第7話

文字数 1,269文字

「酒が飲みたい」ジジイがぽつりと言った。「持ってないか?」
 助手席を横目で見た。紙袋はない。検問でヒヤリとしたこともあり、コンビニで降りたときにトランクに移しておいたのだった。
「後ろを見てくれ。トランクだ。酒瓶がいくつか入っている」
 俺は明らかに油断していた。だからこんなことを言ったのだった。
 そしてすぐにトランクに死体が入っていることを思い出した。だがその時にはもう、ジジイが後部座席の上に上半身を乗り出してトランクを漁っているのが、バックミラー越しに見えていた。
「さて、どこかな? 大きな袋があるが……」
「いや、やっぱりトランクにはない。もう探すのはよせ」
 俺は今回こそ間違いなく冷静ではなかった。だからこんなことを言ってしまった。「大きい袋は絶対に開けるなよ」
 だが、そう言ったときにはもう遅かった。
 ファスナーの音が聞こえる。
 ジジイの動きが止まり、小さなつぶやきが聞こえた。
「……女?」
「気にしなくていい」そう言うしかなかった。
「これは……死体じゃないのか?」
 思いつく限りの言い訳を考えた。
 動揺している。動揺がバレてはならない。
 しかし、動揺しているのはジジイも同じだった。いや、俺とは比較にならないほど動揺していた。
「ああぁっ、死体じゃあっ! 死体っ! 死体じゃああぁっ!」
 ジジイは叫び出した。バックミラーにぎょろりとした大きな目玉と、ところどころ歯のない口が映し出されていた。
「落ち着け! わけを説明する! それは死体じゃない!」と言ったものの、どう見てもそれは死体だった。袋に入っているし、眠っているようには到底見えないだろう。では作り物ということで押し通せないだろうか。だがいずれにしても、ジジイは俺の話を聞き入れる状態ではなかった。
「お前は人殺しか!? 人殺しなのか!? 降ろしてくれ! 降ろしてくれええぇ!」
 ジジイは後部座席のドアノブをガチャガチャと開けようとしている。
「待て! 走行中だ! 一度話を聞いてくれ!」
「人殺しの言うことなんぞ聞けるかあぁ!」
 その時、突然車内に轟音が鳴り響いた。
 俺はブレーキをめいいっぱい踏んだ。何かにぶつかった様子ではない。
 嗅いだことがない香ばしい匂いが鼻をついた。
 後ろを振り返ると、まるで天にお祈りをするようなポーズで、ジジイが頭の上で何か黒いものを両手で持っていた。
 それは小さな拳銃だった。
 銃口から出た細い煙がゆらゆらと揺れていた。本物のピストルを見たのはもちろんはじめてだ。車の天井にはその小さな得物で空けたとは思えないほどの大きな孔が空いていた。
 ジジイは誰かから逃げてきたと言っていた。一体誰から逃げてきたというのだろうか。聞きたくなかったので聞かなかったが、本当に聞きたくない相手のようだ。
 やはりこいつは乗せたりせず、見捨てていくべきだった。
 ジジイはピストルを片手に持ったままドアを開けて外に飛び出し、前のめりに転んだ。そしてよろよろと立ち上がり、対向車線を横断して鬱然とした木々の中に消えていった。
 俺もドアを開けて外に出て、ジジイの後を追った。
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