[2]キャストとゲスト 〈K〉
文字数 3,976文字
宜しければ
『グランド・ムーン』と呼ばれるこの店は、東京でも一、二を争う人気の高い高級酒場だ。五十七階建てビルをまるごと使い、あらゆる映像美が堪能出来るよう、高度なマルチシアターシステムを採用している。そのようなエンターテイメント性を持ちながら、大人の社交場としての優雅な格式も兼ね備えることで、世界的にも脚光を浴びていた。
エントランスを進んだ先には開放感溢れる空間が広がり、最上部まで貫かれた迫力ある吹き抜けとなっていた。一階の中心には、あたかも湖岸に佇んでいるのかと
その上空をまるで水の
この店は階ごとにコンセプトが違っていて、中には洒落たショットバーやナイトクラブも幾つか展開されているが、主たるものはキャバレーだ。上層ほどレベルも高いといわれ、最上階はお忍びのVIP
「……お前……一体何者だ? もしかして……ヤバい商売でも、や、やってるのか?」
恐る恐る途切れがちになってしまう
「やだなぁ、人聞きの悪い! ……実を言うとね、今回の臨時収入ってココの利用チケットなんだ。それも本日限りの……だから今日中に使わないともったいないでしょ?」
啓太は入口に立つ黒服にそのチケットを提示しながら、クウヤに真相を告白した。こんな所のタダ券くれる方がよっぽどヤバそうだろ──との心の声は言葉にせず、不審な眼差しを向けたまま顔を引きつらせる。
「大丈夫だって~折角だから楽しもう?」
啓太に促され仕方なく進めた歩みの先で、クウヤは階下のエントランスでも受けた深いお辞儀に迎えられた。最上階専属のスタッフに
「さすがに金曜夜ともなると混んでるね~」
確かに啓太の言う通り、見渡した限り空席は見つからなかった。中心が吹き抜けになっているため、環状に区切られたフロアー全体を認識するのは難しい。それでも黒服は二人を招き、時計回りに角を一つ曲がって、二度目のコーナー手前の空席へスムーズに案内をした。
「混雑は想定内だからね、ちゃんと予約してたんだ」
「……それが堅実だな」
納得しながら席に着き、やはりキョロキョロと視線を泳がせてしまうクウヤ。格好は幾らまともでも、それに見合った態度はそう簡単に身に着くものではない。
「クウちゃんって、もしかしてこういうところ初めて?」
それに気付いた啓太が純粋に尋ねた。
「まぁな、残念ながら。啓太は何度も来てるのか?」
「まぁね、仕事柄。もちろん顧客持ちだけど」
クウヤの苦笑混じりな言葉に合わせて、啓太も同じ調子で答える。
「ふうん」と一言、クウヤはそれ以上言葉を継がなかった。余り喋ったら自分の職業を訊かれかねない。さすがに日雇い肉体労働者だとは答えがたいと思っていた。
「お客様、何を召し上がりますか?」
一旦会話が終わったことを見越した黒服が、おもむろに二人に問いかけた。
「ゴメンゴメン~忘れてた。どちらもウィスキー、ロックをダブルで。銘柄はお任せするから一本キープしてくれる? で、イイよね? クウちゃん」
黒服をこれ以上待たせるのも悪いと感じ、クウヤは啓太の適当なオーダーに、とりあえず承諾の頷きを返した。が、お任せ注文などきっと高額なボトルが選ばれるに決まっている。黒服が去っていくのを確認したクウヤは、すぐさま啓太に詰め寄った。
「おいっ、あんなこと言って……後で知らないぞ?」
周りを気にして一応トーンを落とした声色で
「平気だよークライアントに「一本だけならどれでもボトル・キープOK」って、了解はもらってるから」
「クライアントって、そのチケットくれた相手か?」
「そうそう~」
まったくどんな筋の顧客なのか……クウヤは当惑しながら自分の膝に頬杖を突き、再び辺りに目をやった。
真正面には昇ってきた吹き抜けの映像が、まるで手前の客席を透かすように臨場感を保って流れていた。おそらく下層から確認出来た『ムーン・リフト』も、この映像を邪魔しないような装置が搭載されているのだろう。先程の海とは違い、今度は白い花の群生が映し出されている。目を見張る光景に集中し始めて、すぐさまあることに気付かされた。意識をそちらへ研ぎ澄ませるや、今まで前面だけで展開していた動画が、自分を中心に360度を覆い尽くしたのだ。たった独りの個人と自然だけがこの世に存在するような、不思議な穏やかさが全身を包み込む。混沌とした脳内の
「クウちゃん、もう味わったんだね」
それは斜め前に坐す、変わらぬ微笑みの啓太だった。
「あ……俺、今……?」
まるで居眠りから覚めたように、寝ぼけ
「これがココ『グランド・ムーン』の特徴であり、自慢とするところだよ。気持ちを映像に集中させると、五感全てを掌握されて、一種のヒーリング効果が得られるんだ。こんなもの、夜遊びに来た大人には無用の代物だと思うでしょ? でもこの癒し効果の中には特殊なエクスタシー・プログラムが組み込まれていて、これと現実を交互に体験することで、麻薬みたいな悦楽状態に浸ることが出来るのさ」
啓太は一息に説明してみせたが、クウヤはまだぼやけたままの理解で、半分夢の中を
「イイな~ボクはこれに向いてないみたいでさ、実はあんまり堪能出来たことがないんだよね。でもクウちゃんにはその素質がありそうだ。やっぱり自然を愛してきた『ハカセ』は違うってことだね! あ、だけど人によっては多少の中毒症状もあるみたいだからホドホドにねー」
「はぁ……」
生返事を返したものの、数分後には思考が鮮明さを取り戻し、改めてここまでの啓太の言葉に納得した。同時にこれもまた『上』の技術の
室内がかなり照度を抑えられていることと、背もたれが高い位置まで
混雑の
「お客様、ご指名などはございますか?」
そんな二人にようやくドリンクを用意して黒服が尋ねたが、初心者丸出しの青年を獲得しようと、既に数人のキャストがずらりと並んで待ち構えていた。
さすがに欲深い妄想を掻き立てながら、女の子を選ばないバカなどいない。端から品定めするように視界を流したが、どの女性も一流らしく品格もあり美しい。しかしクウヤは先程見回した景色の中から、ふと焼きついた印象的な『赤』に心惹かれていた。
「悪い、俺……隣の赤毛の
端的に告げ、お目当てのいるコーナー席を指差した。啓太とスタッフ達の目線全てがそちらへ向けられる。その時、見つめた先の真紅の髪がゆらりと振られ、僅かに見えた鮮やかな瞳がクウヤを一瞬捉えた気がした。──が、
「お客様、申し訳ございません……あちら様はご来店いただいておりますお客様でございまして……」
「え?」
決まりの悪そうに寄った黒服の口元から、驚きの事実が飛び出した。その耳打ちに刹那声が洩れてしまう。慌てて上げた焦りの顔は、女性陣の苦笑いで見事に射し貫かれていた。
「クウちゃんやっちゃったねー! お詫びにみんなに一杯ご馳走するよぉ。あ、でも指名はキミと……キミだけね! で、イイかな、クウちゃん?」
「……従わせて、いただきます」
数秒凍りついたように沈黙した場の流れを、明るい声で啓太が変えた。まさか女性客をキャストと間違えるとは……いや普通こんな店に女性の客などいるものか!?
そしてそんな赤毛の美女と数時間後にランデブーとは、さすがのクウヤも予測出来てはいなかった──。