第8話
文字数 1,301文字
日暮れとともに林に闇が広がっていく。木々を避けて獣道を小走りに進んだ。
「おい! どこだ! 話を聞いてくれ!」
立ち止まり、耳を澄ませてみた。風で木々が鳴っている。背後では停めっぱなしにしてきた車のエンジンが鳴っている。それ以外には何も聞こえない。
このままジジイを逃がしてしまった後のことを考えた。
俺は名を名乗っていなし、素性も明かしてない。ただ、顔は見られている。
ジジイが警察にたれ込めば、俺は確実に逮捕されることになる。人生のすべてを失うことになるだろう。
もちろん、拳銃を持っているような無法者だ。警察に駆け込むような真似はしないかもしれない。いずれにしても、話だけはしておきたい。
絶対に逃してはならない。
その時、小さな音がした。木の枝や枯葉が重量によって圧迫される鈍い音だ。
十メートルと離れていない。音の方向へゆっくりと近づくと、ジジイがうつ伏せで倒れていた。木の陰に身を隠していたが、俺が近づいているのがわかったので、立ち上がって逃げようとして転んだ、といったところだろう。
「ここにいたか」
起こしてやろうと近づいた。すると、ジジイは頭だけでこちらを振り返り、ぎょろりとした目玉でこちらを睨みつけたと思ったら、素早く寝返って尻をつき、こちらに向けて両手で拳銃を構えた。
「う……動くな」
俺は怯んだ。そして手を挙げた。
油断していた。拳銃を持っていた時点で、こうなる可能性はあった。ジジイの腕次第だが、何なら林の中から俺を狙って撃つことだってできたのである。
「待て、誤解だ。俺は人殺しじゃない」
「じゃあ、あの死体はなんだ?」
「死体じゃない。眠ってるだけだ」
「嘘をつくな!」
ジジイは引き金に指をかけた。俺は目を閉じた。
しかし、もう弾は入っていなかったようだった。小さな金属音だけが虚しく鳴った。
俺はジジイに近づいて腕を掴み、拳銃を掴んで背後に放り投げた。湿り気を含んだ枯れ葉に膝を付き、顔を近づけた。
「俺を殺す気だったか。だが俺はあんたを殺したりしない。何度も言うが俺は人殺しじゃない」
「嘘だ!」
その後何を言ってもジジイは子供のように「嘘だ!」を繰り返して聞く耳を持たず、しまいには何も聞くまいと、両手で耳を塞いで「あー!」と叫ぶ始末だった。
俺は疲れ果ててしまった。
もう殺すしかない。
自分でも驚くほどの短絡的な結論だった。命の価値が暴落している。
そもそも、拳銃を持っているのをみると、相当危険なところと付き合いがある人物だ。しかも一人暮らしだと聞いている。うまく隠せば俺に疑いがかかることはあるまい。
ジジイの首に手をかけた。俺は冷静だった。妻を殺したときと同じように。
ジジイは相変わらず大声で叫んでいるのに、驚くほど静かだった。
眠気すら感じた。
「あなた」
突然後ろから声をかけられた。ジジイから手を離した。
振り返ると、そこに立っていたのは妻だった。
車のライトが逆行になり、表情はよく見えなかったが、そこにいたのは間違いなく妻だった。
妻は自分の顔ほどの大きさの石を両手で振り上げていた。そして、俺をめがけて振り下ろした。
左手の薬指には指輪が光っていた――。
「おい! どこだ! 話を聞いてくれ!」
立ち止まり、耳を澄ませてみた。風で木々が鳴っている。背後では停めっぱなしにしてきた車のエンジンが鳴っている。それ以外には何も聞こえない。
このままジジイを逃がしてしまった後のことを考えた。
俺は名を名乗っていなし、素性も明かしてない。ただ、顔は見られている。
ジジイが警察にたれ込めば、俺は確実に逮捕されることになる。人生のすべてを失うことになるだろう。
もちろん、拳銃を持っているような無法者だ。警察に駆け込むような真似はしないかもしれない。いずれにしても、話だけはしておきたい。
絶対に逃してはならない。
その時、小さな音がした。木の枝や枯葉が重量によって圧迫される鈍い音だ。
十メートルと離れていない。音の方向へゆっくりと近づくと、ジジイがうつ伏せで倒れていた。木の陰に身を隠していたが、俺が近づいているのがわかったので、立ち上がって逃げようとして転んだ、といったところだろう。
「ここにいたか」
起こしてやろうと近づいた。すると、ジジイは頭だけでこちらを振り返り、ぎょろりとした目玉でこちらを睨みつけたと思ったら、素早く寝返って尻をつき、こちらに向けて両手で拳銃を構えた。
「う……動くな」
俺は怯んだ。そして手を挙げた。
油断していた。拳銃を持っていた時点で、こうなる可能性はあった。ジジイの腕次第だが、何なら林の中から俺を狙って撃つことだってできたのである。
「待て、誤解だ。俺は人殺しじゃない」
「じゃあ、あの死体はなんだ?」
「死体じゃない。眠ってるだけだ」
「嘘をつくな!」
ジジイは引き金に指をかけた。俺は目を閉じた。
しかし、もう弾は入っていなかったようだった。小さな金属音だけが虚しく鳴った。
俺はジジイに近づいて腕を掴み、拳銃を掴んで背後に放り投げた。湿り気を含んだ枯れ葉に膝を付き、顔を近づけた。
「俺を殺す気だったか。だが俺はあんたを殺したりしない。何度も言うが俺は人殺しじゃない」
「嘘だ!」
その後何を言ってもジジイは子供のように「嘘だ!」を繰り返して聞く耳を持たず、しまいには何も聞くまいと、両手で耳を塞いで「あー!」と叫ぶ始末だった。
俺は疲れ果ててしまった。
もう殺すしかない。
自分でも驚くほどの短絡的な結論だった。命の価値が暴落している。
そもそも、拳銃を持っているのをみると、相当危険なところと付き合いがある人物だ。しかも一人暮らしだと聞いている。うまく隠せば俺に疑いがかかることはあるまい。
ジジイの首に手をかけた。俺は冷静だった。妻を殺したときと同じように。
ジジイは相変わらず大声で叫んでいるのに、驚くほど静かだった。
眠気すら感じた。
「あなた」
突然後ろから声をかけられた。ジジイから手を離した。
振り返ると、そこに立っていたのは妻だった。
車のライトが逆行になり、表情はよく見えなかったが、そこにいたのは間違いなく妻だった。
妻は自分の顔ほどの大きさの石を両手で振り上げていた。そして、俺をめがけて振り下ろした。
左手の薬指には指輪が光っていた――。