえ十分に賑わっていた。交通網は日本と同様『ムーン・ウォーカー』が主体となっているが、元々渋滞で有名な地であるから、昔から使われている陸路も併用してちょうど良い交通量といった具合だ。メリルは点在している国営パーキング内の一つに『ムーン・コミューター』を着陸させた。と言っても全ては行き先を設定するだけの自動操縦プログラミングで
パーキングも『エレメント』を利用して宙空に浮かんでいるため、そこからは真下へ降りるだけの『ムーン・リフト』か、次の目的地までの『ムーン・タクシー』や『ムーン・トレイン』、従来の地下鉄やモノレール、もしくはオートバイを改造した昔ながらのトゥクトゥクなどを利用することになる。メリルは『ムーン・リフト』を選び、サテライトを解除されて自由になったクウヤと地上に向かった。
「おい……その格好はちょっと目立ち過ぎないか?」
クウヤは隣に立つメリルを横目で見下ろし顔を歪ませた。若干ひるんだような声になるのは、その台詞の通り、メリルの外見に問題があるからだ。『グランド・ムーン』で出逢った時からずっと変わらない黒いベルベットのフレアーミニドレス。彼女はそのままの服装で、爽やかな朝の街中に降り立ったのだった。
リフトを降りて真っ直ぐ歩き出したメリルの後を、クウヤはのろのろと続いた。その歩調には「他人に思われる程度の距離まで離れたい」という願望がちらついている。実際周りを通り過ぎる人の目は全員メリルに釘付けだった。
「クウヤ様」
が、クウヤの行為はすぐさまメリルに気付かれたようだった。歩みを止めて追いつくのを待ったメリルは、振り向きもしないまま後ろのクウヤに話しかけた。
「わたくしもそれは重々承知の上でございます。ですが本来ならば、わたくしはあの『グランド・ムーン』から直接『上』に戻る予定でございました。ですから……着替えがないのでございます」
「え、あ、わりい……」
明かされた理由と原因は自分にあったことに気付かされ、クウヤは咄嗟に謝った。せめて啓太のホログラム・ペンライトでもくすねてくれば良かったか? などと考えながらバツの悪そうに後ろ髪を搔き乱す。それはメリルの視界に入っていなかったが、消沈気味の謝罪だけでもしっかり伝わったらしい。振り返ったメリルの表情には特に責める気持ちは表れていなかった。
「着替えがございませんのはクウヤ様も同様です。これから数日分の衣類を求めに参ります。それから朝食を。そろそろ空腹をお感じではありませんか?」
「あー……そう、だよな。ごめん、助かる」
言われて確かに気付かされた。自分が持っているのは、中身が入っているとは言えない財布も兼ねたカードタイプの通信メディア、それと自分になついてしまった『エレメント』のみだ。更に昨夜『グランド・ムーン』で胃に入れた物と言えば、チーズにナッツといった乾き物と、ウィスキーにあのデス・シロップたっぷりのブラッディ・メアリーのみなのだから、そう思い出してしまえば、途端に結構な空腹感がみぞおちの下を襲撃した。
「では参ります」
再び前方を向いてスタスタと歩き出すメリル。クウヤはその後をやはり周囲の視線に困惑しながらいそいそとついて行った。
やがて前方に現れたのは、軒先に様々な商品がぶら下がる平屋建ての雑多なマーケットだった。
「あ、此処……もしかしてチャトゥチャックか?」
小さな商店が幾つも連なり、その数軒先に現れた狭いアーケードを曲がって中へ進む。クウヤはやっとメリルの隣に並び、自分の記憶にある広大な市場の姿を思い出した。
「ご存知なのですか?」
「ああ。もう随分前だけど研究室のフィールド・ワークで一度バンコクには来たからな。その時確か此処にも来た」
チャトゥチャック・ウィークエンド・マーケット。1982年に設立という長い歴史もあるバンコク一の週末限定市場だ。一万以上の屋台が立ち並び、此処へ来れば何でも手に入るくらいの品揃えを誇る。クウヤはこの混沌とした乱雑な空間が気に入って、何を買うという目的がある訳でもなく、数日の滞在でも数回訪れた覚えがあった。
現代は一歩外へ出れば電子化された発展著しい世界が広がっている。それはどうしても機械の冷やかで無味無臭な味気なさが伴う。けれど此処には人間が本来持つ躍動感に充ち溢れ、貪欲な色と匂いの混雑する「人間らしさ」が存在していた。便利な世の中は日に日にエスカレートし、特に日本はその程度が顕著である。反面東南アジアでは都市部でもこうした古き良き時代モードが残存し、今でも人を集めて魅了しているのだから、結局人間はカオスが好きなのだろうと、クウヤはこの場に浸りながら苦笑いをしたものだった。
「この時刻ではまだ通常の店舗は開いておりませんので、こちらを選ばせていただきました。此処でしたら当面必要な雑貨が手に入りますし、朝食も済ませることが出来ます。先にお食事致しますか?」
「そうしてもらえたらありがたい、らしい」
メリルは隣から聞こえてきた微かな胃の動く音に気付いたのだろう。クウヤはうっすら笑いながら恥ずかしそうにお腹を押さえた。それを特に表情を変えることもなく一瞥したメリルは、飲食関連の屋台が集まるセクションを目指し、右手に現れた小路へ彼を
◆ ◆ ◆
「あれ……お宅、食べないのか?」
適当に選んだ屋台のテーブルに着き、置かれたメニューのプレートに目をやる。もう一人分のメニューがあるにも関わらず、それを手にするどころか視線も向けないメリルに、クウヤはふと気付かされた。
「はい。わたくしはご遠慮致します」
「腹、減ってないのか?」
「はい」
「ふうん?」
──空腹ではない、というのは嘘で、本当はこんな屋台で食べるのが嫌なんじゃないだろうか?
