第3話

文字数 728文字

 住宅街の細い道を数分走らせると大通りに出る。その手前の信号で停まっていると、運転席のサイドウインドウがこつこつと叩かれた。明るい色のコートを着た、上品な雰囲気の若い女が微笑んで車内を覗き込んでいた。近所のバーで知り合った聡美というホステスだ。
 信号は赤でしばらく変わりそうにない。俺は後部座席の向こう側のトランクを一瞥してから窓を開けた。
「今日はお休み?」
 聡美はにこやかに言った。
「まあな。これから遊びに出かけるところだ」
 まさか聡美がトランクの死体に気づくことはないだろうが、俺は緊張していた。窓から冷たい空気といっしょに嗅ぎ覚えのある甘い香りが侵入してきた。
 聡美とはつい先日、一度だけ関係を持っていた。それ以来会うのは今日が初めてだった。
「奥さんは一緒じゃないの?」
「今はうちにいる」再び後ろをちらりと見ながら言った。
「そう。たまには一緒に遊びなよ。奥さんを大事にね。私が言うのも変だけど」
 聡美は笑った。笑顔に異様な迫力を感じる。
 今はあまり関わりたくないと思った。
「そうだな。じゃあここで」俺は窓を閉めようとした。
「あ! ちょっと待って」
「何だ」
 信号はまだ赤だったが、苛立ちが顔に出ていないだろうか。
「これ、あげる。お客さんにもらったけど、いらないの」
 聡美が差し出したのは、ずっしりとした紙袋だった。受け取って中を見ると、高そうなウイスキーや焼酎の酒瓶が底を突き破らんばかりに大量に入っていた。どんな客にもらうのか、聡美はこの手の荷物を持ち歩いていることが多い。
「ありがとう。じゃあ、また」低いガラスの音をたてながら助手席に紙袋を置いて、今度こそ窓を閉めた。窓の向こうで聡美が手を振っている。
 信号が青になり、俺は車を勢いよく発進させた。
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