第3話ー柴田のばあいー

文字数 889文字

「おつかれ」
会計の順番が柴田に回ってくると、レジにいる吉岡が声をかけてきた。
挨拶を交わし、今日の天気やお買い得商品の話をする。
大笑いできるほどの内容でもないが、それなりに楽しい会話を終え商品を袋に詰める。
毎日持ってきているエコバッグは、末の娘が買ったペットボトルについていたおまけで、使い始めて10年以上たつ。度重なる使用と洗濯で、描かれていたキャラクターはすでになくなり、無地のエコバッグに見えるだろう。
手に食い込むエコバックを握自転車のかごに入れると、自転車のペダルをこいだ。
夕方の5時をすぎるとあっという間に日が暮れるようになった。なんとなく自宅へ早く帰らなければならないような気になるが、夫がいる家には帰りたくはない。
尾崎の娘が亡くなったことを知ったのは、最近のことだ。
知ったきっかけが何だったのかは忘れてしまったが、20歳ごろに亡くなったと聞いたとき、思わず線香をあげさせてほしいとお願いした。
生きていたら自分の娘と同じぐらいの年だと聞いて、いてもたってもいられなかったからだが、おせっかいだったかもしれないと落ち着いてから思い始めていた。
だが、尾崎はとても喜んで迎え入れてくれたおかげで、何かあるたびにお供え物を渡すのが習慣になっていた。
誰かが死んだあと、悲しんだりなんとか生きていこうと前を向いたりと、なんとかもがくことは経験はある。だが、夫が死んだあと、自分がどう思うかあまり想像ができない。夫は病気で自宅にいるが家庭内別居だし、医者から何を言われているのかわからない。以前は医者に言われたことをまったく守らない夫に腹が立ったりもしたが、今はもう何も思わない。
夫の看病のために仕事を辞めたことが最大の失敗だと娘に言われたとき、よくわからなかった。
信号が青になり、自転車のペダルを踏みこむ。自宅に続く小道が暗くかげっている。思ったよりも秋は深まっているのかもしれない。
自宅に弱弱しい明かりがついている。ただそれは自分を待つ明かりでもないし、自分を受け入れてくれる明かりでもないことを柴田は知っている。
夫が死んでもきっと泣かないだろうと確信にも近いことを考えていた。
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