辺りにはタイ料理特有のスパイシーな香りや、数軒ある中華の店からもどぎつい炒め油の匂いが漂っている。お世辞にも衛生的とは言えない状況は、確かに彼女の食欲をそそるとは思えない。『主人』とやらに仕える身とはいえ、メリルが『上』に暮らす上流階級の一人なのは間違いない。そんなことを考えながら、クウヤは一人分のオーダーを通したが、ジロジロと監視されながら食べるのは気まずいと感じ、
「だったら、俺が食ってる間に買い物行ってきたらどうだ? 済んだら連絡入れるから。メリルだって
そう言って自分のカードを取り出した。何せまだ色っぽいドレス姿なのだ。そんな女性に見つめられながら独り食事を進める男など、どうしたって注目の的だろう。食事を先にしてもらった手前文句は言えないが、一秒でも早く普通の服装をしてほしい。そんな気持ちも含まれていた。
「いえ、こちらでクウヤ様を待たせていただきます」
「何で? さすがにこんな所で一人にされても困るから、俺は逃げないぞ?」
けれどこんな一分足らずの会話のやり取りの内に、もう注文した料理が運ばれてきた。
タイ名物のカオマンガイ。茹でたチキンのスープで炊かれたジャスミン米の上に、そのチキンが数切れとスライスしたキュウリが添えられている。タレをかけて食べるのだが、大抵は独自の味付けがされ、それを自慢にしている店も多い。理由を語らず勧めるメリルの様子に、仕方なくクウヤはセットのスープに口を付けた。鶏の茹汁であり炊飯にも使われるそのスープには、チキンの深い味わいが浸み込んでいた。
「まずはクウヤ様の衣服と下着を」
早々に食事を終えたクウヤを連れ立ち、メリルは衣類のセクションへ足を向けた。各店舗はとにかく狭いため、囲われた壁面と天井もくまなく利用されている。見上げる先はひたすら吊るされた洋服の山だ。徐々に客足が増え、また気温も太陽の上昇と共に上がっているので、市場内は既にむっとした暑さをはらんでいる。灯り取りも兼ねた半透明の屋根から光も注ぎ込んで、アーケードの熱気は午前でも十ニ分な様相だった。
「手分けすればいいんじゃないか? 時間と場所を決めてくれれば、買い物終えたら向かうから」
自分の下着を買うのに、恋人でもない女性が一緒なのは出来ればご遠慮願いたい。ましてや先に済ませるとなればメリルは結局ドレスのままだ。ココだけは引き下がらないぞ、とばかりにクウヤは立ち止まり、彼女へ向ける瞳に力を込めた。
「ではお支払いはどうされるのですか? カードはわたくしが持っておりますゆえ」
「う……」
実際先程の格安な朝食でさえ、メリルが支払いを済ませてくれたのだ。スカスカに近い財布の中身を突っ込まれて、クウヤは一瞬たじろいた。
「ま、まぁ……悪いけど、ちょっと俺のメディアに移してもらうってのは~」
「致しません」
意外にもメリルもココだけは譲らないという姿勢を見せた。
「んじゃ、せめてメリルの買い物先に済ませようぜ? だったら俺は折れてもいい」
段々「買い物デートの最中いざこざを始めたカップル」みたいな雰囲気になりつつあることを、本人達は気付いていない。それでなくとも目立ってしまうメリルの装いに、彼らをよけながら過ぎる人波は、全員がクスクスと笑っていた。
「今は理由を申し上げられませんが、わたくしの衣類などどうでも宜しいのです。まずはクウヤ様の買い物を優先致します」
「何でお宅の服がどうでもいいんだよ?」
「ですから理由はまだ申し上げられません」
「うー、ケチ!」
クウヤの苛立ちは暑さに助長され、まるで本物のカップルのケンカになりつつあった──が。
「時間がありません。──行きます」
その言葉を最後に、メリルの右手がクウヤの左腕をつかみ、強引に歩き出してしまった。
「時間がないって一体……いででっ、メリル握り過ぎだって!」
引き寄せられた腕に強い痛みを感じ、クウヤは慌てて叫んだ。途端メリルが急ブレーキを掛け、初めて申し訳なさそうな面差しで振り返った。
「も、申し訳ございません、クウヤ様」
「……メリル?」
つかまれた場所をさすりながら、怯えるようなメリルの
腕にはうっすらとうっ血したように、淡く赤い色が浮かんでいた──。